静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2014年07月06日 | 説教要約
「人間の弱さをも包み込む偉大な神」使徒行伝15章36~41節

「それは『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりである。」(31)

 この箇所から第二伝道旅行が始まります。この準備の時に、一つの出来事が起こりました。

Ⅰ 人間の弱さ
 パウロは、第一伝道旅行で各地に救われた者、集められたてられた教会を巡回し励ますために、バルナバに二回目の伝道旅行へ行こうとさそいました。そこで誰を連れていくかと話し合っている時に、第一伝道旅行で離脱したマルコの件で激論が起こりました。バルナバは、親戚であったマルコにもう一度チャンスを与えたいと願い、パウロは、献身が不十分な者は連れていけないとの宣教の真剣さを語り、マルコを連れていかないと主張します。どちらの主張もそれぞれの性格をあらわしていますが、それが人間の限界であり、ある面での弱さでありました。偉大なパウロやバルナバも完璧ではありません。


Ⅱ すべてを益にする神
 結局、パウロはシラスを、バルナバはマルコを連れて、伝道チームは二つに分かれます。神はこの出来事を逆手にとり、二チームによる宣教の働きを今までの二倍にすると同時に、彼らをそれぞれに取り扱うのです。彼らは仲たがいしてしまったのでしょうか。いいえ、パウロはバルナバを同労者として認め続け、マルコを役に立つ者として後の手紙で語っています。それぞれが取り扱われ成長成熟しているのです。

 私たちはパーフェクトではありません。しかし、この人間的な弱さをも包み込んで下さる偉大な神がおられます。お互いに祈り合い支え合いゆるしあって、この神のみ手の中で歩んでいきましょう。

2014/7/6 説教者 杉本守
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天のマナ

2014年07月06日 | 天のマナ
 「この夏はあの日から35年目」
次のような話があった。
「今日は、あの日から10年の記念日。あの日、彼は朝食の後、トイレに行かせてくれなくて、私は彼を容赦なく叩いたり、金切り声を上げたりした。でもその瞬間は、過食症と積極的に向き合える分岐点でもあった。私はその日、彼に人生を救ってもらったんだと思う。」(ユーザー投稿による実話 心に残る50のショートストリーより)。

 この話を読んだ時、すぐにピーンときた。
 今から35年前のキャンプでのあの日、主イエスは、罪に支配され滅びに向かっている私の前に立ち(十字架)、私の告白する罪とその罰を一身に受け、その代わりに神の愛と赦しによる再スタートを与えてくれた。やみから光へ向きを変えられた分岐点であった。私はその日、彼に魂を救ってもらった。神は愛によって人が変わるようにされている。「神は愛である」(ヨハネ第一の手紙4章8節)

2014/7/6
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講壇の花

2014年07月06日 | 生花
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