静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年08月19日 | 説教要約

「人が造られた目的」 マタイによる福音書22章34~40節

 神が人を造られた目的は何でしょうか?神は人間を奴隷やロボットとして造られたのではありません。神は人を愛の対象として造られ、神の栄光をあらわす者として造られました。それでは、どんな時にわたしたちは神の栄光をあらわすのでしょうか。

Ⅰ 神を愛する時

 主イエスは、「どの戒めが一番大切か」と問われたとき、まず、「心を尽くして、思いを尽くして、知力を尽くしてあなたの神を愛せよ」といわれました。神との関係がしっかりし豊かである時に、神の栄光があらわれるのです。私たちは、神を愛しています。それは心を思いを知力を尽くしてでしょうか?礼拝が、小グループが、デボーションがそうありたいのです。

Ⅱ 自分を愛するように自分の隣り人を愛する時

  神との関係がしっかり豊かなものであるならば、神の愛によって自分を受け入れ愛することができます。そして、自分を愛するように隣り人を愛せるようになれるのです。すべては神との関係によるのです。

 神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛する時、神の栄光があらわれ、私たちは平安を持ち満たされるのです。

2012/8/19 説教者 杉本守

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天のマナ

2012年08月19日 | 天のマナ

「ユースジャムの恵み①」  「だれかが、手びきをしてくれなければ」(使徒8:31)

  三日目朝の恵みの集会で、矢板教会の牧師が、以下のようなエピソードを語ってくださいました。

 「盲人である私は、盲導犬と共に散歩をしていました。盲導犬は、危険があると私の前に自分の身を出して、私を守ります。四つ角を進もうとした時、突然車が曲がってきました。盲導犬は車と私の間にさっと入るのです。ある時、目の前に落ちる段差があり先には田んぼ、私はわからずに盲導犬に「前へ」と命令しましたが、盲導犬は動きません。何度命令しても動きません。おかしいなと思いつつ、私は前に進みたいのだと踏み込んだ瞬間、田んぼへ落ちたのです。落ちる前に止めようとした盲導犬の顔を蹴った感触があったのです。田んぼからあがったとき、盲導犬はよかったと言わんばかりに、私の周りをぐるぐる回っていました。」 

 この話を聞いて、私にとって盲導犬はイエス様だと。なんと私は愚かで、イエス様に失礼なことをしてきたことか。それなのに愛し続けてくださるイエス様の愛の深さにうたれ祈りをささげました。

 2012/8/19

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講壇の花

2012年08月19日 | 生花
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