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「反専門家主義」が顕在化したブログ世界

2005年07月25日 18時56分19秒 | 社会全般
今全世界で反乱が起きているそうだ。まだ名前がないそうだが、そのイデオロギーとは「反専門家主義」ということらしい。そういう反乱が世界的に氾濫しているようである(いつも下らないダジャレで失礼)。

24日の読売新聞朝刊の「地球を読む」は、時々登場するアルビン&ハイディ・トフラー夫妻でした。この2人をもってしても、「ブログ」という社会現象についての記述を避けることは出来なかったということなのでしょう。勿論日本と米国のブログの状況が異なっているだけに、同列に論じることもできないでしょうが、トフラーの記事を非常に興味深く読んだ。夫妻が示したのは、冒頭に書いた「反専門家主義」というイデオロギーであった。何となく以前に読んだ記憶があるような・・・って、bewaad さんの記事でしたけれど。「反専門家主義」というのと「反知性主義」というものには多少の違いがあるのかもしれないですけれど。まあ、大体似たり寄ったりということで(笑)。


リチャード・ホーフスタッター著『アメリカの反知性主義』に見られるように、米国における「反知性主義」には伝統がある。ブログの登場よりはるか以前から、イデオロギーとして存在していたと言ってもいいのだろうと思う。ところが、昨今のブログによって生じてきた「反専門家主義」というのは若干趣きがことなるのかもしれない。反乱というほどのムーブメントではないと思うけれども、蔓延している風潮というのは、やはり「反専門家主義」という側面が捉えられているのだろう。政治の世界では、「反知性主義」も「反専門家主義」も同様の結果を生み出す。それはどちらも公職経験を積んだ政治の専門家には、多くの期待が集まらないということであり、著名人に代表される政治家が好まれるということである。これは米国も日本もインドも記事中で例示されていた。

「反専門家主義」では、職業的専門家に対する懐疑心が見られるのであり、米国の場合には特にメディアについての疑念が日本以上に強く表れたと思われる。ダン・ラザーの一件やコーラン冒涜疑惑事件などがその代表例として記事中でも挙げられていた。こうした政治やメディアへの疑念以外にも、資格要件への疑惑の増大も見てとれると述べていた。この資格についても、カナダの社会学者ベンジャミン・シンガーの次の言葉が紹介されていた。
「資格制度は、皮肉な問題を生み出した。人々や諸組織は常に制度の抜け道を探そうとするからである」

こうした資格制度の裏側を見透かされた専門家たちに頼る必要性が少なくなり、また信頼するべき相手を判定する能力は格段に向上したと「反専門家主義者たち」は信じているというのである。

そして、記事中に「反専門家主義」の核心は次のように示されている。
「古い制度は正統性の危機に直面している。これは権威の危機である。情報と資格制度に関する専門家たちの独占体制に風穴を開けることによって、人々は、いわば自分自身が自分のための権威となることを模索しているのである。」


すなわち、「反専門家主義」が氾濫するブログの世界では、「正統性の危機」「権威の危機」なのである。情報・知識をもたらす技術によって人々の判定能力は高まり、専門家たちの情報のウソを見つけ出すことが出来るようになったということであろう。以前に少し書きましたが、「サイバー・デモクラシー」を醸成する為には「専門家の意見・情報が重要」であると思っていたのですが、「反専門家主義」の流れからは、否定的と言えるのかもしれない。ブログの誕生によって、従来独占的であったはずの領域で専門家たちの信頼性が減弱しているのであり、今までは通用していたのに、情報や意見などにある穴やウソがバレやすくなったに過ぎないのか。そしてそれは、専門家自体は何も変わってはいないが、人々が接する情報の質の変化によってもたらされた結果なのだろう。


「サイバー・デモクラシー」が醸成される為には、専門家以外の人々―それはつまり自分―が、自身で信頼に足る情報を見つけ出し、その情報に接することでしかなし得ないのだろうか。「反知性主義」では、知識人支配を拒絶し、知性と知識人への疑念が憤りへと結びつき、平等主義や所謂実践主義の重用となって表れるのであろうが、「反専門家主義」では正統性と権威への疑念を持ってはいるものの、体制への憤りへと繋がっていく部分は多くの領域で見られる訳ではない。政治的には、確かに似ていると言えなくもないのであるが。


