「伝えないではいられない」
「いつも喜んでいなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16)
私たちのグレースチャペルが属する日本ホーリネス教団の今年度の標語は、「伝えないではいられない」です。わたしはこの標語が大好きで嬉しくなります。もし、「伝えなければならない」でしたら、律法的、義務的で頑張りが求められ、うまくいけば高慢になり、うまくいかないと落ち込み自分を責めるからであります。
しかし、「伝えないではいられない」は、恵みであります。主イエスによって命をいただき生かされ、救い(罪赦され義とせられ、神の子とせられ、永遠の命をいただくこと)を受け、主イエスに今も愛され、主イエスが共にいてくださっている喜びから始まり、喜んでいるクリスチャンを通して、主イエスが伝えてくださるのです。
以前私は、「救うのは主イエス、伝えるのは私」と考えていましたが、今は「救うのは主イエス、伝えるのも主イエス、私は主イエスを喜ぶこと」と考えています。私たちが救われている喜びに生きていますと、主イエスは、時を与え、語る言葉を与え、伝える相手を与えてくださり、主イエスがその者を通して相手に語ってくださるのです。喜びのある所に人は集まります。私達こそ本当の喜びをもっているのです。
2010/7/25
「いつも喜んでいなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16)
私たちのグレースチャペルが属する日本ホーリネス教団の今年度の標語は、「伝えないではいられない」です。わたしはこの標語が大好きで嬉しくなります。もし、「伝えなければならない」でしたら、律法的、義務的で頑張りが求められ、うまくいけば高慢になり、うまくいかないと落ち込み自分を責めるからであります。
しかし、「伝えないではいられない」は、恵みであります。主イエスによって命をいただき生かされ、救い(罪赦され義とせられ、神の子とせられ、永遠の命をいただくこと)を受け、主イエスに今も愛され、主イエスが共にいてくださっている喜びから始まり、喜んでいるクリスチャンを通して、主イエスが伝えてくださるのです。
以前私は、「救うのは主イエス、伝えるのは私」と考えていましたが、今は「救うのは主イエス、伝えるのも主イエス、私は主イエスを喜ぶこと」と考えています。私たちが救われている喜びに生きていますと、主イエスは、時を与え、語る言葉を与え、伝える相手を与えてくださり、主イエスがその者を通して相手に語ってくださるのです。喜びのある所に人は集まります。私達こそ本当の喜びをもっているのです。
2010/7/25