「神の家族として迎える」
先週の礼拝後、一人の姉妹の洗礼式のビデオを流しました。洗礼式を兄弟姉妹に見ていただき、神の家族として西澤姉を迎え、洗礼の喜びを共にするためでした。
一番後ろの席で私は、兄弟姉妹を見ながら、ビデオを観ていました。兄弟姉妹が、ビデオの洗礼式のお祈りに「アーメン」と心をあわせ、また「喜びたたえよ主の御名を・・・」との賛美を歌ってくださったことは、時間や空間を越えて、洗礼式の場にいる霊的な感動をおぼえました。
霊的に生まれた姉妹を、神の家族として迎えた私たちは、教会という主のからだなる共同体の中で、姉妹を育んでいく責任があります。ある兄弟姉妹は、病室に訪問をしてくださっています。またある兄弟姉妹はお手紙で、そして他の多くの祈りによって慰め励まし、手をとるようにして共に歩んでくださっています。私たちは神の家族のお兄さん、お姉さんとして自分にできることをさせていただこうではありまんか。
「神の家族なのである。」(エペソ2:19)
2010/12/12