アブソリュート・エゴ・レビュー

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2001年宇宙の旅

2016-06-19 21:44:39 | 映画
『2001年宇宙の旅』 スタンリー・キューブリック監督   ☆☆☆☆☆

 ご存じ、SF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』。所有していたDVDをブルーレイに買い替えて再見したが、やはり偏執狂的なまでに細部を見せることにこだわったこの映画は、リストアされたブルーレイに買い替える価値があった。素晴らしい。

 子供の頃初めて映画館で観た時はさっぱりわけが分からず、ただ異常な衝撃の記憶だけが残った。その後アーサー・C・クラークの小説を読んでようやくストーリーの意味が分かり、同時にその壮大な宇宙叙事詩的イマジネーションに24時間尾を引くほどのめまいを感じたものだが、今となっては懐かしい思い出である。すでに時代は2001年をとうに過ぎ、この映画が公開されてから40年以上が経過した。ここまで視覚効果を盛り込んだ映画は40年もたったら古びてしまうのが普通だが、恐ろしいことにこの映画は古びない。視覚効果は古びたがストーリーは古びない、でもなく、視覚効果さえ古びていないのである。これは驚異である。少なくとも私の目には、この映画より10年新しい『スターウォーズ』の方が古びて見える(あくまで視覚効果についてであり、映画としての『スターウォーズ』は今観ても傑作だ)。

 これは一体どういうことなのだろうと昔から不思議だったが、同じことをあるウェブサイトで書いている人がいた。その人は宇宙船のディスプレイ表示用CGを例に引いている。『2001年宇宙の旅』の中でディスカバリー号の部品を映し出すCG映像があるが、当時はもちろんCGなんてないので、あれは白い骨組みの模型を実際に撮影して加工した「なんちゃってCG」なのだそうだ。ところが、『スターウォーズ』や『エイリアン』の宇宙船ディスプレイ用CGが今見ると古臭くチャチいのに比べて、『2001年』の方はあまり古臭い感じがしない。もちろんこれは主観の問題だが、その筆者はそういう印象を持っているようだし私も同感だ。それは現代のCGやインターフェースと同じに見えるということではなく、多少違っていてもちゃんとリアリティを保っている、本当らしさの賞味期限が切れていない、という意味だ。なんでもキューブリックはこの映画を撮るにあたって非人間的なまでの完全主義を貫き、スタッフを酷使して何年もかけて映像を作り上げていったそうだが、そうした妥協しない執念と、これで本物に見えるという自分のセンスへの信頼がこれを成し遂げたのだろう。へたに初期のCGなど存在しなかったのもよかったのかも知れない。

 まあとにかく、私が言いたかったのは、ここまで驚異的な映像を細部までくっきりと「見せる」ことにこだわった映画は他にないということである。少なくとも私は知らない。冒頭の原始時代の猿の群れからしてそうで、最初見た時はあれが俳優のメイクだとは思わなかった。どう考えても本物のサルである。生肉をむさぼり食ったり、ジャガーに襲われて格闘したりまでしている。当時あの『猿の惑星』が「リアルな猿のメイク」と絶賛されたことを考えると、このメイクの度肝抜くクオリティの高さが分かるだろう。そして一気に時代は2001年へと飛び、浮遊する宇宙船の驚異的な映像へと続く。とにかく細部の作り込みがハンパなく、宇宙船内をキャビンアテンダントが歩く様子、食事、トイレの説明書、窓からの眺め、テレビ電話、通関システムなどありとあらゆるディテールを見せる。ストーリーが遅々として進まないことなどまったく気にせずに、見せて、見せて、見せまくる。どうせ特撮技術など古びてしまうのだから物語で勝負しよう、あるいははっきり見せず観客の想像に委ねよう、など普通の監督なら考えそうな(一見まっとうな)方針はとらず、とにかく力いっぱいリアルな映像を作って正面から見せてやる、映画ってそういうもんだろ、という執念と気迫がみなぎっている。

 その結果は先に書いた通りだ。そのようにとことん細部までクリアに「見せる」ことにこだわった本作だが、ストーリーは難解である。いや、(小説のように)きちんと説明すればそう難解でもないのだが、説明がほとんど意図的に放棄されているために難解に見える。別に意味などはっきり分からなくてもいい、とキューブリックは思っていたのではないか。文学のように意味やコンセプトで勝負するのではなく、やはり映画として、純然たる映像を見せることで圧倒的な体験をさせてやる、と決意していたように思える。

