アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

宇宙のランデヴー

2015-11-23 23:44:58 | 
『宇宙のランデヴー』 アーサー・C・クラーク   ☆☆☆☆

 子供の頃に読んだ『宇宙のランデヴー』、改訳決定版を入手して久々に再読。とても面白かった。やはりこれは名作である。

 名作であるけれども、同時にこれはとても奇妙な物語である。地球に接近してくる隕石らしき物体を観測すると、実は巨大な人工物であることが分かる。ラーマと名づけられたこの物体の飛来コースを調べた結果、長い年月宇宙を漂流しており、中に生命体がいる可能性はゼロと判定される。調査すべく探査チームが派遣され、ラーマの内部に入り、目的も機能もさっぱり分からない建築物の数々を調べる。ラーマが再び太陽系の外に飛び出していくまで、調査に使える時間は限られている。ところが太陽に近づくにつれ、ラーマの中で何らかのスイッチが入ったかのように、次々と変化が訪れる。人工太陽が輝き始め、外郭が暖められたことで風が吹き始め、やがてハリケーンが発生する。機械か生物か分からない物体が活動を始める。さらに驚くべきことに、ラーマが軌道を変えつつあることが分かる。この謎の物体は死んでいなかったのである。果たしてラーマは、一体何のために太陽系に飛来したのか?

 物語は基本的に、ラーマ内部を調査する調査隊と、地球にあって調査結果を踏まえその目的や機能を分析するラーマ委員会の、二つの活動を軸にして進んでいく。単なる「廃墟」だと思われていたラーマが蘇り始めてからは物語が緊迫の度を加え、破壊しようとする試みさえなされるが、結果的にラーマは太陽系で何をするわけでもなく、また外宇宙へと飛び出していく。

 結果的に、ラーマとは何だったのかさっぱり分からないまま小説は終わる。謎解きはない。奇妙な物語といったのはこのことである。極端な話、これはある日遠い宇宙から飛来した不可思議な存在を、ただ細々と精緻に描写しただけの小説といっていい。世の中にはレーモン・ルーセルの『アフリカの印象』や『ロクス・ソルス』のように、奇怪なオブジェをただ羅列しただけというシュルレアリスム小説があるが、本書も基本はそれである。これはラーマという巨大オブジェとその驚異の数々を描写する小説であって、人間いかに生くべきかや人間性の真理などとは無縁だ。

 しかし、これが面白い。数々の「驚異」が圧倒的迫力で迫ってくる。これこそセンス・オブ・ワンダーであり、SF以外の小説では絶対に得られない感動である。あとがきにアーサー・C・クラークの「ほんものの宇宙はいかなる奇蹟よりも奇蹟的であるという事実は動かせないだろう」との言葉が引用されているが、まさにその言葉を形にしてみせたような作品である。

 不可知の存在を不可知のまま描くという意味では『惑星ソラリス』に似ているが、ただし『惑星ソラリス』が哲学的だったのに対し、本書『宇宙のランデヴー』はあくまでハードSF的にディテールの精緻さで勝負する。まさに人間が五感で感知できる、オブジェとしての「不可知」を提示してみせる。自転する巨大な円筒形の中で作用する重力や飛行や、あるいは遭難者の救出方法など、その精緻なリアリズムはアーサー・C・クラークの面目躍如で、また実に読みやすい。

 ディテールの話をすると、ラーマの機械生物たちの生態も面白いが、すべてのものが3という数字をベースに構成されている点も興味深い。機械生物も三本足で歩行するし、花に似た物体も三つがセットになっている。スピルバーグの映画『宇宙戦争』でも異星人の殺戮兵器は三本足で歩行していたが、どうやら3という数字は地球的ではなくエイリアン的であるらしい。また、調査隊の指揮官であるノートン中佐の采配にはプロフェッショナルなストラテジーと経験知を感じさせて小気味良いが、これは傑作『渇きの海』と同様である。

 予想を裏切り続けるラーマは最後の最後まで科学者の予想を裏切ってどこへともなく消えていくが、やれやれと思った後の最後の一行が強烈である。読者は頬をひっぱたかれた気分で本書を読み終えることになるだろう。普通に生活する中ではめったに味わえない、宇宙の驚異をまざまざと実感させてくれる小説。いやーSFってホントにいいものですね。



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