静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年10月05日 | 天のマナ
 「神の恵みに生かされて」 

「わたしたちは、神の恵みを無にしない」(ガラテヤ2:21)

「受けるにふさわしくない者が光栄に与ったり、身分相応でない者が称賛を得たりすること」を、「恵み」と言います。「神の恵み」を私たちは受けています。それは、永遠の滅びに向かうしかない罪深くちっぽけな存在である私たちに、永遠の全能の神が目をとめ、御子イエス・キリストの十字架による犠牲をしてまで愛し、救ってくださったことであります。罪を赦され義とせられ、神の子としてくださり、神との関係を回復され、永遠の命を受けているのです。これを恵みと言わずに何と言うのでしょうか。本当の意味で、この神の恵みを体験している者は、恵み慣れし怠けたり、あるいは律法的義務的になったりしません。喜んでこの恵みに応答していくのです。私たちの勤勉勤労という努力は、神の恵みを得るためのものではなく、神の恵みを得た者として、それに対する感謝の応答としてのものであります。もう一度、与えられている主の恵みを思い出しましょう。

2014/10/5
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主日礼拝説教要約

2014年10月05日 | 説教要約
「神に寄り頼む平安」(使徒行伝19章8~20節)

「このようにして、主の言はますます盛んにひろまり、また力を増し加えていった。」(使徒行伝19章20節)

 第三伝道旅行、パウロがエペソで二年間宣教の働きをしました。この出来事を通して、神の言葉をいただきます。

Ⅰ 聖霊なる神を畏れる働き
 この所で、聖霊なる神はパウロをを通して爆発な力のわざをなされました。病人は癒され、悪霊は追放され、宣教のわざは進み、アジヤに住んでいる者はユダヤ人も異邦人も主の言を聞きました。それを見ていた神を信じていない人たちが、パウロのマネをして大きな傷を負わせられ逃げ出すことも記されています。これらのことにより、エペソの町の人たちは、聖霊なる神を畏れ、主イエスの名をあがめ、また悔い改めて、魔術の本などを焼き捨てて、悔い改めの実を結びました。

Ⅱ 聖霊なる神に寄り頼む
 本当の信仰は行動を伴うのです。彼らは悔い改めの実を結び、占いや魔術に頼る生き方から、真の神に寄り頼む生き方に180度変えられたのです。彼らは、不安に支配されることなく、主イエスの平安で満ちたのであります。

 真の神に寄り頼み、聖霊によって支配される時、内には平安、外にはリバイバル、神の福音は大いなる力を発揮するのです。

 2014/10/5 説教者 杉本守
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講壇の花

2014年10月05日 | 生花
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