「神と人の前に真実に歩むキリスト者」
賞味期限や消費期限の偽り、表示と中身が違う偽り、食品に限らずビルやマンション建築時の偽りに至るまでの「偽装」が、社会問題となっている今日であります。利益のみを追求し信頼を失っている人、会社、店が多くあります。そして、その誤ったことが表面に出ても、簡単には認めず隠します。隠し切れなくなるとやっと謝罪するのですが時すでに遅く、信頼を失っています。
どうしてこういう事が次から次へと起こるのでしょうか。それは、真の神から離れた人間の罪深さが原因であります。「悪いことでも、人が見ていなければ表面に出なければよい」という思いが根底にあるのです。つまり「恥をかかなければよい」ということです。神から離れた者の姿は、神を畏れることをいたしませんので、こういう事が起きてくるのです。
しかし、キリスト者は、誰が見ていても見ていなくても、神の前に常にあることを知っています。神の目の前にあるキリスト者こそ、この社会にあっても「世の光、地の塩として真実なる者、誠実なる者」となり続け、神にも人にも喜ばれ、神の祝福をこの世でも来る世でも受けるのです。
2007/11/11
賞味期限や消費期限の偽り、表示と中身が違う偽り、食品に限らずビルやマンション建築時の偽りに至るまでの「偽装」が、社会問題となっている今日であります。利益のみを追求し信頼を失っている人、会社、店が多くあります。そして、その誤ったことが表面に出ても、簡単には認めず隠します。隠し切れなくなるとやっと謝罪するのですが時すでに遅く、信頼を失っています。
どうしてこういう事が次から次へと起こるのでしょうか。それは、真の神から離れた人間の罪深さが原因であります。「悪いことでも、人が見ていなければ表面に出なければよい」という思いが根底にあるのです。つまり「恥をかかなければよい」ということです。神から離れた者の姿は、神を畏れることをいたしませんので、こういう事が起きてくるのです。
しかし、キリスト者は、誰が見ていても見ていなくても、神の前に常にあることを知っています。神の目の前にあるキリスト者こそ、この社会にあっても「世の光、地の塩として真実なる者、誠実なる者」となり続け、神にも人にも喜ばれ、神の祝福をこの世でも来る世でも受けるのです。
2007/11/11