正統性と権威の失墜というか脆弱化は、知識人たちに起因するものであり、ブログ参加者である人々に原因があるということでもないように思える。つまりは、独占的に情報を有していた旧来の専門家達は、一般大衆を欺き、煙に巻き、誤魔化し続けてきたに過ぎないのかもしれない。今後は大衆との情報の共有化が進んだとしてもなお、知性の発揮が可能な真の知識人としての専門家が求められることになり、欺瞞のない情報・意見の出せる人間が支持され得るのと同時に、そういう人間のみが正統性と権威を維持することが出来るのだろう。そんな知識人はどれほど存在しているのだろうか?「ブログ文化」(一応そういう名称を当ててみました)に根ざす「反専門家主義」に対抗できる程の、知識人とは果たして登場するのであろうか(笑)。


私も既に、こうした「反専門家主義」に感染した形跡がある(笑)。自然に侵されたのか、元来有していた個人的資質によるのか、はたまた、強力なブロガー(例えばアルファーブロガーなどと呼ばれる人々?)に感化されてしまった為なのか、よく分らない。今までに自分が専門家批判を繰り返してきた傾向があることを思い起こせば、このような「反専門家主義」は自然発生的に生ずるものであると思えるのだが。違うだろうか?


「サイバー・デモクラシー」の実現には、また一つ大きな障壁が判明したと言えるだろう。「反専門家主義」を乗り越えられる知性を期待しつつ、多くのブログ参加者にもそれが理解され、政治的姿勢が単なる著名人崇拝で終わらないように祈りたい(笑)。



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11 コメント

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反権威主義 (o_sole_mio)
2005-07-25 23:36:35
私の偏見もあるのかもしれませんが、日本のいろいろなところで、権威と専門性が必ずしもリンクしていないように思います。



学問の世界で言えば、海外の大学であれば、きちんとした研究ができない教授はクビになるそうです(Publish or you will perish)。一方、日本の大学ではほとんどのところでその地位は定年まで保証され、ひどい教授は、学生の書いた論文に自分の名前を書いて発表するそうです。



官の世界でも前例主義などサイエンスなき官僚のルールに縛られ、権威が一人歩きしているように思えます。私はそういった権威が先に立つ専門家というものに常々疑問を持っています。



また、もう一つの疑問は「専門家が常に正しいのか」ということです。例外はありますが専門家は視野が狭くなる傾向にあり、視野の狭い専門家よりも視野の広い素人の方が正しいこともしばしばあります。



このような「似非権威」を排除するために「反専門家主義(反権威主義)」としてのブログ文化が盛り上がる事は決して悪くはないと思います。「権威」も評価され、選択される時代になったのではないでしょうか。
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内省の必要性 (neo_central_dogma108)
2005-07-26 01:40:05
確かに専門家・知識人が畏敬されなくなってきているのは彼ら自身に原因があるとは私も思います。



特に日本の場合、専門資格を有する職種でも殆どが一度資格取ったら更新必要なく安泰ですし、o_sole_mioさんが指摘されておられるように大学教授でも大学内の権力争いに熱心でロクに研究しない人だったり、ジャーナリストでも芸能人化して自分の専門外にまで手出して質の低い主張垂れ流す人だったりもいます。



一方で、ブログを始めとしたネットの世界では、専門家でない素人でもきちんとした目的と根拠がある論を述べているまともな人も沢山いますが、感情論・印象論に終始したり、自分の好き嫌いや偏見が先にあってそれに合った根拠を寄せ集めて後付けするような人もそれ以上にいます。(もっとも人のことは言えませんが)



一握りの専門家が示す「正しさ(解答)」が絶対でなくなっている今は、専門家であろうと素人であろうと、何かについて自分の意見主張を持ち発信するのであれば、「情報収集・知識の研鑽・思考の熟成を常に怠らないこと」「正解を容易に導き出さないこと」「自己批判まで行かなくても自分の意見の知的水準に対する内省の姿勢は常に持つこと」が必要なのは間違いないところではないかと。



最近擬似科学がらみの事件が随分目に付きますが、ネットという書き手にも読み手にもフィルターのない言葉(文字)だけの世界が広がれば広がるほど、こういう類の事件も更に増える可能性が高いです。

これはこれで怖いですよね。
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Unknown (まさくに)
2005-07-26 11:12:58
>o_sole_mioさん



おっしゃるように、「権威が評価され選択される時代」というのが、ブログによって盛り上がって来ているのだろうと思います。これは、よい傾向の変化ですね。



>neo_cetral_dogma108さん



私にも内省が必要です、本当に(笑)

読み手依存でもよいのかな、と思ったりしますが、これはこれで危険性があるかもしれません。「書き手にも読み手にもフィルターのない言葉」は、私にとっても非常に痛いです(笑)。



