アブソリュート・エゴ・レビュー

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マーティン・ドレスラーの夢

2012-07-19 23:34:34 | 
『マーティン・ドレスラーの夢』 スティーヴン・ミルハウザー   ☆☆☆☆

 ミルハウザーの長編を再読。スティーヴン・ミルハウザーは現代的な幻想小説の書き手として、それもきわめて純度の高い幻想小説の書き手として私が格別偏愛する作家の一人だが、この人は本質的に短編作家だと思う。精緻な細工物を作り出す工芸職人のような彼の創作姿勢は、やはりコンパクトなミニアチュールでこそ最大限に生きると思うからだが、そういう意味ではこの『マーティン・ドレスラーの夢』はいささかミルハウザー的でない要素が意図的に組み込まれた、そしてそれによってミルハウザー式幻想物語の発展形が目論まれた作品と、勝手に考えている。

 小説の体裁はこれまでの短編作品でもお馴染みの伝記スタイルで、マーティン・ドレスラーという人物が自分の夢想をかなえていく過程を子供時代から時系列に追っていく。ただし彼の夢想はこれまでと違って、自動人形やアニメーションといったアート系のクラフツではない。ビジネスである。父親の葉巻屋から始まり、ホテルの従業員、ホテル内の葉巻屋、ランチルーム、そしてホテル経営とマーティンの仕事は変遷していく。たとえばランチルームの経営や計画の詳細が、例によって精緻に描かれる。あまりミルハウザーらしくない題材だが、ただビジネスの話もミルハウザーが語ると、奇妙なオブジェのような色彩を帯びて感じられるのが不思議だ。

 また、事業の発展と平行して、彼の女性関係がもう一つの縦糸として語られる。これもまた、ミルハウザーらしからぬ要素だ。さまざまな女性が登場しては去っていくが、メインとなる姉妹とマーティンの関係はとても微妙で、決してセンチメンタルな恋物語ではなく、どこか不安定、どこか異常、けれどもやっぱり浪漫的な匂いも振りまきつつ、謎めいた終盤に突入していく。

 そして終盤に至り、ようやくミルハウザーらしい暗い幻想性が大輪の花を咲かせる。マーティンのホテルがもはや現実にはあり得ない、江戸川乱歩の『パノラマ島綺譚』を思わせる幻想的大伽藍のレベルに到達するのである。ホテルの中に公園や劇場や迷路があるのはもちろん、毎日変化を続けるためホテル内を徘徊しても決して同じ光景に出くわさないとか、地下に無限の階層があって暗黒の快楽を提供しているとかいう話になる。ミルハウザー節炸裂だ。そして蜃気楼がだんだん薄れて消えていくような、儚いラストへと収束していく。このラストが実に印象的で、ミルハウザーの壮大な幻想譚に、祭りの後のような物悲しいリリシズムを付け加えている。

 本書はピュリッツアー賞を受賞しており、ミルハウザーの特異なロマンの世界を普通小説の方へ押し広げたという意味では十分に成功している。しかしミルハウザーが本気で書きたいように長編を書いたら、こんなもんじゃないはずだ、とも思うのである。


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