『彼岸花』 小津安二郎監督 ☆☆☆☆☆
これも『Eclipse Series 3 LATE OZU』に収録されている一本で、『秋日和』と同じく佐分利信のえらさを腹の底から堪能できる映画である。当然ながら傑作だ。
主演は佐分利信だが、他人の嫁入り話ということで終始余裕を見せていた『秋日和』と違い、今回は自分の娘の嫁入り話なので怒ったり動揺したり、当事者としての感情の揺れが激しい。田中絹代演じる妻と激しく言い争ったりする。またこの田中絹代の妻が貫禄たっぷりで、まあ田中絹代でもなければ佐分利信と真っ向衝突などできるはずもないわけだが、この二人の力関係のバランスが実に見事だ。それから例の悪友たち、中村伸郎と北竜二は今回もやっぱり出てくるが『秋日和』ほどではない。大部分が佐分利信のソロである。というわけで、やはりこれも佐分利信ファンは見逃せない映画である。
平山渉(佐分利信)・清子(田中絹代)夫婦には二人の娘がいる。長女の節子(有馬稲子)の見合い話を父の渉がセッティングしようとしていたちょうどその時、節子と付き合っているという男(佐田啓二)が突然現れ、「娘さんを下さい」と言い出す。「君、そんなことをいきなり言われても答えるわけにはいかんよ。今日は引き取ってくれたまえ」と持ち前の重厚感を見せつけて追い払いつつも、心中穏やかではない渉。家に帰ってさっそく娘を呼びつけ、「お父さんたちに相談もなくそんなことを決めていいと思ってるのか。お父さんは反対だからな。しばらくは外に出るな。会社なんか辞めたっていい」
それに対し、「自分の幸せを自分で見つけちゃいけないんですか?」と反論する節子。母の清子は父の心配も共有しつつ、節子の気持ちも分かるという難しい立場でなんとか調停しようとする。渉にさりげなく言ったりする。「なかなかいい青年のようですよ」「お前、会ったのか?」「ええ、節子を送ってみえられて」「一度見たぐらいで人間が分かるか、馬鹿!」
佐分利信大暴走。いやもう、最高である。終盤、節子の友人である幸子(山本富士子)に見事にはめられ、結婚を認めざるを得なくなった渉は式に出ないと言い出す。ここで妻の清子と本作中唯一の本格的な口論となる。じゃあ私も出ませんという清子に、賛成しておいて出ないとは無責任だ、お前はいつもそうなんだと責める渉。清子は居ずまいを正し、「それなら言わせてもらいますが、あなたの言うことこそ矛盾だらけです」「何だと」「相手がいれば安心なんだがと言っておきながら、相手がいたとなったら駄目だと言う。これが矛盾でなくて何ですか」理路整然と責めてくる清子に、渉の怒りが爆発する。「そんな矛盾は誰にだってある! 人生は矛盾だらけなんだ!」
いやもう、最高である。
例によって最初は穏やかな日常が描かれ、徐々に波紋が立っていくという巧みなスロースタートだが、ここでは平山家の結婚話、三上家の家出娘、そして佐々木母子の結婚話、という三つのプロット配置の妙に注目したい。三上(笠智衆)は平山の学友の一人で、娘が家を飛び出して銀座のバーで働きながら男と同棲している。渉は三上に頼まれて娘が働くバー「ルナ」に会いに行くが、そこで娘が父親を批判して言うセリフは、やがて渉自身が妻から言われることになるセリフの先行するこだまである。「お父さんは視野が狭いんです。すべてが自分の思い通りにならないと、気がすまないんです」
そして、京都で旅館を経営するおかみである佐々木(浪花千栄子)とその娘・幸子(山本富士子)。この二人がこの映画における華であり、明るさであり、物語を回転させるべく用意されたトリックスターである。「お忙しいんと違いますか」と言いながら延々喋り続ける浪花千栄子はどのシーンでも娘の言葉通り「面白すぎる」し、娘の山本富士子の花が咲いたような美しさは眼福以外のなにものでもない。幸子も母が持ってくる結婚話にうんざりしている。渉はこの幸子に対しては「それなら結婚することなんかないよ。君みたいなきれいな人が、もったいない」などと調子がいいことを言い、観客に二面性を露呈してしまうことになる。また幸子は「親の結婚話で困った時はお互いに助け合う」同盟を節子と結んでいて、この同盟のために幸子が渉に対してトリックを仕掛け、紛糾した事態を一気に収束させる。
いやまったく、ほれぼれするような端整なプロットである。それにしても、重厚感と威厳では誰にも負けない佐分利信も、この「さっちゃん」にだけはかなわないようで、「おいおいさっちゃん!」と言いながらあわてる場面が二度もある。
ついでに言うと、佐分利信が「ルナ」に行く場面も二度あるが、いずれも部下・高橋貞二との絡みで最高のコメディ・シーンになっている。特に二度目、高橋貞二が一人で呑みながら、「(重役が)こんなところにもう来るもんかい」と言った途端にドアを開けて佐分利信が入ってくるシーンでは爆笑した。ギャグとしてはベタだが、伏線の張り方や佐分利信の重厚感が見事なのである。
ところで本作の笠智衆は、娘に家出されているだけあっていつもより暗い感じだが、最後近くに佐分利信に向かって言う、「結局子供には負けるよ」のセリフがなんともいい。親の愛情と諦念、人生の哀歓がないまぜになった含蓄のあるセリフだと思う。こういうセリフをここまで説得力豊かに成立させてしまうところが、小津安二郎監督の素晴らしさである。
