アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

カーテン

2012-03-15 21:23:52 | 
『カーテン』 アガサ・クリスティー   ☆☆☆

 クリスティーの『カーテン』を読了。これは確か大昔に英語のペーパーバックで読んだことがある。ミステリ・ファンで知らない人はいないだろうが、これはエルキュール・ポアロ最後の事件である。

 ただ最後の事件というだけではなく、本書ではポアロの死が描かれている。しかもただ死ぬだけではなく、本書に登場するポアロはもう瀕死の病人であり、かつ無残な老醜をさらしている。頭脳の働きこそまだ健在だが、もはや歩くこともできず、車椅子の世話になり、おまけに頭髪も、あの見事な口ひげまであかさらまに黒々と染めてあり、ヘイスティングスがそれを見ていたたまれない思いをするぐらいだ。ポアロ・ファンにとっては、彼の健康より何よりこの口ひげがショックだろう。ポアロといえば口ひげであり、これをひねって得意げに推理を披露する彼の姿を世界中の人々が愛してきたからだ。

 そういうわけで、本書はクリスティーの作品にしては例外的に暗く、痛ましいムードに覆われている。むしろ根アカなキャラクターだったポアロの無残な末路が描かれることで、ますますその暗さが救いのないものになっている。そして、残念なことに、肝心の事件の方もいまひとつぱっとしない。ポアロ最後の事件にふさわしい、他とは別格の、いわば究極の殺人者を登場させようとしたのだろうが、アイデアが先走ってしまって、現実離れした犯人になってしまった。その存在や殺人方法に説得力がないのである。おまけにポアロは最初から犯人を知っているという設定なので、謎解きの推理もほとんどない。手紙の中で、事件の真相をヘイスティングスに説明するだけだ。私がポアロものの最大の美点と考える、視点の転換によって意外な真相にたどり着く、あの鮮やかなトロンプ・ルイユの如きポアロの名推理は見られない。

 日本の推理作家、西村京太郎は『名探偵に乾杯』という作品の中にポアロ二世と名乗る青年を登場させ、本書『カーテン』について語らせている。本書の特異な犯人の設定や、ポアロの言動、そして事件の真相に疑問を投げかけ、あれは実はヘイスティングスが書いたような事件ではなかったと推理する話で、要するに『カーテン』という作品の矛盾を検証する、批判的な作品論になっている。私はこの本の他の部分は全部忘れてしまったが、この部分だけは印象的だったのでよく覚えている。論旨にも大部分賛同できた。

 西村京太郎氏も、エラリイ・クイーン、メグレ、明智小五郎、そしてポアロという四人の名探偵を登場させた「名探偵」シリーズを四作も書いているくらいだから、ポアロのファンでありまたポアロ作品の愛読者であるに違いない。その彼がわざわざ自作の中で『カーテン』のディテールを論じ、真剣に批判するという行為の中には、「クリスティーならばポアロ最後の事件にふさわしい、もっともっと素晴らしい作品を書けたはずなのに」という悔しさと無念が滲んでいるように思えてならない。それにまた、この小説の中のポアロは私たちが愛したあのエルキュール・ポアロではない、エルキュール・ポアロは絶対にこんなものじゃないはずだ、という心の叫びをも感じる、と言っては大げさだろうか。興味がある人は読んでみるといい。

 本書でも、クリスティーの得意技である多数の人々の恋愛模様、そしてその中で育っていく軋轢と殺意の描写はさすが手馴れたもので、決して駄作ではない。しかし歴史に残る数々の名作を生み出してきたポアロ・シリーズの大トリがこれだと考えると、どうしても物足りなく感じてしまうのは仕方がない。そういう意味では残念な作品だ。

 とはいえ、やはりこれがエルキュール・ポアロ最後の事件であり、作者クリスティーがポアロという不世出の名探偵に向けたはなむけの物語であるには違いない。私にとって本書の価値はそこにあり、また、ほとんどそこにしかない。

 ミステリ史上名探偵といわれるキャラクターは多数あって、誰が好きかは人それぞれだろう。チャンピオンは誰かなど決めることはできない。しかしながら、エルキュール・ポアロがチャンピオン候補大本命の一人であることは誰にも否定できないだろう。解決した事件の数、作品のクオリティ、推理方法のオリジナリティ、性格、風貌、名探偵としてのステータス、存在感、知名度、そして言動から癖まで含めたキャラクターの魅力、どれをとってもポアロは最高レベルだ。総合的に考えると、シャーロック・ホームズやエラリイ・クイーンでさえポアロの敵ではないという気がしてくる。なんせ『オリエント急行の殺人』、『アクロイド殺し』『ABC殺人』の解決者であり、『ナイルに死す』、『白昼の悪魔』『杉の柩』『ホロー荘の殺人』、『メソポタミアの殺人』、『葬儀を終えて』、『ポアロのクリスマス』の主人公なのだ。それに「灰色の脳細胞」という口癖や、口ひげ自慢、ヘラクレスをもじったファースト・ネーム、異常なまでの整理整頓癖、といった他の名探偵には見られない印象的な個性の数々。そして、なんといっても「エルキュール・ポアロは常に正しいのです」というあの、しびれるような圧倒的な自信。長いキャリアを通してその自信が失われたことはただの一度もなく、またその推理能力にかげりが見えたことも一度もなかった。

 他の人々が何と言うか知らないが、私にとっては、ポアロこそ名探偵の中のチャンピオンである。エルキュール・ポアロよ、安らかに眠れ。



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