静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年11月25日 | 説教要約
「生きている神を拝する」マルコによる福音書12章13~27節

 宮で教える主イエスのもとに、反ローマのパリサイ人と親ローマのヘロデ党の者達が、主イエスを陥れるために、結託し質問をしてきたのでありました。その中から、「税金」と「復活」についての記事から、御言に聴き入りましょう。

Ⅰ 神のものは神に
 「ローマに税金を納めて良いか」という問う者に、主イエスは、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」と応えました。それは、「人はこの社会に生き、生活をしている者として、この社会の恩恵にあずかっているのだから、社会に対する義務がある。それと同じように、神によって生かされ恵みをいただいている者は、神に対しても応えることが必要である」というものでした。この世での税金は、納入書が送られてきますが、神からはそういうものはありません。ですので、このことに関しては、私達の信仰が問われるのです。信仰によって、生きて今も恵みを下さる神に応答していきたいのです。

Ⅱ 神の力による復活
 二つ目の質問は、復活を信じない合理主義的な世俗的なサドカイ人からの「復活」についての問いでした。彼らは、天国をこの世の延長として考えていました。しかし主イエスは、天国はこの世とは全く異なること、天国に入る者は、天使のようにされることを語り、モーセの五書しか信じていない彼らに、その中より、「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」という言葉を引用し、神が今も生きていて、神を信じたこれらの族長達もこの世での歩みは終わったが、今は神のもとにあって、生きていると「神であった」ではなく「神である」といわれ、「復活」があることを示したのでした。

 税金のような経済生活にも、結婚という家庭生活にも、復活という信仰生活にも
生きている神を認め、キリスト者として歩んでいきましょう。

2007/11/25  説教者 杉本守
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天のマナ

2007年11月25日 | 天のマナ
「時にかなって美しい」
 
 先週の礼拝で、主は次の聖句から一人一人に語って下さいました。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3章11節)。

 主は、わざをなす時、絶妙な時を捉えます。それはまさしく芸術であります。私達は、その時にそうであると知ることもあり、時が過ぎて振り返って見て、そうであると知ることもあります。けれども、それでも私達の知る所は一部であり、主のなさるわざを見極めることができないほど、主のわざは美しいのであります。
 
 永遠の思いを主は私達に与えてくださっていますが、それをもっても主のわざは計り知れません。私達が天の御国に行った時に、さらに主のわざの美しさに圧倒され、驚きと共に知らされるに違いありません。
 
 先週、私は口に口内炎ができておりまして、話すのも飲食するのも、舌を動かすのも痛みを感じ嫌な思いでした。けれども、主はそのことが起こることを先に見ていて、この日に佐藤師を遣わしてくださる手はずを整えていて下さったのです。聖徒の皆様にとっても私にとっても恵みを受ける幸いな神の美しいわざでした。

2007/11/25
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講壇の花

2007年11月25日 | 生花

 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。
マルコによる福音書12章27節


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