アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ミステリーの系譜

2019-01-12 20:27:20 | 
『ミステリーの系譜』 松本清張   ☆☆☆★

 久しぶりに松本清張の本を購入。これは小説ではなく、犯罪実録もの、つまりルポルタージュである。日本の犯罪史(大正・昭和)の中から特異な事件三つを選び、松本清張が独特の簡潔な筆致でルポする。三篇のタイトルは「闇に駆ける猟銃」「肉鍋を食う女」「二人の真犯人」。

 じっくりと調書その他の資料を読み込み、時には丁寧に引用しつつ事件を論じる松本清張のアプロ―チはとても冷徹、端正で、その筆の簡潔さはジャーナリスティックな印象を与えるが、やはり法律家や記者とは違う、小説家ならではの視点があちらこちらに感じられることが特徴だし、またそれが本書最大の読みどころだろう。たとえば「闇に駆ける猟銃」冒頭のエドガー・ポー「アッシャー家の崩壊」の書き出しへの言及、そこから事件の舞台となった村の印象へとつなげていく運び方などは、やはり推理小説の大家ならではと思わせる味がある。

 また村人たちの心理への洞察や、警察関係者のコメントへの考察なども作家らしい想像力が働いていて面白い。事実の収集と報告だけでなく、人間はなぜこんな凄惨な犯罪に惹かれるのだろうか、という問いかけが常に根底にある。

 さて、最初の「闇に駆ける猟銃」はいわゆる津山事件のルポである。あの『八つ墓村』の元ネタになった、一晩で約三十人を殺したという男の話だ。犯人の都井睦雄は性的にルーズだったと言われるが、実はその点では他の青年と大差なく、むしろ学校時代の成績は良かったし、容姿も悪くなく女性にももてた、というのが清張の見立てだ。あんな事件を起こしたのだから周囲は異常性があったということにしないとおさまらないだろうが、彼の性習慣だったとされる人妻や未亡人への「夜這い」は、実は村そのものの風習だった、という。娯楽がなく人の入れ替わりがない田舎では、それぐらい許容しないとやっていけないというのだ。

 うーむ、これは都会で暮らす現代人には想像できない感覚だ。というか、私も九州の田舎出身だが、この「夜這い」文化は私の知っている田舎においてもさすがにあり得ない。まあ、まだテレビも何もなかった(昭和13年)という時代性もあるのだろう。他人の嫁を寝取っても酒一本持っていけば許された、というからびっくりだ。

 さて、津山事件と都井睦雄については、前にレビューを書いた島田荘司の『龍臥亭事件』にとても詳しい。膨大なページ数を割いて都井睦雄の生い立ちから事件までの経緯を詳述し、ものすごい熱気と臨場感で、とても本を置くことができなくなる。この松本清張のルポはそれと比べるとはるかに簡潔であり、学術論文的で、非=小説的だが、それでも犯行時の描写はかなり詳しく、淡々とした書きっぷりが逆に迫力を感じさせて見事だ。

 が、一方でそれに至るまでの経緯や都井睦雄の人間像については、いささか物足りなさを感じた。まあ『龍臥亭事件』があまりに詳しいので、あれを読んだ後だとそう感じてしまうのはしかたないかも知れないけれども、世界的にも稀だというあそこまでの大量殺人を起こさざるを得なかった切実さ、切迫感が今一つ伝わってこない。自分の肺結核への過剰な悲観と村人たちからの屈辱が原因というが、そんな村八分やイジメなら他でもあるはずだ。結局、都井睦雄には異常性があったということだろうか。そのあたりが曖昧である。

 それにしても、昭和初期頃の日本の田舎の風習の奇怪さ、閉塞感というものは私たちの想像を絶するものがあるようだ。田舎って怖いものなんだなあ。横溝正史のミステリが、あれほどまでに日本の田舎の暗さ、因習、呪縛力をテーマにするのも納得できる。

 二篇目の「肉鍋を食う女」は、ある意味津山事件より怖い話だった。タイトルから想像がつくと思うが、食人の話である。私はなぜかこのテーマがすごく怖くて、山白朝子『エムブリヲ奇譚』でも「地獄」が一番怖かったし、アメリカのシリアル・キラーのルポなどでも死体を食ったなんてあるともうゾワゾワと鳥肌が立ってしまう。しかし本書で扱われている事件は、犯人の変態性ではなくまさに食べ物がなかったことが動機となったこと、かつ遭難現場や戦場ではなく街中で行われたこと、が特殊だと思う。

 何より、あまりに自然に一線を越えていってしまう母親の様子がこわい。要するにこの女性は夫の連れ子を殺したのだが、「トラを食っちゃった」というあっけらかんとした自白を聞いても、取り調べをしていた刑事は意味を理解できなかったという。淡々としていながらも、その場の情景が浮かんできそうな描写が松本清張らしい。

 最後の「二人の真犯人」はちょっと趣きが変わって、要するに警察や検事が犯人をでっち上げることへの告発である。警察が予断をもって捜査し、一人の男を犯人に仕立て上げ、その後別の男が自白してきたために二人の「犯人」が起訴された、という珍事に関するルポだ。普通一人が単独犯として起訴されたら、もう一人容疑者がいても釈放されるわけだが、この場合は警察のクロ心証があまりに強かったために、結果的に二人とも起訴されたというのだ。そりゃおかしーだろ、と誰だって思うはずだが、予断に囚われて証拠を作り上げてしまう警察の怖さが、資料を踏まえた淡々とした文章から浮かび上がってくる一篇。

 三つともそれぞれ違う味があって、なかなか興味深いものがあった。但し、松本清張の推理小説を読む面白さを期待すると地味かも知れない。



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