いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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役人は本当に生まれ変われるのか

2005年07月10日 23時14分58秒 | 社会全般
以前旧厚生次官の逮捕者まで出した厚生労働省であるが、当時の言い草というのは、お決まりの「綱紀粛正」「襟を正す」「誠に遺憾」という言辞を並べ立てていたものの、その後に「役人の意識」「お役所体質」「組織風土」というのは全く変わっていなかったことを物語っている。バレたら仕方がない、だが、バレなければやってもいい、改める必要性もない、ということなのだろう。

先日の経済産業省の裏金も、こっそり寝かせておいたものを再び引っ張り出して来たに過ぎないのである。誰もが、「明らかに犯罪だ」「他の省庁でも捕まった」「あそこもバレた」って分かっているのに、それでも裏金作りを止めることもなく、反省することもなく、やり続ける。こんな異常な精神の持ち主達が、行政を司り、「国民の為に」などというお題目を掲げて、本気でよい仕事をしているとは到底考えられない。行政に失望する大きな部分は、こうした「改めようともしない」「自己変革する気もない」「自律できない」と感じられるところである。


Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 兵庫労働局 裏金、新たに5億4000万円 214人処分、7人は懲戒免職


今回厚労省は大量の処分者達を出したのであるが、こうしたことで何が改められるのか、自律できる組織となっていけるのか、よく分からないし簡単には信じることも出来ない。何故なら、今回のような事件・処分で本当に改められるならば、以前の次官逮捕の時点で改められていて当然だからである。このような事件が起こって、他の全ての省庁とか役所・機関とかが「自主的に改める」などということが果たしてあるのだろうか。現在捜査中の談合事件でも、公団ルート解明が進められるだろうが、昔に行われていた「悪しき行為」が変わることもなく、逆に更なる隠蔽を施して犯罪行為を復活させたのだ。こんなことばかりを見せられては、本当に「綱紀粛正」などという言葉を信じられる国民がどれ程いるだろうか。


このような体質を変えていこう、正していこう、という人間は、本当に多数派なのだろうか?実際、いくら奇麗事を願ってみたところで、何も変わってこなかった。「悪いことをやっている人間は、ほんの一部に過ぎない」というのは、実は私の錯覚なのではなかろうか、とも感じる。警察裏金事件にしても、判明したところだけが問題であるかのように考えられているが、全国津々浦々、どこの警察でも行われているに決まっており、単に見つけられていないだけなんじゃないのか、と疑ってしまうのと一緒なのだ。漆間警察庁長官の言い分のように、「捜査報償費が貰えなければ治安能力は悪化し、安全上由々しき問題であり、言語道断」というセリフを本気で吐いているところが、「本気で正そうとする気持ちなどあるのか」という疑念を持たざるを得ないのである。警察組織の「組織浄化」というのも可笑しな話であるが(暴力団じゃないんだから。それとも立場が違うだけで本当は似たりよったりってことか?)、こうした異常な事態であるのにもかかわらず、トップの吐き出す言葉はまさに「役人魂」の代弁者の如き「言語道断」というのが、怒りを通り越えて逆に笑える。自分達が「異常なのだ」と判らないというところが、バッシングの標的となったJR西日本に対して盛んに語られたように、「組織体質」「組織風土」を如実に示していると言えるだろう。これを心底信頼できるという人々は、余程の「お人よし」くらいなのではないか、と思ったりする。「お人よし」でいることにも限界がある。私の場合には、特に堪忍袋の緒が擦りきれていて、非常に切れやすいですし(笑)。


民間にも同様の裏金作りが行われており、会社の金を組織的に裏金にして勝手に自分達の懐に入れたり宴会費や遊興費に使ってしまった事件があるというならば、是非教えて貰いたいものです。行政組織よりも民間組織の方が人数的には圧倒的に多いはずであり、人間が大体同じくらいの犯罪傾向にあるという乱暴な仮定をしたとしても、きっと行政組織の10倍くらいは同様の犯罪があっても良さそうです。全くの個人的着服ということは有り得るだろうが(それでも年間の郵便職員の着服額・件数よりは全然少ないかもしれないな)、役人達のような犯罪行為を組織的に行うという具体的な例を私は知らない。しかも国交省役人が主張するように「スポーツのユニフォーム」が「制服」なのであり、それは違法な支出には該当せず行政の決定権限の裁量権に過ぎない、などというとんでもない裁量権まで、何故国民がわざわざ与えてやらねばならないのか。こうしたことは、法が間違っているからでもないだろうし、法を決定する議員が馬鹿でその馬鹿な議員を選んだ国民が馬鹿だからでもない。勝手な拡大解釈や都合の良い解釈を自分達で繰り返し、あらゆる決定権限を行使して、役人達が「裁量権に過ぎない」と言い張るような、そういう体質に問題があるのだろう。


国民が信頼できる行政組織というのは、絵空事に過ぎないのではないか、役人達に期待するということが土台無理な話なのではないか、そんな失望しか浮かんでこないのも、悲しい。