【天のマナ】 「なんくるないさ~」
お祈りを感謝いたします。一週間ほど沖縄伝道旅行へいってまいりました。沖縄の人は明るくてのんびりな印象を持ちました。南国の島、暑い気候のせいもあるのでしょう。沖縄の独特な言葉や習慣(ゆんたく、もあい)を少し教わってきました。
その沖縄の言葉の一つに、「なんくるないさ~」があります。今まで私はこの言葉を、少し投げやりな言葉、「どうにかなるさ」ととらえていましたが、実はこれは、「精一杯取り組んだことに対して、『結果はなんとかなるさ』」ということでありました。精一杯しないで、いい加減なところで言う言葉ではないようです。
この言葉は、私たちキリスト者の委ねる信仰に似ています。私たちのなす分は精一杯して、あとは最善になされる神様にお任せをする。心配は神様の分で、私たちの分は委ねることであるのです。今週も、なすべきことをなし、「なんくるないさ~」でいきましょう。
「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」(ペテロ第一の手紙4章7節)
2010/7/4
お祈りを感謝いたします。一週間ほど沖縄伝道旅行へいってまいりました。沖縄の人は明るくてのんびりな印象を持ちました。南国の島、暑い気候のせいもあるのでしょう。沖縄の独特な言葉や習慣(ゆんたく、もあい)を少し教わってきました。
その沖縄の言葉の一つに、「なんくるないさ~」があります。今まで私はこの言葉を、少し投げやりな言葉、「どうにかなるさ」ととらえていましたが、実はこれは、「精一杯取り組んだことに対して、『結果はなんとかなるさ』」ということでありました。精一杯しないで、いい加減なところで言う言葉ではないようです。
この言葉は、私たちキリスト者の委ねる信仰に似ています。私たちのなす分は精一杯して、あとは最善になされる神様にお任せをする。心配は神様の分で、私たちの分は委ねることであるのです。今週も、なすべきことをなし、「なんくるないさ~」でいきましょう。
「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」(ペテロ第一の手紙4章7節)
2010/7/4