ただ、私には通常誰も権威や正統性を求めたりはしないと思っておりますので、心配は少ないとも思っているのですけれども。ダメでしょうか?(笑)
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残念ですが (小倉秀夫)
2005-07-27 02:09:35
 残念ながら、専門家の嘘を見抜くところまでは言っていないように思います。現在できているのは、専門家の意見が気に入らない場合に、嘘だと決めてかかって集団で嘘だということにしてしまって納得してしまうことくらいでしょう(人権擁護法案騒動などその典型ですね。)。



 「周囲の人々は洗脳にかかったままだが、自分は○○のおかげで洗脳が解けた」というのは一般的には非常に危険な状況なのですが、ネット上にはこの種の言説があちらこちらに見受けられます。
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Unknown (neo_central_dogma108)
2005-07-27 02:40:48
いえいえ、まさくにさんに(直ちに)内省が必要とは思ってないですよ(笑)



日常での営業や勧誘シーンやTVのニュースなどとは違い、ブログも「文章」ですから、世に出る出版物のようにフィルターがないとはいっても、文面を「きちんと読んで」表現や言葉の選び方や論の展開などを見ていれば、ある程度は書き手の見識の度合いや姿勢などは読み取れますからね。(「カセット効果」になってしまうと困るんだけど)



まさくにさんご自身に権威や正統性を読み手が求めることは少ないかもしれませんが、まさくにさんのこのブログは、扱っているテーマがテーマだけに、読み手が期待しているレベルは結構高いかもしれません。



その意味での内省は少しは必要と言えるかもしれませんね(笑)私のブログはノンジャンルで訪問者も少ないけどそれでも一応そういった面気にして書いてますしね。
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専門家のウソ・・・ (まさくに)
2005-07-28 12:23:04
>小倉先生



お久しぶりです。コメント有難うございます。

そうですね、完全に見抜くのは容易ではないですね。ただ、「権威」への疑念は確かに存在しそうで、日米関係なくトフラーが書いているのと同じような印象を持ちます。

あちこちに「フィルターのない言葉」(ドグマさんの記述された)が存在するというのは、私自身を含めてそうだと感じます。



>neo_cetral_dogmaさん



以前から最も気にしていたことは、私自身が書くことは通常単なる思い付きに過ぎず、それを「裏取り」「絶対に正しいこと、真実のみを書く」ということに限定するとしたら、これはこれで非常に困難というか苦痛というか、私には出来ないわけです(笑)。



例えば知事の調査権を考えても、私は単なる素人に過ぎないので意味はないし正統性もございません。本来法学専門家にしかその役割が出来ない訳ですが、誰かが提起しなければ話題に上ることもなく流されてしまうかもしれない。そう思えば、書いてみたい、と。



そんな訳で、率直に書くのが一番なのかな、と思ったりしてます。間違えること、多々あり。怪しげな言説更に多し(笑)。



皆様に、ご容赦下されば幸いございます。
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権威への懐疑は知性のあらわれ (酔狂人)
2005-07-30 05:30:33
天動説のように、正しいとされていた説が誤りとわかることは珍しくありません。専門家の言うことを疑うことは、知性のあらわれであり、盲目的に信じるよりははるかにのぞましいことです。

少なくとも、合理的な懐疑は、「ブログ界」の健全さのあらわれだと思います。

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はじめまして。 (ねむこ)
2005-08-02 15:38:29
他サーバーでブログを開設している者です。今回のこの記事については、私も興味を持ち、自分なりに感じたことを記事にしています。



グーグルの検索でこちらのブログを知ってお邪魔したのですが、大変勉強になりました。



ネットの普及で、専門家や体制側の人たちが、大衆に対し、より真摯な対応を迫られていることは確かです。中国でも、ネットによる大衆の強大化が問題になってますものね。



そのことの警鐘として、今回のこの新聞記事は大きな議論を生んだと思います。もしよろしかったら、私のブログ(拙いことしか書いてませんが)にも、ご意見いただければと思います(@´ー`@)
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初めまして (まさくに)
2005-08-03 00:40:46
コメント有難うございます。

そちらにお伺いしましたが、開けないので・・・スミマセン。

また宜しくお願い致します。
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願わくば・・・ (がるる)
2006-10-18 18:31:36
たぶん、その人たちは単に専門家の権威性について反抗してるんじゃなくって、その専門家と同じ視点に立ちたいと思ってるんじゃないですか?

でないと、インターネットなんていう機械文明のの産物なんか利用しないもん。ホントに既成の権威に楯突く奴は紙媒体使うよね。
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