静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年11月04日 | 説教要約
「神の権威による働き」 マルコによる福音書11章15~18、27~33節

 宮に入られた主イエスは、宮で商売をしていた者達を追い出されました。この記事の意味から、神の権威による主の働きを見ていきましょう。

Ⅰ 神の宮での主イエスの業
 神の宮でなされていたことは、神のことを少しも思っていない自己の利得のみを考えた商売でした。具体的には、「神殿税を納めるための両替で、10~20%の手数料を取り、また神にささげる鳩や動物においては、宮で用意した物を高価に買わせる」という方法によってでありました。まさしく神の宮が祈りの場ではなく、強盗の巣になっていました。
 主イエスは、宮で売り買いをしていた人々を、聖なる義なる怒りをもって追い出されたのです。

Ⅱ 神の宮での主イエスの業の意味
 主イエスは、なぜこのような行為をされたのでしゅうか。それは、神の宮は本来、イザヤ書57章6節にあるように、「祈りの場、礼拝の場」でなければいけないのであります。それなのに、祈りや礼拝が、両替の音や動物の鳴き声、人々のざわめきで妨げられていたからであります。
 祈りと礼拝の場が汚され、形式のみの場になっていることを正したのでありました。しかし、宮を管理していた律法学者と祭司長達は、主イエスをねたみ、「何の権威によってこのことをするのか」と問うのでした。主イエスは、ヨハネのバプテスマの例に出し、「自らは天からの権威によってなしている」と答えられたのでありました。まさしく、主イエスは神のひとり子であり、救い主の権威を持っていたのです。

 私達は、神の権威を持つ主イエスに、礼拝の場で霊と真をもって、祈りと礼拝をささげ、神の御心に聴き従いたいのです。礼拝の場を自らの思いを叶える場としないようにいたしましょう。

2007/11/4 説教者 杉本 守
  
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天のマナ

2007年11月04日 | 天のマナ
 「グレース聖会を待ち望む」     
 
 今月の第三主日礼拝には、青梅教会の佐藤義則師をお招きして、礼拝と午後のグレース聖会で御言を取り次いでいただきます。私達の教会が属している団体は、プロテスタントの中でも「きよめの恵み」を高く掲げている日本ホーリネス教団です。「ホーリネス」とは「きよめ」を意味しています。
 
 私達キリスト者は、十字架による主イエスの贖いによって、救われた者であります。救われた時に、私達は教会という神の聖なる民に属させていただきました。私達は、罪赦され義とさられ、神の子とされた時から、すでにきよい者とされているのです。これが「所属的聖」というのです。次に私達は、そのきよい者とされていることを自覚し感謝しながら、さらにきよい者にふさわしくされていく必要があるのです。これが「倫理的聖」です。グレース聖会において、主の恵みをいただくのはこの点であります。

 どのように私達は、きよい者にふさわしくされていくのでしょうか。それは、自分の決心や努力によってではありません。ここでも、義とさられた時と同じく、主イエスの十字架の恵みが必要であります。聖霊によって御言が示され、悔い改めと信仰によって、きよめの経験をし続けていくのであります。
 
「真理によって彼らを聖別してください。あなたの御言は真理であります」
                          (ヨハネ17章17節)

2007/11/4
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講壇の花

2007年11月04日 | 生花

わたしの家は、すべての国民の祈りの家ととなえられるべきである。
マルコによる福音書11章17節



担当 S・H姉
                                          撮影 M・M

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