「神の恵みに生かされて」
「わたしたちは、神の恵みを無にしない」(ガラテヤ2:21)
「受けるにふさわしくない者が光栄に与ったり、身分相応でない者が称賛を得たりすること」を、「恵み」と言います。「神の恵み」を私たちは受けています。それは、永遠の滅びに向かうしかない罪深くちっぽけな存在である私たちに、永遠の全能の神が目をとめ、御子イエス・キリストの十字架による犠牲をしてまで愛し、救ってくださったことであります。罪を赦され義とせられ、神の子としてくださり、神との関係を回復され、永遠の命を受けているのです。これを恵みと言わずに何と言うのでしょうか。本当の意味で、この神の恵みを体験している者は、恵み慣れし怠けたり、あるいは律法的義務的になったりしません。喜んでこの恵みに応答していくのです。私たちの勤勉勤労という努力は、神の恵みを得るためのものではなく、神の恵みを得た者として、それに対する感謝の応答としてのものであります。もう一度、与えられている主の恵みを思い出しましょう。
2014/10/5
「わたしたちは、神の恵みを無にしない」(ガラテヤ2:21)
「受けるにふさわしくない者が光栄に与ったり、身分相応でない者が称賛を得たりすること」を、「恵み」と言います。「神の恵み」を私たちは受けています。それは、永遠の滅びに向かうしかない罪深くちっぽけな存在である私たちに、永遠の全能の神が目をとめ、御子イエス・キリストの十字架による犠牲をしてまで愛し、救ってくださったことであります。罪を赦され義とせられ、神の子としてくださり、神との関係を回復され、永遠の命を受けているのです。これを恵みと言わずに何と言うのでしょうか。本当の意味で、この神の恵みを体験している者は、恵み慣れし怠けたり、あるいは律法的義務的になったりしません。喜んでこの恵みに応答していくのです。私たちの勤勉勤労という努力は、神の恵みを得るためのものではなく、神の恵みを得た者として、それに対する感謝の応答としてのものであります。もう一度、与えられている主の恵みを思い出しましょう。
2014/10/5