長久手図書館の本は少しずつ入れ替えているらしく、頻繁に通っていると不要になった本の処分に行き当たることがあります。公有財産の処分ですから特定の業者に払い下げることが不適当だと思われているのでしょうか、無料で利用者に譲渡してくれます。つまり早い者勝ちですね。
古くなったと言っても内容が悪いわけではなく、十分に読む価値のある本でほとんど読んだ形跡のないものが手に入ることもあります。極楽妻がもらって来た本の中から文庫本を通勤時間などに読んでいるのですが、藤原伊織「てのひらの闇」は大いに楽しめました。
作者が電通の社員と小説家の二足のわらじを履いた人で、その幅広い実務経験を生かした企業小説というジャンルになるのでしょうが、まるでよくできた剣豪小説や股旅物を読んでいるような達成感を得ました。主人公の堀江が剣の達人であることもその理由でしょうが、登場人物がしっかり描かれていて読むのが楽しい小説です。
広告会社のサラリーマンである堀江は左手の甲にある火傷跡で闇の世界と繋がっている男だが、それと縁を切ったはずのコマーシャル撮影の現場で、一見闇と何の関係もない女優の加賀美からちょっとした親切として糸クズを取ってもらい、それを火傷と反対側の「てのひら」で受け取った。まさかこのことが巡り巡って再び闇の世界への扉を開こうとは思いもせずに。
恩人であった会長は謎の自殺を遂げ、それが加賀美を守ろうとした高潔な行為であったと知った時、堀江はサムライとなって闇の世界に切り込んで行く。いいですねえ。義理と人情、というのはやはり日本人の琴線に触れるものがあります。
ただ、敵陣に乗り込む堀江が、塩田組の名前を出せば立ち回りなどしなくても解決しただろうな、という見方は醒めすぎでしょうかね。ともかく娯楽小説としては完成度が高く、通勤の暇つぶし以上の収穫でした。こうした読んだことのない作家に当たるのは処分本の楽しみです。
この巧みな筋立てと人物描写、特に現代のサムライと言うべき堀江の描き方に優れていることから見て、きっと藤原さんは時代小説を書いても成功したことと想像しますが、残念ながら小説家として脂の乗り切った今年、59歳という若さで亡くなられたことは惜しまれます。堀江と同じく酒豪として知られたそうで、多い時は一晩にウィスキー3本という無茶が食道癌を引き起こした原因でしょう。
こちらも長久手図書館から頂いた「仮面の火祭り」。勝目梓さんは元々純文学をやりたかった人らしいですが、その方面で評価されないことで見切りを付けて娯楽小説に転じたそうです。
話が凄く複雑で、どうまとめるつもりかと思ったら最終回で無理やり一件落着、というテレビドラマみたいなストーリーの小説で、設定にかなり無理をしています。スポーツ店の奥さんが不倫を隠蔽するために、生んだばかりの我が子のみならず不倫相手の彼女まで冷徹に殺害してほとんど証拠を掴ませない、という筋立てはあんまりじゃないでしょうか。それを冷静に観察してぼろを出すまで待つ主人も相当に不自然な人物です。
リアリティのある人物は主人公と同僚ぐらいで、他の登場人物はエキストラみたいに存在感がありません。勝目さんは極めて多作の人ですが、この程度のものを量産しているだけならたいして魅力はありませんね。サラリーマンの娯楽小説って、こんなものだと思っているんでしょうか。
これは小説じゃなくて題の通り放浪記。モザンビーク共和国がポルトガルから独立した年(1975年)に旅で意気投合したアメリカ人男性と共にアフリカ東部を放浪した竹谷マリさんの本です。モザンビークの首都、ロレンソ・マルケス(現在の名称はマプト)に滞在し、現地の白人と交流し、南アフリカの人種差別政策にはね返され、と何とも行き当たりばったりで無謀な旅の記録。類似の本がなく貴重な旅行記ですが、この調子ではどこで死んでいても不思議じゃないです。
最後はあっけなくて、世間でよく言われる「金の切れ目が縁の切れ目」という結末みたいです。30年以上も前にこれだけ無茶な日本人女性がいたことが驚異ですが、今でも政情不安定な中東を「自分探し」などと放浪する若い人がいるのを聞くと、どうも止めようがないもののようです。その後の竹谷さんは著作を出していないので何をされているのか不明ですが、少なくともアフリカとの持続的な交流事業などには関わっておられないようです。検索してみたら、今年の二科展写真の部に同姓同名の入賞者がありましたが、同一人物かどうかはわかりません。