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中国の米企業買収意欲と為替のこと(追記あり)

2005年07月21日 20時37分53秒 | 外交問題
今まで買収の話題に上ってきた二つのうち、一つは答えが出たようです。まずは、メイタグ買収からハイアールが降りたということですね。家電メーカーというレベルでは、それほど魅力的な買い物とも思えなかったようです。


NIKKEI NET:国際ニュース


その一方で、ユノカル買収にはCNOOCが意欲を見せており、買収額の上乗せも可能ということで、「喉から手が出るほど」欲しい買い物ということのようです。この話題は、以前から何度か極東ブログでも取り上げられてきましたが、中国側の執念が感じられますね。現在のところシェブロンが一株当たり63ドルという提示に対して、CNOOCは69ドルの提示も報じられており、単純な買収額の比較で言えば、CNOOCに買収される方が有利ですね。ところが、対中強硬派議員達から出されている反対もあってか、対米外国投資委員会(CFIUS)の承認がおりていない。経済取引に政治的意思が強く働けば、ユノカルはシェブロンに買収されてしまうだろう。

<中国情報局>


米国が中国に対してどのような「懲らしめ」を用意しているのか、よく分らない。中国軍への警戒感を「表明」して、単なる不快感若しくは「番長の脅し」を示すくらいでは、中国は別に困ることもないだろう。短期的に大きなダメージを与えられなければ、本格的な「脅し」にはならない。

昔の映画「ゴッドファーザー」の1シーンで、映画プロデューサーが可愛がっていた持ち馬の首を、マフィアがベッドに放り込んでおくというマジな脅しがあったが、相手を戦慄させるに十分な「脅し」でなければならない。因みにこのプロデューサーは、マフィアファミリーの男を自分の映画に使うことを一度断ったら、愛馬が悲劇を迎えたのだった(確かそんな筋だったと思うけど、間違いだったらスミマセン)。


かつて同じように米国企業買収に燃えた日本が歩んだ道、それはどうであったのか・・・


次のストーリーは、私の空想です。従って、単なるフィクションですので。


少し前の時代に、日本が米国の「脅し」に屈したことがある。
それは日米貿易摩擦が問題となっていた時期であった。


日本がバブル崩壊後に未だ立ち直れないでいた時期に、日米包括経済協議が行われており、米国は日本側に市場開放圧力をかけ続けていた。日本は昔と違い、「NO」と言うスタンスに変わっており(笑)、日米協議は度々難航し、日本側が予想以上に抵抗していたのだった。日本がバブル後遺症に悩む時期に、市場開放などを行ってグローバル化が進展すれば国内産業に大きなマイナスとなるばかりか、多くの失業者を出し相当のダメージを覚悟せねばならなかったのである。しかし、米国側は強硬に市場開放を進めるように要求してきていた。特にキリスト教圏にとって特別な意味を持つ「ミレニアム」(2000年)に間に合わせる為に、米国の描いた戦略を押し付けられていたのだった。新時代を開くミレニアムに合わせて米国企業は大挙して日本上陸を果たし、日本国内を席巻する―そんなシナリオだったのだ。


バブル後遺症は続いていたのだが、何とか景気が持ちこたえていた95年初頭。

日米協議の中で依然頑強に抵抗を続けていた日本であったが、米国側の要求は熾烈を極めていた。ウルグアイラウンドではコメ開放まで譲歩したのに。本格交渉が行われた93年初めには1ドル125円だったのが、その後の円高傾向に日本は苦しみ始めたのだ。多くの輸出企業群が耐えられると思われていた水準の1ドル110円を既に突破しており、この時期には100円近辺に貼り付けられていたのだった。2年で25円もの円高。20%も上昇していたのだった。日銀の介入程度では効果はなく、欧米金融当局は日本に協調介入すると口先では言いながらも、「日本の円安は是正されるべき」ということが態度に表れており、円高が進んだままであったのだ。日本がアメリカに「YES」と言うまで、この円高は解除させないように仕向けられたのだった。


日米協議では、それまで何とかギリギリのところでは「NO」と言い続けてきたが、米国の脅しは半端ではなかった。交渉に当たっていた米国側担当者は、「いまのうちに応じた方がお互い得ですよ。後で泣きついてきても知りませんよ」と言い残して立ち去った。日本側担当者達は、「日本にだって意地がある。今後のこともあるし、アメリカに闘いを挑まなければならない」と抵抗を続けていたのだった。その後押しをしていたのは、「日本だってNOと言えるんだ、アメリカになじられた湾岸戦争を忘れたのか」という対米強硬派の国会議員達だった。その急先鋒は、今でこそ国会議員を辞めたが、息子が議員をやっている、あのお方だ(地方自治体でも活躍できるということなのだろう)。

