アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ホテル・ニューハンプシャー

2012-06-11 20:08:21 | 
『ホテル・ニューハンプシャー(上・下)』  ジョン・アーヴィング   ☆☆☆☆★

 『ガープの世界』で有名なジョン・アーヴィングをまだ一冊も読んだことがないと気づき、休暇中に読むために『ホテル・ニューハンプシャー』を買った。なぜ『ガープの世界』じゃないかというと紀伊国屋書店に置いてなかったからである。家に帰って調べると『ホテル・ニューハンプシャー』も『ガープの世界』に劣らない傑作と評価されているので安心した。Amazonのカスタマーレビューでは絶賛の言葉が並んでいる。また、本書のあとがきでは村上春樹の言葉が引用されていて、いわく「……『ホテル・ニューハンプシャー』という複雑で明らかに優れた小説をそのようなフェイズでのみ一望できる読者がそれほど沢山いるとは僕には思えない」

 確かに、村上春樹に通じる世界である。訳者もいうようにこれはおとぎ話であり、アンチ・リアリズム小説だ。登場人物はデフォルメされていて非現実的な出来事ばかり起きる。物語の主人公である家族において長男はゲイ、長女と次男である「ぼく」は近親相姦的愛情関係にあり、次女は小人症、かつ長じて作家となる。物語は父と母の出会いが回想によって語られ、そこから子供達が誕生し父がホテル経営を決断し、ニューハンプシャー州デーリーのホテル・ニューハンプシャー、パリのホテル・ニューハンプシャー、そしてまたアメリカに戻ってメイン州のホテル・ニューハンプシャーを経営するまで年代記的に進む。

 その中で数々の悲惨な事件が起きる。長女がレイプされ、三男と母親が飛行機事故で死に、作家になった小人の次女は自殺する。それ以外にもテロリストたちのオペラ座爆破計画に巻き込まれたり、その中で家族の友人であるフロイトが死んだり、数々の劇的かつ痛ましい事件が起きる。しかし小説はそうした事件をオフビートなユーモアとおとぎ話的軽やかさでくるみ、透明感とともに読者に呈示する。小説世界は痛ましく、哀しみに満ちているが、小説のトーンは軽やかでチャーミングだ。

 そういう意味で、私は本書からソフィスティケートされた、あるいは村上春樹化されたボリス・ヴィアンのような印象を受けた。またこのユーモアと哀しみの同居はヴォネガットを連想させるところもある。

 アンジェリックな異形の世界。『ホテル・ニューハンプシャー』を一言で言い表わすとそうなる。悲惨な事件に数多く遭遇しながら、また痛ましく傷つきながら、この小説のキャラクター達は天上的なイノセンスを失わない。ソロー(悲しみ)という名の飼い犬、あるいは自分の醜さを恥じるがゆえに常に熊のぬいぐるみを着ているスージー、それらがこの小説の本質を示すシンボリックなアイコンである。そういえば、この小説にはのべつまくなしに熊が出てくる(物語は父と母がフロイトから熊を買うところから始まる)が、作者は熊に何かオブセッションでもあるのだろうか。アーヴィングのデビュー作は『熊を放つ』という小説である。

 アーヴィングは現代作家には珍しく、ストーリーの面白さつまりプロットの起伏に文学的価値を置き、重視しているらしい。その観点から感傷性やメロドラマ性も擁護しているようだが、確かに本書にはいささかメロドラマティックな部分がある。私はその点に多少懐疑的なので星五つには至らなかったが、これは好みの問題であって、本書が現代アメリカ文学の傑作であることに異論はない。

 特に、この作家の透明感のある文章はとても魅力的だ。前半、父親と母親が出会うホテルの描写はまったく美しく、甘美なノスタルジーと夢のような光に溢れ、私が一番好きな場面である。ダンス・パーティーが終わると海から船に乗って白いタキシードの男が現れ、完璧な手つきでタバコを吸う。まだ学生だった父親は、その男を神話の中の人物であるかのように見つめる。白いタキシードの男はまた船に飛び乗り、何事か言葉を残して再び海へ消えていく。「男が言った言葉が聞き取れなかったことを父さんは終生残念がった」。

 若者がこれからやってくる未来に抱く期待、不安、憧れ、甘美なおののき、それらをこれほどまでに美しく描き出した場面を、私は他に知らない。


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1 コメント

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★5つでもいいんじゃないですかね。 (Adolf )
2015-01-01 21:46:58
映画も非常によい出来で感動したし、原作はもっと細かな描写をできていた。巡回パトロールの老人警官ハワード・ダックが、ホテルの煌々と光るライトアップのあまりのまぶしさにその限界を超えてこの世から去る描写など、並みの作家ではできない。

また、Keep passing the open window(死んでしまうから開いてる窓に近づくな)

Life is only fairy tale(人生はおとぎ話にすぎない)

など、並みの作家で書けないです。


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