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郵政民営化の誤解~立花隆氏の場合

2005年07月08日 18時04分55秒 | 社会全般
こんな所にも大きな誤解がありました。立花隆氏の書いておられる記事を読んで、どうしてこんなに誤解が多いのか、と思いましたよ。小泉批判はご自由にどうぞ、とは思うが、郵政民営化について全くの錯誤であろうと思われる記述が見られ、民営化賛成派の私としても看過出来ない(笑)と思ったので、記事に書くことにします。

第27回 郵政民営化問題で現実味帯びる小泉首相の政治生命の終焉 - nikkeibp.jp - 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」

まず、一部立花氏の記事から、以下に一部引用します。



郵政民営化論者の最大の狙いは、なんといっても事業体としての郵政公社を解体し、郵政三事業をバラバラにして、それを民間の事業者にわけ与えてしまうことにあるようだ。

なかんずく、郵貯と簡保をバラバラにして、その持てる資金を民間の金融業者、保険業者にわけ与えてしまおうということのようだ。

郵貯と簡保は世界最大の金融事業体である。しかしそれは誰のものか。国民のものである。それは国民が長年にわたって営営と育てあげてきたものである。

この金融システムは国民の資産なのである。小泉首相がやろうとしていることは、それをバラバラ事件のごとく解体し、大きな肉のかたまりにして、「民間でできることは民間で」のかけ声とともに、周辺でハイエナのごとく舌なめずりして待っている、内外の金融資本に投げ与えてしまおうということなのだ。

これは国民の資産の切り売りどころか、投げ捨てに等しい行為だ。




このように、非常に厳しい非難を浴びせているわけですが、これらの理解が本当にそうなのか、ということを考えてみたい。


民営化イコール民間企業への売却ではありません。単に郵貯銀行と簡保会社を市場で株式公開するというだけです。勿論会社は株主達によって買われますから、「売却」という意味ではそうとも言えるでしょうけれど。ほりえもん騒動で、「会社は誰のものか」論議が盛んに行われましたから、この結論は別としても、立花氏のおっしゃるように、少なくとも国のものとか国民のものということではなくなることは確かでしょう。株を買った人達のものとなっていくでしょう。ですが、国民の郵便貯金が消えてなくなったりするわけではありません。国民の金は国民の金のままです。立花氏の文章を読むと、いかにも「国民の金」だった資産が、あたかも「他人の金」となってしまうかのような印象を与えるような気がします(これは、私だけの感じ方なのかもしれませんが)。だって、「国民の資産の投げ捨てに等しい行為」とまで言うのですから。


まず、A銀行からB銀行に住宅ローン債権だけを売却するときを考えてみましょう。この債権が総額1千億円とします。各個人がA銀行と住宅ローン契約が締結されており、この権利をB銀行に売却するとなれば、特別な理由(焦げ付きが多いとか、不良債権となっているとか・・・)がないとすると、1千億円で売却されます。B銀行はA銀行の資産を買い取りますが、各個人はローンが無くなったりはしませんね。同じように総資産10兆円のA銀行ごとB銀行に買い取られたとすると、単純に資産価値通りで買えば10兆円で、各個人のローンも預金も無くなったりはしません。預金は当然個人所有のままです。A銀行に対して預金10万円(債権として10万円)持っていた人は、B銀行に対して10万円の債権を保有したままで、その権利が消滅したりはしませんね。一般に、銀行ごと買収される時には、簿価通りということは少ないのではないでしょうか。会社組織としての価値、蓄積されたノウハウや営業力、有力な取引先、顧客情報、市場評価(株価)等、そういった全ての価値が評価されて簿価以上の資産価値として買い取られますね。ですから、A銀行所有者に対しては、簿価が10兆円であっても、例えば11兆円とか20兆円といった評価で買い取られるのではないでしょうか(よっぽど経営状態が悪い、不良債権をたくさん持っている、とかなら別かもしれないですが)。


