静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日説教要約

2013年09月08日 | 説教要約

「神の栄光のために」 詩篇79篇1~13節

この詩篇は、エルサレムの荒廃を嘆く民の祈りであります。

Ⅰ 神の怒りと裁き

 BC586年のバビロン軍によるエルサレムの破壊(Ⅱ列王25章8~21節)が、この詩の歴史的背景です。神の都なるエルサレムは滅ぼされ、廃墟となり、神の民は多数殺害され、神の民は屈辱にあうのです。この原因は、神の民の罪に対しての神の裁きであります。神の民であろうと神に反し続け悔い改めないならば、神はその罪を罰するのであります。

Ⅱ 悔い改めと助けを求める祈り

 詩人は、悔い改めをします。先祖達の罪をも自分のこととして告白するのです。「神の民がこのままでは、神の御名が汚されたままになってしまう。神の御名の栄光のために神の民を顧み赦し回復してください」と願うのです。

 私達はいかがでしょうか。悔い改める罪人に、回復と感謝の機会を得させて下さる神を覚え、積極的に神に立ち返り、神を求めて歩ませていただこうではありませんか。

2013/9/8 説教者 杉本守

 

 

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天のマナ

2013年09月08日 | 天のマナ

「奉仕の原点」   

 世の人達は、認められるために必死で学びや仕事をいたします。うまくいけば認められ、失敗すれば認められない世界であり、ヨーヨーみたいに上がり下がりで不安な世界であります。しかし、キリスト者は、神の宝として創造されたことを知っており、さらにはキリストのいのちの代価のゆえに買い取られ、すでに救われている者達であります。つまり、どんな時も全能なる神に認められている者達であります。私達は、認められたいがために労する者ではなく、認められている喜びに押し出されて労する者です。キリスト者にとっては、学びも仕事も奉仕もまさにそうであります。これは大変重要なことです。このことがおわかりでしょうか。だから人の目を気にするものではありません。認められている喜びを動機に、神の前に真実に精一杯をささげるものであります。時には自分で満足いくこともあれば、満足いかないこともあるかもしれません。しかし、それには左右されません。主はいつも喜んで受けてくださっています。これからも喜びをもってささげましょう。

2013年9月8日

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講壇の花

2013年09月08日 | 生花
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