アブソリュート・エゴ・レビュー

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望み

2018-12-13 21:38:19 | 
『望み』 雫井脩介   ☆☆☆☆

 『犯罪小説家』に続いて雫井脩介本を読了。これはまたかなり趣向が違って、ごく普通の家庭を舞台に、重たいテーマをリアリスティックにストレートに描き出した小説である。

 主人公の石川一登(いしかわかずと)は自分の事務所を構えている建築家で、妻の貴代美(きよみ)はフリーランスの校正者。二人には高一の息子・規士(ただし)と中三の娘・雅(みやび)がいる。規士はこのところ反抗期で、かつケガが原因で好きなサッカーを止めたこともあり、少々荒れている。親としては心配だが、あまり押さえつけるのも逆効果と思って様子見の状態だ。ただ顔にあざをつけて帰ってきたあと、机の引き出しからナイフが出てきた時はさすがに父親の一登が注意し、ナイフは取り上げた。しかし一登も貴代美も、やがて息子が立ち直ることを信じている。

 そんなある日、規士が行方不明になる。折も折、乗り捨てられた車のトランクから高校生の遺体が発見され、運転していた二人組が逃走中というニュースが報道される。被害者が規士の友人だったことが分かり、石川家に不穏な空気が立ち込める。もしや、規士も事件に関係しているのだろうか? だとしたら、規士は被害者なのか、あるいは加害者なのか? すぐに石川家の周辺にマスコミが出没し始め、一登の仕事にも影響が出始める…。

 最初に書いた重たいテーマというのは、家族が殺人事件の関係者になることによってごく普通の家庭にもたらされる不幸であり、特に加害者家族の苦悩である。本書では規士が被害者なのか加害者なのか最後になるまで分からないが、マスコミや世間は石川家を加害者家族として扱い始める。決まっていた仕事はキャンセルされ、取引先から高圧的に絶縁を通告され、親戚からも縁切り宣言を受ける。マスコミからは「被害者遺族に対してコメントは?」と質問を浴びせられ、家の門は卵やペンキで汚される。理不尽きわまりない話だ。一登は「あの子が加害者と決まったわけじゃないんだ」と主張しながら、もし加害者だったら、と考えないわけにはいかない。おそらく、こんなことはまだ序の口と思えるような生き地獄が、自分たち一家を待ち受けているだろう。

 多分ストレートに規士が加害者だったというストーリーでも十分読ませる作品になっただろうが、この小説の巧みさは、規士が加害者か被害者か分からないとした設定にある。そこは本当にグレーにしてあって、この書き方なら加害者ではないはずだ、と読者に思わせるような伏線もなく、むしろ序盤の規士の荒み方は加害者であっても全然おかしくない。だから読者は、「加害者家族」として世間から扱われる石川家の苦悩に加えて、自分の息子をどう信じるのかという両親の葛藤をリアルに感じながら読み進めることになる。

 そして、ここで父親である一登と母親である貴代美の思いがすれ違う。一登はあの子が加害者であるはずがない、だから被害者のはずと考え、貴代美はたとえ間違ったことをしても生きていて欲しい、だから加害者であって欲しいと祈る。一登は貴代美を現実から目を背けていると批判し、貴代美は一登を世間体しか考えてないと批判する。こうしてごく普通の家族であった石川家は、事件をきっかけに引き裂かれる。お互いに不満を持ち、諍いが起きるだけでなく、自分自身の心の奥底をのぞき込んで苦悩するようになる。

 言い換えれば、本書は息子が被害者か加害者か分からない状況、というほぼワンアイデアで成立した物語と言ってもいい。これが本書中ほとんど唯一のミステリーであり、小説全体がこの疑問をめぐる葛藤を突き詰めていく構造になっている。それ以外のストーリー上のひねりはほとんどないし、終盤になってあっと驚く展開があるわけでもない。きわめてストレートな直球勝負。作者はギミックを排し、ひたすら渦中となった父、母、妹のそれぞれの思い、そして彼らを取り巻く状況を掘り下げていく。

 ぞれにしても、現実に殺人事件の加害者家族となったらやはりこの小説で描かれているような扱いを受けるのだろうか。本人以外は何の罪も犯していないにもかかわらず、文字通り地獄の苦しみである。社会的に抹殺され、子供がいたらその将来まで閉ざされる。まったく不条理だ。別の町に引っ越してやり直すといっても、情報網が発達した今の世の中、過去がバレればそれまでである。恐ろしい。
 
 読んでいて楽しくなる小説ではないが、登場人物たちの苦悩がギリギリと迫ってくるようで、緊張感をもって一気読みさせられてしまう。さっき書いた通り結末もあっと驚くものではなく、あくまでストレートに、想定の範囲内で収束する。石川家の苦悩はその深さにも関わらず一本調子であり、何かのきっかけで思いがけない真実がこぼれ落ちてくるようなこともなく、従って物語全体が少々平坦に感じられることは否めない。

 が、これは目先の面白さを追求した小説ではないので、それを欠点とするのは筋違いだろう。一歩間違えばどこの家庭にも降りかかり得る極限状況が、刃のような鋭さと容赦のなさをもって読者に迫って来る。



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