「神の栄光があらわされるため」
「人生の目的は何でしょう?神は何の目的のために人を造られたのでしょうか?神はなんのために私たちを生かしておられるのでしょうか?」。神が人を造られた目的は、神が人を通して神の栄光をあらわすためです。神の栄光は、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する時にあらわされます。
どのような手段で、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛していくのでしょうか。その手段は一人一人それぞれであります。ある方はスポーツで、ある方は音楽で、さらには絵、書道などなど、また職務を通してであります。時に手段は変わっていっても良いのであります。しかし、これらの手段を目的にしてはいけません。たとえば、金メダルを取ることを目的にしてしまいますと、取れなかった時に目的を失い、それまでの労は無駄になったかのように感じます。また取れても、「次の目的は」とインタビューですぐにたたみ掛けられます。これは手段を目的にしているからであり、自分は常に揺さぶられます。
神の栄光があらわれることを目的にしている者は、努力の結果、金メダルを取れても取れなくても、その中で神の栄光があらわされていれば、それは平安と満足を得るのです。「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」(第一コリント10章31節)。
2012/8/5