このA銀行の所有者が政府であった場合には、簿価以上の価値で売却出来れば、「儲ける」ことになります。政府が儲ける=国民に還元されうる、ということになるかもしれないですね。少なくとも資産価値10兆円のまま政府が保有していても、それ以上の価値を国民には与えませんが、非常に高値で売却できれば国民に現金が入ってきたことと同じような効果を生み出すことになります。(概略の数字ですが)郵貯銀行の個人資産220兆円と、簡保会社の個人資産120兆円は、当然「国民の金」のままです。買い取った会社のものとして消えてしまうことはありません。買い取る側は、国民が「金を返せ」と要求すれば、当然全額支払う義務があるに決まっています。


郵政公社の総資産が約400兆円ですから、「国民のお金」を除くと、約60兆円の価値、ということになります。全額国民に払い戻しした後に残った公社が、60兆円の価値ということです。これは、郵便局・ATM網とか、組織・人員とか、営業力とかノウハウ(笑)とか、信用、ネームバリュー、・・・等が60兆円ということになりますね。国民達から集めたお金で作り上げてきた、百年以上に渡る成果が、この60兆円という資産です(笑)。政府資本金は少し入っていますが、大した額ではないでしょう。果たしてこのカラッポの郵政公社に60兆円も出して買取たい、という外資とか会社は現れるでしょうか(笑)。日産自動車の連結総資産が8兆円弱、トヨタの連結総資産が23兆円くらい(うろおぼえで、正確じゃないかも。でも大体そんくらいだったような)ですから、この郵便配達システム・郵便局網の60兆円という驚くべき価値はどれくらい凄いか(笑)、ご理解頂けるでしょう。銀行業務と保険業務で、年間2兆円を稼ぎ出せる(経常利益)でしょうか?毎年税引き後利益で1兆円残したとしても、回収するまで60年かかります。結構な投資リスクですね。これを「買いたい」という人がどれ程存在するでしょうか?もしも、これで買ってくれる人が現れたら、売った方が得だと思いますよ、はっきり言って。政府には60兆円が入ってくるんですから(笑)国債償還がかなり楽になり、しかも、バランスシートが改善できますね。60兆円のキャッシュの威力は、それは凄いですよ。公社のままで持っていても、それ以上の価値を生み出すことがなかったのに(逆に国民の金を毎年3兆円とかのレベルで飲み込んでいただろうが)、売れば結構得するんですよ。しかも、法人税だけで毎年8千億円くらい払ってくれるんですよ。


分割して、郵貯銀行や簡保会社だけを買ってくれても、国民としては何ら困ることもなく、逆に御の字でしょうね。早い話が、郵貯銀行が仮にみずほグループと東京三菱UFJグループ(名前長すぎ、書くのが面倒)に分割されてそれぞれ買収された方が、国民にとっては助かります。政府に売却益が転がり込むわけですから。但し、その場合には、人員整理などが強烈に進められるので、雇用面ではリストラされる人々にとっては大きくマイナスでしょうけれども。簿価よりも高値で売ることの方が、国民にとっては有利であるということです。郵貯銀行株や簡保会社株を市場で売り出す際に、一株当たり総資産を上回る株価で政府が売却する限り、国民も政府も損をすることはないでしょう。完全民営化後、市場の評価が下がり、株価が安くなったところで誰かが買収したとしても、一端政府に売却益が入っていますから、何ら困ることもなく、利益の大きさが変わることなどないし、誰がオーナーとか経営者となろうが、国民に損が及ぶことなどないですね(便利さには多少違いがありますが)。


立花氏は、こうした売却が、国民の金の消滅をイメージしているのかもしれないが、全然そんなことはありません。保険も定額貯金も旧契約分は継承法人に引き継がれるので、個人資産340兆円のうち、郵貯銀行と簡保会社に移管される資産はそんなに多いわけもないですし。因みに郵貯銀行は、店舗もなければATM網も持ってないんですよ(確か窓口会社の保有になります)。