これも『Eclipse Series 3 LATE OZU』に収録されている一本で、『秋日和』と同じく佐分利信のえらさを腹の底から堪能できる映画である。当然ながら傑作だ。
主演は佐分利信だが、他人の嫁入り話ということで終始余裕を見せていた『秋日和』と違い、今回は自分の娘の嫁入り話なので怒ったり動揺したり、当事者としての感情の揺れが激しい。田中絹代演じる妻と激しく言い争ったりする。またこの田中絹代の妻が貫禄たっぷりで、まあ田中絹代でもなければ佐分利信と真っ向衝突などできるはずもないわけだが、この二人の力関係のバランスが実に見事だ。それから例の悪友たち、中村伸郎と北竜二は今回もやっぱり出てくるが『秋日和』ほどではない。大部分が佐分利信のソロである。というわけで、やはりこれも佐分利信ファンは見逃せない映画である。
平山渉(佐分利信)・清子(田中絹代)夫婦には二人の娘がいる。長女の節子(有馬稲子)の見合い話を父の渉がセッティングしようとしていたちょうどその時、節子と付き合っているという男(佐田啓二)が突然現れ、「娘さんを下さい」と言い出す。「君、そんなことをいきなり言われても答えるわけにはいかんよ。今日は引き取ってくれたまえ」と持ち前の重厚感を見せつけて追い払いつつも、心中穏やかではない渉。家に帰ってさっそく娘を呼びつけ、「お父さんたちに相談もなくそんなことを決めていいと思ってるのか。お父さんは反対だからな。しばらくは外に出るな。会社なんか辞めたっていい」
それに対し、「自分の幸せを自分で見つけちゃいけないんですか?」と反論する節子。母の清子は父の心配も共有しつつ、節子の気持ちも分かるという難しい立場でなんとか調停しようとする。渉にさりげなく言ったりする。「なかなかいい青年のようですよ」「お前、会ったのか?」「ええ、節子を送ってみえられて」「一度見たぐらいで人間が分かるか、馬鹿!」
佐分利信大暴走。いやもう、最高である。終盤、節子の友人である幸子(山本富士子)に見事にはめられ、結婚を認めざるを得なくなった渉は式に出ないと言い出す。ここで妻の清子と本作中唯一の本格的な口論となる。じゃあ私も出ませんという清子に、賛成しておいて出ないとは無責任だ、お前はいつもそうなんだと責める渉。清子は居ずまいを正し、「それなら言わせてもらいますが、あなたの言うことこそ矛盾だらけです」「何だと」「相手がいれば安心なんだがと言っておきながら、相手がいたとなったら駄目だと言う。これが矛盾でなくて何ですか」理路整然と責めてくる清子に、渉の怒りが爆発する。「そんな矛盾は誰にだってある! 人生は矛盾だらけなんだ!」
いやもう、最高である。
例によって最初は穏やかな日常が描かれ、徐々に波紋が立っていくという巧みなスロースタートだが、ここでは平山家の結婚話、三上家の家出娘、そして佐々木母子の結婚話、という三つのプロット配置の妙に注目したい。三上(笠智衆)は平山の学友の一人で、娘が家を飛び出して銀座のバーで働きながら男と同棲している。渉は三上に頼まれて娘が働くバー「ルナ」に会いに行くが、そこで娘が父親を批判して言うセリフは、やがて渉自身が妻から言われることになるセリフの先行するこだまである。「お父さんは視野が狭いんです。すべてが自分の思い通りにならないと、気がすまないんです」
そして、京都で旅館を経営するおかみである佐々木(浪花千栄子)とその娘・幸子(山本富士子)。この二人がこの映画における華であり、明るさであり、物語を回転させるべく用意されたトリックスターである。「お忙しいんと違いますか」と言いながら延々喋り続ける浪花千栄子はどのシーンでも娘の言葉通り「面白すぎる」し、娘の山本富士子の花が咲いたような美しさは眼福以外のなにものでもない。幸子も母が持ってくる結婚話にうんざりしている。渉はこの幸子に対しては「それなら結婚することなんかないよ。君みたいなきれいな人が、もったいない」などと調子がいいことを言い、観客に二面性を露呈してしまうことになる。また幸子は「親の結婚話で困った時はお互いに助け合う」同盟を節子と結んでいて、この同盟のために幸子が渉に対してトリックを仕掛け、紛糾した事態を一気に収束させる。
いやまったく、ほれぼれするような端整なプロットである。それにしても、重厚感と威厳では誰にも負けない佐分利信も、この「さっちゃん」にだけはかなわないようで、「おいおいさっちゃん!」と言いながらあわてる場面が二度もある。
ついでに言うと、佐分利信が「ルナ」に行く場面も二度あるが、いずれも部下・高橋貞二との絡みで最高のコメディ・シーンになっている。特に二度目、高橋貞二が一人で呑みながら、「(重役が)こんなところにもう来るもんかい」と言った途端にドアを開けて佐分利信が入ってくるシーンでは爆笑した。ギャグとしてはベタだが、伏線の張り方や佐分利信の重厚感が見事なのである。
ところで本作の笠智衆は、娘に家出されているだけあっていつもより暗い感じだが、最後近くに佐分利信に向かって言う、「結局子供には負けるよ」のセリフがなんともいい。親の愛情と諦念、人生の哀歓がないまぜになった含蓄のあるセリフだと思う。こういうセリフをここまで説得力豊かに成立させてしまうところが、小津安二郎監督の素晴らしさである。