いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「正義」や「信頼」を信じるのは愚か者か

2005年07月19日 21時11分32秒 | 俺のそれ
私は非常に青臭いことを平気で言う人間なのかもしれない。私は「正義」とか「信頼」を心底信じて、今まで生きてきたのですが、それは単なる偽善に過ぎないのでしょうか。怪しい商売とか危険な誘惑とか、そういうのはかなり見分けられると思っており、引っ掛かったりしたこともない。ウソはある程度わかるつもりだ。当然のことながら、悪い事をする人間や犯罪者などが存在することも知っている。全ての人間が善人であるとも思ってはいない。


しかし、多くの人々は善良で、そんなに酷い人というのが滅多に存在しないんじゃないか、と思って生きてきた。それに、自分の周囲の人間で、心底「コイツは酷い悪人だ」と思うことも殆どなく、そういう人間に出会うこともなかった。騙されたり手酷い裏切りにあったこともないし、陥れられたこともない(と思っている。本当は陥れられたことに自分が気付かないだけ?なのかもしれないが)。ひょっとすると、私は自分に向けられた悪意や皮肉というものが、それ程自覚出来ないのだろうか。割と打たれ強い方だと思うし(笑)。


勿論上司に嫌なヤツとかはいたこともあるけど、「人間として、コイツは悪人だ」という評価にはならないな、やっぱり。「こういうところがイヤミだな」とか「あそこがヘンなんだよ」とか、愚痴を言いながら酒の肴にすることもあるよ。でも、全否定って、まずないと思う。何か嫌なところがあったとしても、仕事上では「こういう部分は意外と正確だな」とか「指摘されたのは、こっちにも落ち度があったな」とか、別な評価も出来るということです。人間は完璧ではないし、自分にだって悪い所はいっぱいあるし、お互いさまと思うところもある。


多くの人間というのは、「正義」や「信頼」というものを持っていて、人々はそれを信じて行動しているのだと思っていた。でも実際には、どうなのでしょう?私は、馬鹿な脳天気野郎ということなのでしょうか?今までの人生で、そんなことを疑ったこともなかった。気付けないのは、やはり馬鹿だからなのかもしれない。

賢くて優秀な頭のいい人達は、私のような単純な馬鹿と違って、「正義」や「信頼」などは胡散臭くて信じていないのかもしれない。特に色々な知恵がよく働く(それもいい方の知恵ではないことも少なくないかもしれないが)、役人の世界などに生きている人間というのは、ちょっと油断すると騙されたり、他人から陥れられたり、競争に負けるように仕向けられたりするから、あまり信じられないのだろうか。


「正義」や信頼」などという奇麗事は、本当は世の中にあるはずもなく、誰もが自己の利益とか得することだけを目指していて、いつでも他人を出し抜こうと思っていたり、騙したり、卑怯な手を使ったりしようとするのでしょうか?本当は・・・現実は、そうなんでしょうか?


私はそんなことはないと思っている。基本的に信じてる。
世の中には、きっと「正義」も「信頼」もあると思っている。
多くの人は、そういう心で行動するんだと、思っている。
私の周りの人で、本当に悪い人を知らないから。


信じたくない人は、好きにすればいい。
一生疑り深く、猜疑心に苛まれて生きるのも自由だ。
もしも頭が良すぎて、悪意の全てが見え、読み切れてしまい、
その為に「正義」も「信頼」も信じることが出来ないのだとしたら、
私は馬鹿なままの方がいい。その方が断然幸せだから。


ただ、私も行政だけは、中々信じられないのであるが(爆)。