前にも書きましたが(郵政民営化の真の意味は?)、郵政が保有する個人資産は全て債券買いに移して、国民が直接債券を保有して利息を受け取り、郵政公社は消滅させ、郵便事業は単独事業として運営した方が、よっぽど国民に支払われる利息は多いですし、政府の税収も多くなりますね。民営化法案で言えば、この郵便事業として残すのが、持株会社の100%保有となる郵便事業会社と窓口会社ということですね。


今の郵政公社のまま国が所有していても、評価額が60兆円以上にも達する「郵政システム」は、国民に利益を生み出すどころか、毎年3兆円以上の金を飲み込んだ上に、税金も払うことも無い。しかし、「郵政システム」を60兆円で売却できれば、国民は毎年3兆円以上税金を飲み込まれなくなるばかりか、税金として政府に金を払ってくれる(但し、その場合には、国民は郵便事業の運営費を負担しなければならない。が、果たして1兆円もかかるだろうか?)のである。これだけで、毎年軽く2兆円以上得する。



こうした仕組みを立花氏がどのようにお考えなのか、ちょっとよく分りません。しかし、記事中のような「国民のお金がハイエナの如き民間資本にばら撒かれる」というのは、必ずしもそうではないと思います。立花氏のような優秀な方をもってしても、このような誤解をされるのですから、多くの国民が誤解を続けるのも仕方がないのかもしれないですね。


今度は英国で多発テロ

2005年07月08日 00時00分07秒 | 外交問題
サミットに合わせて実行したことは、変な言い方であるが、凄いと思うし、攻撃手法としては合理的である。勿論テロを肯定したりはしないが、サミット会場付近に警備が集中していたであろうから、ロンドンは最も手薄になりがちだっただろう。戦闘部隊が出動してカラになってる居城に忍び込んで、略奪していったようなものである。サミットと同時に実行することで、「象徴的」とも言える「事件」とし、各国に示威行動としての「恐怖」を印象付けることに成功した。

事前に情報漏れもなかったようで、実行部隊はかなり以前から潜伏していただろう。ロンドンは、イスラム教徒の支援者達が多く存在しており、イスラム系住人も普通に存在しているから、事前に犯行グループを特定して逮捕に繋げることは中々困難であろうと思う。今回のテロ事件が、イスラム系による犯行という確証はないが、ロンドンやパリはテロ集団にとっては格好の活動・潜伏場所であるかもしれない。


日本では、どうしたってイスラム系の人々は目立ってしまうが、イラン人などは東京あたりにも多くいると思うので、東京だって狙われたら危険であることには変わりがない。アメリカ、スペイン、イギリスと、テロ対象が移っていったが、今後どこの国が狙われるのか分からない。テロ組織を根絶することは非常に困難であり、軍事力という「正面攻撃」ではいつまでたっても終わりがないかもしれない、ということが感じられる。

むしろ、テロの動機となる「先進国のおせっかい」を極力減らして、終わりなき「復讐の連鎖」をどこかで断ち切るような国際協力が必要なのだろうとも思う。「殺された」ということが「テロで報復」を生み、「キリスト教徒に踏みにじられた」ということが「イスラム教徒の復讐」を生み出しているような感じだ。これは十字軍時代、いや、それよりはるか昔から―ユダヤ人たちの流浪の時からか?―何度も、時代を越えて繰り返されてきたことなのかもしれない。


今後日本が、「経済的に成功した国、貧しい国から搾取する国」、「アメリカの犬」といったことを理由に、ターゲットとして狙われる可能性があるのかもしれない。現に、自衛隊派遣について、テロの標的として名指しされてしまったのですから。だが幸いにして、今までテロ被害に見舞われておらず、派遣されている自衛隊も人的被害が出ていないことは、ある意味奇跡的と言えるかもしれない。しかし、これが今後も続くとは限らない。先日の自衛隊車両の爆破事件のように、再び狙われる可能性は大いにあると言わねばならない。


撤退については真剣に考えていくべきで、それが間接的に国内テロを防ぐことにもなるだろう。大きな被害が出てからでは遅いのである。その時に、多くの国民が「仕方がなかった。国際協調の方が大事で、人的被害が出ても止むを得ないのだ」などという覚悟があるとは思えないからである。