いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「女王の教室」で泣いてしまう?

2005年07月25日 13時38分39秒 | 俺のそれ
録画してあったのを、家族で観ました。友人との信頼関係とか、疑いを抱く人間の本性・本音を子供達に投影して描き出しておりました。先日書いた「正義」や「信頼」というものについての記事にもちょっと関連していて、私の中ではタイムリーな展開でした。偶然テーマが一致してました。非常に深いドラマです。何かのキッカケがあれば、人間の浅ましさというか我が身可愛さみたいなのが出てしまいますね。「女王の教室」の原作はコミックなのでしょうか?

(お断りしておきますが、私はマスコミ関係でもありませんし、華やかなテレビ業界とも何の関係もないですよ。「ひょっとして、コイツは自作自演野郎なのか?単なるドラマ宣伝じゃないのか?」とか疑いをもたれるのも困りますし。単なる田舎暮らしのオッサンに過ぎませんから。)


「私もう泣きませんから」と言う「カズミ」ちゃんだったが、どんなに強がってもまだ小学6年生です。喘息持ちのお姉さんがまたいい味で、不覚にも泣いてしまいましたよ、私も家内も。
ウチの子は泣きませんでしたけれども。
来週の予告では、今まで以上に強烈な感じになっていきそうです。
アクツ先生がどうの、ということよりもクラスメート達が・・・所謂イジメでしょうか。


第4回まで進んで、少し分ったことがあります。
主人公の名前がカンダということは、「神田」でつまり「神」、アクツマヤで略して「悪魔」という対決構図ですね。
それと、頭の凄くいい少女、「シンドウヒカル」ちゃんは、偶然『ヒカルの碁』(漫画です)の主人公の少年と同じ名前です。とても賢いことから「シンドウ」は当然の如く「神童」を当てたものではないのかな?これも「神」vs「悪魔」ですね。
これに似てる名前が、「テンドウ」先生。「天童」ならばやっぱり「悪魔」に対抗する名前?です。お調子者の「ユウスケ」くんは・・・特に思い当たる名前じゃないな。普通のような気がします。

「カズミ」ちゃんのお母さんは毎回そそっかしくドジを踏むことになっており、敢えて「いい人だが、何も考えてない、暢気な女性」というようなキャラクターを強調しています(と、私は感じます)。その為に必ず、皿を割るとか、料理をこぼすとか、転ぶとか、ドジが描かれるのですね。


最後の結末がどうなるのか気になりますが、ひょっとするとアクツ先生はワザと酷い役回りを引き受けているんではないのかな、とも思ったりしています。何故なら、人間の「反応や行動のパターン、愚かさ、嫌らしさ」みたいなものを、気づかせることができるかどうかが重要なのだと思うからです。もしも6年3組の生徒たちがアクツ先生に「打ち勝つ」ことが出来るなら、それまでの自分たちの愚行が自覚出来るということになるような気がするのです。本当に大切なことに気づけなければ克服出来ないですし、それを知らしめる為に自ら「泣いた赤鬼」の赤鬼の役をアクツ先生が担っているとしたら・・・。ある種の権力に靡いていく一般大衆の愚かさ、自分に特権を与えられれば、より権力に同調していくという利己的な思考、そういう傾向が日本の過去の失敗を彷彿とさせるのです。アクツ先生が決める「ルール」とは「法」と同じような意味合いであり、大衆がそれを受け入れたりしなければとんでもない「ルール」は排除できるのに、「となり組」のような監視制度にも同調していくクラスメート達は、まさに「思う壺に嵌っている」のです。誘導を受けた生徒達が、元々拒否の意思を持ちながらも、次第に自ら進んでアクツ先生の決めた「ルール」に加担していることに気づかないのです。傍観者を決め込もうとする人間も、実は加担しているのと同じであると、自覚できないのです。


そんなことを思ったりしています。
次回も楽しみです。


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5 コメント

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猫とMacの日々 (みーけ)
2005-07-26 04:25:44
毎日拝見しております。

毎夜毎夜仕事を終えここを見るとスカッとしてよく眠れます。

ただなかなかコメントするには体力を使いまくる内容が多いモノで今まで躊躇しておりました。

「女王の教室」ならば私でもコメントできます。

私も「女王の教室」にはまっております。

原作はどうも無さそうでNTVのオリジナルみたいですね。

賛否両論で公式ページの掲示板では毎日論争が起きているそうです。

「この物語は悪魔のような鬼教師に小学6年生の子供たちが戦いを挑んだ一年間の記録」とクレジットが入るので

生徒が反撃していくんだと期待しております。

土曜日が待ち遠しくてなりません。
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コメント有難うございます (まさくに)
2005-07-26 10:49:20
ご贔屓にして頂き有難うございます。

前に記事にも書いたのですが、このドラマの背景には、我々「大人社会」への強烈な皮肉というか、パンチが感じられます。



現実に有り得ないとか、酷い教師とか、色んな見方があっていいと思います。親達がどう考え、教育に活かせるのか、そういうキッカケになれば、十分ドラマの意味があったのではないかな、と思います。
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第4回で微妙に見えてきたんですが (這い寄る混沌)
2005-07-26 19:37:30
 あのクラスの中で、主人公の「やってません」という言葉を信じているのは、実は、あの担任だけなんですよね。

 児童達は「こいつが犯人かどうか判らないけど犯人にしとこう(財布をとられたグループ)」「どうでもいい(その他大勢)」「こいつバカじゃないの(真犯人)」なわけで。

 そして、主人公が学校での仕打ちと、よその担任教師に手のひらを返されたこと、そして帰宅後の親の夫婦げんかで、やけくそになって走り出せば、どこからともなく現れて(マイナスではありますが)新たな「怒り」をかき立て、焦点を与えて生命の火をかきたてる。

 これはなかなか、お話の進行が楽しみです。
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いい加減に目覚めなさい (まさくに)
2005-07-28 11:31:35
コメント有難うございます。

毎週楽しみです。



犯人が出てこなかった時に、マヤは「クラス全員の連帯責任です」という措置をとった。児童たちが愚かな振る舞いとか、自分さえ良ければいい、みたいな言動が表れて、児童達の愚かさに気づかせるためだったと思う。カズミちゃんには、「盗んだ」ということを責めたりしなかった。児童たちがカズミちゃんを円に囲んだ時の、後方の真犯人の動作を見ていて、先生は真犯人が誰か判ったんだと思う。教室全体を見渡すシーンもそういう意味で入れていたんだと思うんですけれど・・・

ですが、結末が単純に「真の鬼教師」というだけで終わりだったら、ガッカリです・・・
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こりゃまたきてますね (這い寄る混沌)
2005-07-30 22:29:44
 いまだかつて、ここまで「ガキの薄汚さ」を等身大に表現したドラマはないような気がしますね、これは今年の最高傑作ではないかと。

 それにしても、今日のセリフ「自分一人で何とかしなさい」というのは、何というかこの上なく「優しい」セリフですな。

 社会に出たら誰も助けてくれないんだし。

 「人は一人では生きていけない」というセリフも、一人で生きていく必要のない人の粋がりと甘えでしかないわけですし。

 「devide and control」は植民地帝国主義時代に、被統治民を細分して、相互に安定的に反目させることで統治側に不満がむかないようにするために編み出されたシステムですが、それが最大限に効いているのが、やはり人間という生き物の性なのかもしませぬ。
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