 それからもうひとつ、本作はもちろんSF映画だが他のSF映画とはまったく違う感触を持っている。宇宙を舞台にした他の映画が単に舞台装置として宇宙を使っているのに対し、『2001年宇宙の旅』が描くのは宇宙そのものの神秘である。人間ドラマではないし、地球上で成立するいかなるドラマとも似つかない。人間のスケール感では当然ながら宇宙の全体像など認識できないし、おぼろげに認識しようとしただけでも畏怖の念に圧倒されてしまうだろう。それがSFでいうところのセンス・オブ・ワンダーだが、その畏怖の念をここまで濃密に描き出したフィルムは他にない。『2001年宇宙の旅』はおそらく、宇宙というものに人間が対峙した時の絶対的畏怖を表現した唯一無二のSF映画である。宇宙を単なる舞台装置として扱っている他のSF映画とは根本的に異質だ。まあ最近は『インターステラー』など本作を意識したSF映画が登場しつつあるが、それでもまだまだこの域には遠く及んでいない。

 映画は原始時代、月への旅、ディスカバリー号の木星への旅の三章からなるが、本作のストーリー上もっとも有名なのはディスカバリー号で人間に反乱を起こすスーパーコンピューター、HAL9000のエピソードだろう。耳に心地よい、穏やかな男性の声で話すHAL9000がふとしたことでミスを犯し、それを危険視したボーマン船長はHAL9000をシャットダウンする決断をする。それを察知したHAL9000は、冷静に乗組員たちの殺戮を開始する。船外作業に出たフランクを遠隔操作されたポッドが襲う場面も衝撃的だが、とりわけ背筋が凍るのは、人工冬眠している三名の生命維持装置に異変が起きる場面だろう。悲鳴も怒号もなく、静謐な船内に突然アラームの音が鳴り響き、脳波や心拍数を表示するディスプレイの波形がだんだんと直線に変わっていく。HAL9000の視覚装置である赤いランプだけが、冷たく光っている。こわい。

 そして、命がけで船内に戻ったボウマン船長がHAL9000のメモリをどんどん抜いていき、いつもの穏やかな声で(HAL9000はこの喋り方しかできない)命乞いをしていたHAL9000が狂って、歌を歌い始めるあたりで、この映画の荒涼とした感覚は頂点に達する。地球を遠く離れた太陽系の果てで、ただ一人狂ったコンピューターと殺し合いをするボウマン船長。この光景はあまりにもすさまじく、シュールレアリスティックでありながら強烈にリアルで(「とことん見せてやる」というキューブリックの執念の帰結)、当時の観客全員の脳裏に映画的トラウマとして刻み込まれたのは言うまでもない。これ以後、HAL9000はコンピューターの狂気を表す代名詞となった。

 その後はもはや、かろうじて保たれていたストーリーの体裁がすべてかなぐり捨てられ、ひたすら観客の理解を拒む宇宙の深淵描写が全開になる。延々と続く視覚効果の嵐のあと、光り輝くロココ調の部屋が出現し、ボウマンが一気に歳をとっていく。部屋の中にモノリスが出現する。ラストシーンは、あの有名なスターチャイルド。映画関係者でこのラストの映像を知らない者はモグリだろう。青い地球を見下ろす胎児。荘厳に鳴り響く「ツァラトゥストラはかく語りき」。圧倒的な映像と壮絶なまでの不可解性が融合し白熱した瞬間、スクリーン上に観客全員を暴力的に突き放すエンド・クレジットが表示される。

 こうして、この異常な、唯一無二のSF映画は幕を下ろす。映画だけ観た人はこのラストであまりのわけ分からなさに茫然自失状態に陥ることと思うが、そのわけわからなさもまた作品のマジックの一部、といってもまあ、間違いじゃないだろう。キューブリックは最初全篇に入れる予定だった「説明」のナレーションを、映画のマジックを損なうという理由ですべて削除したそうだから。

 が、心配はご無用。意味が分からないと気になって眠れないという人は、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』を読むとよい。気になっていた部分の意味が分かり、同時に、今度はSF小説ならではの衝撃的なセンス・オブ・ワンダーを味わうことができるだろう。



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2 コメント

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Unknown (SIGERU)
2016-06-20 21:45:48
「2001年宇宙の旅」は、三大SF映画(「惑星ソラリス」「ブレードランナー」)の中でも頭一つ抜いた名画ですね。「スター・ウォーズ」は私も大好きですが、視覚美だけ取り上げても、スター・ウォーズの宇宙船が隘路を疾駆していく爽快な戦闘場面よりも、2001年のラスト近くの幻想的なワープ映像の方が、表現としてすばらしい。そう思います。
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ソラリスと2001 (ego_dance)
2016-06-27 11:06:04
タルコフスキーの『惑星ソラリス』も凄い映画ですが、あちらがタルコフスキーの形而上学というか観念をSFのアイデアを借りて描いた映画だとしたら、『2001年宇宙の旅』は宇宙の神秘そのものに迫った映画のような気がします。何よりも、宇宙にいる人間の絶対的な孤独感をここまで表現し得たSF映画は、他にないのではないでしょうか。
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