そんなこともあって、実務者協議での日本側では、「最後の防衛ライン」を敷いて抵抗を続けていたのだった。米国は得意としていた大規模店舗と金融自由化を強硬に迫っていた。勿論、今渦中の「郵便局」問題も含まれていた。米国側の要求というのは、米国系大企業が進出しやすい足場を築くことであり、巨大資本が猛威を振るえる環境を整備しておくことであった。
「愚かな日本人どもめ、搾取されるがいい」


バブル期に味わった米国の屈辱感を、今度は日本に味わわせる番であったのだ。
日本側の抵抗に見かねた米国巨大資本のフィクサー達から、とある指示が出た。「抵抗を沈黙させろ。買い進めるだけ買え」というものであった。巨大ヘッジファンドのトップ達に指示が伝えられた。「そうだな、日本企業の決算期を目がけて仕掛けろ。度肝を抜いてやれ。株主総会にも影響が出るだろう。それと新年度の為替予約にも響くだろうし」

米国の「脅しではない」本格攻勢が始まった。円が急騰を始めた。日本企業の多くは1ドル110円程度にしか耐えられない状況で、105円程度でも何とか耐えうる一部の輸出依存度の高い企業もあったのだが、100円割れにはどこの企業もお手上げであった。100円近辺に貼り付けられていたのも相当苦しかったのに、それ以上の円高水準はいかんともしがたかった。企業は一斉に日銀や財政当局に迫った。「一体何をやっているんだ。介入を全力でやれ。せめて100円ラインまで戻してくれ」

しかし、一向に円高は収まらなかった。なおも日米交渉でNOと言い続ける日本側に対して、米国側は無理に押しては来なくなった。「根競べだな」
米国側は、日本が根を上げるのを待つだけでよかった。巨額資金によって一気に円を買い進め、投機資金が流入してくるのを待てばよかったのだ。あとは、「金儲けの亡者ども」が勝手に円を買い進んでくれる。最初の煽りを派手にやって、ひたすら焚きつけておけば、乗ってくる連中は沢山いる。急騰を続ける為替市場。過熱してしまったら、金融当局の介入など効果が限られていた。介入によって円買い側が怖気づきそうになると、断続的に大量の円買い資金を投入して買い方を奮い立たせた。その作戦はまんまと当たり、遂に90円ラインを突破していった。

日本側には、万策尽きた感が充満していた。米国側金融当局にも協力を求めるしかなかった。「いいけどね、他の交渉中の議題もありますから、そちらはどうしましょう?」と体よく切り返された。日米協議の中でも、「どうです、応じる気になりましたか?」と確認された時には、はっきりとNOと言うことが出来なくなっていた。「今条件について、国内の意思統一を図ります。協議中です」と軟化せざるを得なくなっていた。「そうですか、いい返事を期待していますよ」と米側担当者は言った。

「よし、もう抵抗する気力を失わせる仕上げをしよう。昔も勝利が決まっていたけれど、新型ボム―原爆―を試したように。確実に戦意喪失させよう。取り掛かれ」
運用担当者達は、同じ司令を受けていた。一斉に円買い。勝つ事が分っているゲーム、勝負というのはまた異常に楽しいものなのだ。今の状況では、売り方に加勢する奴らなんている訳ない。もし無謀にも売り方に付いたら、イチコロで蹂躙されるだろう。せいぜい日銀が抵抗するくらいだろうが、無駄なあがきだ。

「祭りだ、祭りだ~。燃えろよ、燃えろ。」

最後の円買いがスタート。仕掛けられた罠なのだから、勢いがある。煽られた他のプレーヤー達も引きずられるように、円買い。抵抗が非常に弱い為に、サクサク円高が進む。キッカケを与えるのには、大して資金投入も必要なかった。最終目標ライン、80円が遂に見えてきた。燃え上がる円買い。「燃えろよ、燃えろ~」


日本側でひたすら抵抗を続けた、政治家、経済界の重鎮、省庁幹部が協議を続けていた。

「もう、アメリカの前に屈するしかありません」
「米国の要求を呑んで、協議を終わらせるしかないでしょう」
「もしYesと言えば、円高を解除する用意があるとのことです」
「100円ならまだしも、80円には耐えられない」
「このままの水準ならば、輸出企業は全滅だ」
「仕方あるまい。初めからNOなんて言わなければよかった・・・」

