「真実な神の栄光をあらわす」(詩篇96篇1~13節)
「もろもろの国の中にその栄光をあらわし、もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわせ。」(3節)
わたしたちは神の栄光をあらわすのにどうしたらよいのでしょうか。それは、神を賛美し礼拝し、神を伝えることです。この詩篇は、バビロンからの解放という主のみわざを経験した神の民が、神を賛美し礼拝する詩であります。
Ⅰ 神への賛美
なぜ、人は神をほめたたえるのでしゅうか。一つ目は、神が救い(2)を、くすしきみわざ(3)をなされたからであります。具体的には、バビロンからの解放であります。今の私たちにとっては、罪からの救いであります。二つ目は、神が天地を造られたからであります(5)。神への賛美は、神の民にとどまらず、神の民によって全地(1)、もろもろの民(7)に伝えられ、すべての造られた人々がささげるものであります。
Ⅱ 神への礼拝
8~9節には、神の前に出て神を礼拝することがうたわれています。聖なる装いをして主を拝し、供え物をもって御前に行くのです。外装以上に内なる心の聖なる装いを忘れてはいけません。そして、主の来られるのを待ち望むのであります。それは、臨在ということであり、また今の私たちにとっては、再臨ということでもあります(13)。再臨は、私たちにとっては楽しみであり喜びであります。神の国での礼拝とはどんなに幸いでしょう。
主を礼拝し、主に賛美をささげ、主が自らに成して下さった救いを喜んで伝えて行きましょう。そうする時に主の栄光があらわれるのです。
2014・7・27 説教者 杉本守
「もろもろの国の中にその栄光をあらわし、もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわせ。」(3節)
わたしたちは神の栄光をあらわすのにどうしたらよいのでしょうか。それは、神を賛美し礼拝し、神を伝えることです。この詩篇は、バビロンからの解放という主のみわざを経験した神の民が、神を賛美し礼拝する詩であります。
Ⅰ 神への賛美
なぜ、人は神をほめたたえるのでしゅうか。一つ目は、神が救い(2)を、くすしきみわざ(3)をなされたからであります。具体的には、バビロンからの解放であります。今の私たちにとっては、罪からの救いであります。二つ目は、神が天地を造られたからであります(5)。神への賛美は、神の民にとどまらず、神の民によって全地(1)、もろもろの民(7)に伝えられ、すべての造られた人々がささげるものであります。
Ⅱ 神への礼拝
8~9節には、神の前に出て神を礼拝することがうたわれています。聖なる装いをして主を拝し、供え物をもって御前に行くのです。外装以上に内なる心の聖なる装いを忘れてはいけません。そして、主の来られるのを待ち望むのであります。それは、臨在ということであり、また今の私たちにとっては、再臨ということでもあります(13)。再臨は、私たちにとっては楽しみであり喜びであります。神の国での礼拝とはどんなに幸いでしょう。
主を礼拝し、主に賛美をささげ、主が自らに成して下さった救いを喜んで伝えて行きましょう。そうする時に主の栄光があらわれるのです。
2014・7・27 説教者 杉本守