静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年07月13日 | 天のマナ
「主への言葉」 「われらの神をほめうたうことはよいことである」(詩篇147:1)

 「今日祖父を、予約しておいた病院に車で連れていったときのことだ。2つ続けて赤信号に引っかかり不満を言っていると、祖父はクスクスと笑いだした。『お前はいつも赤信号に文句を言っている。だが青信号を褒め称えたことはないな』。」(心に残る50のストーリーより)。
 信号機は、「時には進め、時には止まれ」と私たちを守るための、交通の秩序を維持するための働きをしている。上記のストーリーは他人ごとではないと誰しも思うに違いないし、やはり以下のように信仰的に見てしまうのがクリスチャンである。
 神は、私たちを守り世界の秩序を維持しておられる。しかし、私たちはなんと感謝が少なく、不満ばっかり神に打ち明けていることだろう。信号機は人格がないので何をいっても反応はないが、神は人格(位格)をもっておられる。私たちの言葉を主はどう感じておられるのだろうか。悲しみ痛ませる不満ではなく、主に喜ばれる感謝と褒め称える声をあげたい。

2014・7・13
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主日礼拝説教要約

2014年07月13日 | 説教要約
「真の神だけにひれ伏す」(詩篇95篇1~11節)

 「さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。」(6)

 95篇~100篇までは、「礼拝への招き」はうたわれています。この95篇もバビロンの捕囚から解放され、帰還した頃のものと言われています。出エジプトした祖先たちは神に従いませんでしたが、出バビロンした民は、今度こそこの約束の地で神の御言葉に従順でいようと決意しています。

Ⅰ 礼拝を受ける方
 神は唯一であり、異教の神々は実態のないもの(96:5)であります。この真の神こそ、世界を創造し治められております(4,5)。その神を礼拝するのです(6)。まさしくこの方こそ、創造者であり、所有者であり、支配者であります。

Ⅱ 礼拝をささげる者
 礼拝をささげるものは、この方に造られた者たちであり、大牧者なる神の羊たちであります。人は、神の前に感謝をもって賛美をささげ(1)、平伏しひざまずく(6)です。以前の祖先たちがメリバ(論争)マッサ(試み)でしたように心をかたくなにしてはいけません。
 
 私たちは、大いなるみわざを経験したにもかかわらず、すぐ心をかたくしてしまいます。モーセは岩を打ち水をわかせましたが、神はイエスを十字架でうち、ゆるしといのちの水を溢れさせました、これこそ私たちの救いの岩です。私たちはただこの真の神の前だけに、これからも平伏してまいりましょう。

2014・7・13 説教者 杉本守
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講壇の花

2014年07月13日 | 生花
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