宿については、昔ながらの団体客向けの宿という以上に印象はないですねえ。部屋は清潔で畳も新しいんだけど、空調が不十分で寝具も整っていなかったので寒い思いをしたとか、敷布団が今時珍しいほどの煎餅布団で背中が痛くなったとか、まあ学生向きのスキー宿に毛が生えた程度と思えば腹は立ちません。
夕食も品数は凄いでしょう。でも刺身がペラペラに薄くて乾いていたり、大概の皿が冷めていたりで、食べてて何だか寂しくなってきます。作っている方は毎日大変な思いをしてこれだけ揃えているんでしょうが、努力が空回りしていないでしょうか。見栄えは相当なものですから、多分旅行業者向けのプレゼンでは評価が高かったんでしょう。30年前に観海寺温泉に泊まったときも、大きくて立派なホテルなのに血の通わないサービスにがっかりしたものです。別府全体として、湯布院や黒川に個人客を取られるだけの理由はあると思いますよ。
食事のサービスをしてくれたのは東南アジアの若い女性で、「研修生」と名札を着けていました。それ自体は問題ではありません。しかし、別府温泉の団体旅館は昔から、立場の弱い人を臨時で安く使うことに慣れ切っている感じがします。30年前もそうでしたけど、「今シーズンはこの宿だけど、昨シーズンはあっちの宿で働いてた。パートだからシーズンオフは仕事がない。」そんな従業員ばかりだから、宿に対する帰属意識がとっても低いし、従業員同士の連携も悪い。今の別府に泊まるのなら、小規模な家族経営の宿の方が気分良く泊まれるのではないでしょうか。もっとも、大手旅行会社のツアーがそんな小さな宿を利用するとは思えませんがね。
朝はブッフェでした。人件費を削減したいなら夕食もこの方が気兼ねせずに楽しめると思います。
三十年が一日の如き別府の旅館を後にして、バスは国東半島の杵築に着きました。幸いなことに?こちらはもっと変わらない歴史があります。
有名な勘定坂。武家屋敷と言えば、時代劇に出てくるような白壁の屋敷町を連想するのですが、これは公用の建物や最上級の旗本や藩士の屋敷に限定されます。
藩士と言っても余程の重鎮以外は土壁に茅葺です。
それでもこちらの北台は上級藩士の屋敷町だったそうです。角で改修しているのは大原邸。この酢屋の坂を下りると商人街、向こうの坂を上ると南台になって、北台よりは身分の低い藩士の屋敷町だそうです。2つの高台よりなる武家屋敷の谷間に町民が商売を営む特異な構造の町で、サンドイッチ形などと呼ばれています。
武家屋敷なので藩校もあって、往時の雰囲気を偲ぶことができます。江戸時代から日本人は教育熱心でした。
二宮金次郎の銅像もここでは現役。
谷間にある商人街も、昔の姿で営業中です。ガラスが障子になれば、そのまま江戸時代の商店ですね。
この味噌屋は老舗で、遠くから買いに来る人もいるそうです。
何とも渋い店構え。こんな町をゆっくり歩いて、雰囲気のある喫茶店でのんびりしたい気がしますが、周遊型のパックツアーゆえ時間がありません。