「主を喜ぶことはあなたがたの力です」ネヘミヤ8章1~12節
2010年を振り返り、この御言葉がどのように教会に、私達一人一人の歩みになされたかを、数えてみましょう。
Ⅰ 主のみ言葉によって生きる
バビロンから解放された神の民は、神殿、城壁を完成させました。神の民は、外側ではなく、新しいスタートに際して、内側の再建、神の民としてふさわしくあるために、み言葉(モーセの律法)に6時間以上聞き入ったのでした。そして、「アーメン、アーメン」と地にひれ伏し応答したのでした。
Ⅱ 主を喜ぶことによって歩む
神の臨在の中に語られた神の言葉によって、自らの今までの罪を示され、また神の深い憐れみを知り、彼らは泣いたのです。その民にネヘミヤは、「この日は聖なる日であるから、泣くことをやめなさい」と語り、泣くのではなく、主を喜びなさいと述べたのです。
この年、私達は「力」をました。主を喜び、主をほめたたえたからでありました。主は真実であり、教会の歩みに、一人一人の歩みに、このみ言葉のごとくなしてくださいました。主を喜ぶことの幸いを体験したことに感謝いたしましょう。
2010年を振り返り、この御言葉がどのように教会に、私達一人一人の歩みになされたかを、数えてみましょう。
Ⅰ 主のみ言葉によって生きる
バビロンから解放された神の民は、神殿、城壁を完成させました。神の民は、外側ではなく、新しいスタートに際して、内側の再建、神の民としてふさわしくあるために、み言葉(モーセの律法)に6時間以上聞き入ったのでした。そして、「アーメン、アーメン」と地にひれ伏し応答したのでした。
Ⅱ 主を喜ぶことによって歩む
神の臨在の中に語られた神の言葉によって、自らの今までの罪を示され、また神の深い憐れみを知り、彼らは泣いたのです。その民にネヘミヤは、「この日は聖なる日であるから、泣くことをやめなさい」と語り、泣くのではなく、主を喜びなさいと述べたのです。
この年、私達は「力」をました。主を喜び、主をほめたたえたからでありました。主は真実であり、教会の歩みに、一人一人の歩みに、このみ言葉のごとくなしてくださいました。主を喜ぶことの幸いを体験したことに感謝いたしましょう。
2010/12/26 説教者 杉本守