アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ABC殺人事件

2007-11-07 17:30:39 | 
『ABC殺人事件』 アガサ・クリスティー   ☆☆☆★

 再読。クリスティーの傑作の一つに数えられているが、私はそれほど好きではない。ただし傑作といわれることに異存はない。

 クリスティーにしては珍しい、クローズド・サークルではない殺人事件だ。つまり限定されたグループの中に犯人がいる、というパターンではなく、相互に関係のない被害者があちこちの町で次々と殺され、犯人はどこの誰でもおかしくないという「通り魔殺人」状況だ。クリスティーにしては珍しいと書いたが、本格ミステリではそもそもこういうのは珍しい。その代わり警察小説ではよくある。つまりこの手の事件は一人の名探偵が推理で犯人を割り出すという作業には不適切で、警察の組織力の方が似つかわしいわけだ。

 が、そこはさすがクリスティー。そのデメリットを逆手にとって、ちゃんとポアロが名推理をもって事件を解決する。それはいいのだがクローズド・サークルでないために、クリスティーお得意の人間関係の描写、特に恋愛模様を緻密に絡めて事件をドラマチックにするというあの得意技がほとんど発揮できていない。これが痛い。だから名探偵が色んな関係者に尋問して回る描写が大半、というありがちな構成になっている。私の点が辛くなってしまうのはそこだ。

 しかしポアロの解決は鮮やか。しかも見事にクリスティー的な謎解きになっている。大体クリスティーにおける謎解きというのは、視点を変えることでなんとなく「こうだ」と思い込んでいた事件の相貌ががらっと変わってしまう、というパターンが多い。『オリエント急行』『アクロイド殺人』『葬儀のあとで』、みんなそうだ。犯人だけでなく事件そのものが偽装されており、何かしら視点を変えないと真相が見えてこない。逆に視点を変えることで事件の見方が修正され、犯人が浮かび上がってくるというケースが多い。それまで犯行不能と思われていた人物が実は唯一犯行可能な人物だった、なんて逆転が起きる。だから謎解きも一層鮮やかになるし、騙し絵を見ているような快感がある。『五匹の子豚』や『白昼の悪魔』のように人間ドラマが重視されているものでも、強者と思われていた者が実は一番の弱者だった、というような反転が起きる。私はこれがクリスティー最大の魅力で、彼女がミステリーの女王と呼ばれるゆえんだと思っている。たとえばクイーンのミステリではそういうことはまず起きない。あくまで犯人探しであって、解決とともに事件の全体像が変わってしまうようなことはない。

 そういう意味ではこの『ABC』もまさに騙し絵そのもので、とてもクリスティーらしい劇的な謎解きを愉しめる。


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