コネチカットから来た夫婦
199x年の夏、ぼくは休暇をとってバーモントの湖畔にある小さなベッド・アンド・ブレックファストに投宿した。それはひとり者の気ままな旅で、休暇の最初の頃は愉しさで夢見心地だったけれども、一週間を過ぎる頃には人恋しさで気分が滅入ってきた。バベル夫妻に出会ったのはそんな時だ。朝食のエッグ・ベネディクトを食べている時、社交好きの宿の主人が食堂に入ってきて、 . . . 本文を読む
イタリアン・レストランにて
ぼくたちは映画を観たあとで、港区に最近オープンしたばかりのイタリアン・レストランを訪れた。ミシュランの三ツ星シェフが経営する店で、すばらしい料理を出すという評判だった。白い外壁に赤い屋根、プラタナスの木立の陰の階段、ロココ調の鉄柵に優美な蔦が絡まった店の外観は、まるでヨーロッパの古い町の絵葉書のようで、ぼくたちの期待感を高めるに十分だった。外はま . . . 本文を読む
香りの逃亡
香水の瓶をあけて初めて、私は香りが逃げてしまったことに気づいた。オパール色の液体はそのまま残っているのに、まったく何の香りもしない。私は愕然とした。もちろん、そのままにしておくつもりはなかった。その香水を手に入れるために、私は大変な犠牲を払ったのだ。すぐに探索を開始する。幸運なことに、最初の重要な情報は簡単に手に入った。香りは私のアパートの窓から逃げ出し、ベラン . . . 本文を読む
フレンズ
去年の9月頃、日曜日の夕刻に私の家のドアをノックする者がいた。ドアを開け、60代ぐらいの赤ら顔の男がニヤついてつっ立っているのを見た。
「こんなに近くに住んでいるなんて、今の今まで知らなかったな」と男は言った、まるで久しぶりに再会した親友に話しかけるみたいに。「知ってるか、おれの家はそこの角を曲がった二つ目の通りなんだ」
私はすぐ、彼がだれか他の人間と私を取り違 . . . 本文を読む
HB爆弾に関する報告書
遺憾ながら以前とはすっかり変わってしまった私たちの現在の社会のありようを記述するにあたって、やはり私自身の経験を最初から語り起こすことがいちばん妥当で、理に適っているように思う。というのも、私はきれいに梱包されて誰からともなく郵送されてくるあれら無数の爆弾、あの致死性の贈り物を最初に受け取ったグループの一人に違いない、と思えるからだ。ただし言うまで . . . 本文を読む
人形つくり
当時、京の都のはずれに城山又右衛門という裕福な商人が屋敷を構えていた。又右衛門には係累がなく、若くして妻をなくして以来ずっと独り身を通していたため、孤独には慣れ親しんでいたが、とはいえ気難しい性分でもなく、人前では物柔らかな物腰で気をそらさない男だった。私生活では風流を愛し、余暇は趣味に打ち込んで過した。趣味とは人形の蒐集で、古今東西の人形、それも一級品ばかり . . . 本文を読む
ゴールデン・グローブ座
今、あの小さな島の中だけしか知らずに過ごした人生最初の15年間を思うと、まるで夢の中のような気がする。そこではすべてが他の場所と違っていた。島の中の世界は、いうなれば私たちが時折色あせてセピア色になった写真で目にする蒸気船や複葉飛行機、そしてそれを取り巻いて笑みを浮かべる人々が遠い過去の時代に属するというような、まさにそのような意味で古い時代に属して . . . 本文を読む
自画像
彼は、シチリア島の寒村に生まれた。19xx年、それはヨーロッパがまだバラ色の未来を夢見ていた頃のことだ。画家の幼年時代はほとんど知られていない。両親をなくした後、ミラノに住む遠い親戚が、市から支給される支度金とともに少年を引き取った。一家は小さな文房具の店を構えて、つましいが実直な生活を送っていた。家にはまだ四十前の夫婦と、彼より年上の男の子が一人、年下の女の子が . . . 本文を読む
人魚の襲撃
時は13世紀の半ば、場所はコタンタン半島にほど近い沿岸の港町ローゼンスタール。世界中のあらゆるものが行き交うこの新興の港町で特に盛んなのは亜麻、羊皮紙、香油の交易である。人口は増え続け、道路と下水道は整備され、新しい事業に投資家たちが群がる。手入れされた散歩道と広壮な館の数々からなる区画が蜃気楼のように出現し、広がり、この土地を金持ちたちが午睡の中で夢見る蜜の国 . . . 本文を読む
ローマに死す
象の墓場のことをいつ、誰から聞いたのかも憶えていないし、何十年間もすっかり忘れ去っていたのは確かだったが、その時マディソン街のドクターのオフィスでマルセルの頭に浮かんできたのはそのことだった。死期を悟った象は自分の死にざまを誰にも見せないよう、人目につかない場所にある「象の墓場」に向かうという。そのイメージが突風のように脳裏を駆け抜けて目をくらませたために、 . . . 本文を読む