意気消沈した強硬派達は、最後には弱気な言葉しか出てきませんでした。
この責任を強く感じた某議員は、この年、急に謎の議員引退を宣言することになった。
米国の底力を見せ付けられ、日本が逆らうとどうなるか思い知らされたのであった。

「日本がYESと言ってきたそうだ。よし、解除してやれ。」
燃え上がっていた祭りは、急速に冷やされます。今まで買い進んできたヘッジファンドに資金引き上げが伝えられました。米国金融当局の介入も始められました。100円近辺で巨額円買いをしていて、80円で円売りドル買いですから大儲けでした。平均買いコストでも十分な儲けが得られたのでした。「勝ちが決まっていたゲーム」だったのですから。巨大ヘッジファンドが一致して買い方についていることが初めから判っていたのですから。負けることなど有り得ませんでした。一斉に円から資金が引き揚げられて行きました。僅か3ヶ月で暴騰を続けた円高ゲームは、日本側にYesと言わせ、ヘッジファンドはボロ儲けをして幕を閉じました。


その後、円は値を戻していきました。他の参加していたプレーヤー達がそろそろ潮時と思い、資金を引き揚げたからでした。ヘッジファンドが売り抜けたことに気づいたプレーヤー達は、次々に降りて行きました。今までの買いコストがどんなに損であっても、円売りを躊躇って、ぐずぐずしていては金融当局の介入の餌食となってしまいます。そうして、瞬く間に90円ラインに、夏休み頃までには100円程度まで戻していました。その後は、多少の調整局面はあったものの、ドル高が加速していくことになり、98年には150円近くまで円安が進みました。これは日本の金融危機にも一致していました。十分高くなったドル資産を持ち込んで日本へ直接投資する米国企業にとっては、ドル高は好都合であったのです。土地も株も下落していて、高くなったドルでそうした日本の安くなった土地を買い、大規模店舗やビルを建て、商売を始める準備を続けたのです。そうした準備が整った2000年頃には、日本に上陸してきた海外資本が金融・保険・小売等に展開していったのです。


こうして、日本は米国の本気の「脅し」を受け、「番長を怒らせるとどうなるか」という戦慄の恐怖体験をさせられたのです。この恐怖を知っている以上、滅多なことでは逆らえません。しかし、日本側も幾つかの手を打ち、以前のような決定的なキッカケを与えないように注意しています。しかし、完全に防げるかどうかは不明なのですが。とりあえず、米国側の仕掛けをあれからは受けていないと思います。
ヘッジファンドは円での巨額の成功に味を占めて、十分高くなったドルを持って、アジア各国の通貨に巨額資金を投入して一気に儲ける方法を取りました。しかし、日本の場合はそれに耐えられる経済力・基礎的体力を持っていたのですが、他の国々―タイ、韓国、マレーシアなど―は、セーフティ・マージンが非常に狭く、殆どが倒れてしまい通貨危機に陥りました。これによっても、日本がそれまでアジア各国へ投下した資本は、大きなダメージを受けることになりました。


これが日本の物語です。日本は再びNOと言えない国になったのです(笑)。


でもこれは空想なので、多分全然違うのだろうと思います。


中国はこうした「脅し」を受けるでしょうか?もしも、やりすぎると「本気で番長を怒らせる」ことになり、その制裁措置がどのようなものなのか、よく判りません。中国への投資資金が一気に引き揚げられたりしたら、中国企業の耐性がどの程度なのか、予測がつきません。


追記:

先ほどテレビを観ていたら、人民元切り上げのニュースが。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 人民元2%切り上げ、通貨バスケット制採用

気づきませんでしたよ、こんな大事なことでしたのに。でも、ただの実績作りにしか過ぎないのではないか、と思います。欧米の批判をかわせる、ドルペッグではなくバスケットで人民元の暴落を防ぐ、という目的を達せられるということでしょう。2%くらいの切り上げでは、殆ど変わらない水準なのではないでしょうか?よく判りませんけれども。今後、切り上げはないでしょう、多分。

番長アメリカに厳しく睨まれていたので、中国側としても「折れておこう」というふうに考えたんだろうと思いますね。強い風当たりがあれば今後のビジネスに支障となると判断したのだろうと思います。業師ですね、中々。