いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

都議選大胆予想は全くのデタラメでした

2005年07月04日 11時33分40秒 | 政治って?
いやー、面目ない(っていうか、「最初からないジャン、何にも持ってないだろ!」と叱られるかも)。民主党の「1人勝ち」でしたのですね。欠員10って、何でですか?減ったのは、自民3、共産2、他3、ですね。増えたのは公明2、民主16で、何故か10も多いよと思ったら、この欠員分でした。今まで、辞めた人の分を補充しないままだったの?よく知らんけど。それと社民は、元々0でしたのね。減ってもかまわん、とか書いてました(郵政民営化~決戦前夜)が、最初から減る議席すらなかった、ってことのようでした。いい加減なことを書く、感覚記事であることが思いっきり証明できてしまいました(笑)。社民は、こんな狭い範囲の選挙で一つも獲れないとなると、危機的だね。本当に。もう党としての機能も価値も、失っているんでは?もう、「万歳」したら?「転べば」楽になるよ?


総括としては、「民主の勝ち」ってことになったけれど、勝敗率で言えば、公明の100%はある意味凄いというか恐ろしい。自民基盤の弱体化は公明によって何とか支えられているようなもんだな。民主は35/51で約69%、自民は48/57で約84%、となってそれほど悪くないが、前回基準で考えると、民主の大幅増、ということになりますね。自民はどの程度の勝つ気があったのか、謎です。


普通選挙戦に不利な材料を出したりはしないでしょ?先日の「政府税調発言」ですよ。何であんな時期に「冷や水」を浴びせるような大増税プランを目の前にわざわざぶら下げたのか?実は別な目論見があったのかな?


自民党内に危機意識を煽り、民営化反対派に回ろうとする議員たちへの「警告」とすること?
都議候補に「子飼い」とか「贔屓」がいる反対派議員が何人か存在して、都議候補が落選すればその反対派議員の次の選挙とか地盤に大きく影響するため?
狙いが何なのか、よく分りません。ひょっとして、単なる偶然に過ぎないのかもしれないですけれど。


でも、本日は委員会採決、明日はいよいよ衆院採決です。都議選の結果、自公連立は切っても切れない「間柄」ということが確認できたでしょうから、「公認外し」に見舞われたら、自分の選挙戦がどれ程の苦戦となるのか、考えれば分るでしょう。従って、反対に回る議員は、かなり減らされるはずです。静かに明日を待ちます。



山岡氏が放火された事件

2005年07月04日 02時49分02秒 | 社会全般
どういう裏があるのか、私には想像もつきませんね。
ブログ等にも色々書いていたようですし。

情報紙「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ)


やっぱり実名は怖い。
言論に対する制裁的行為なのか、よく判りません。
ですが、実名で書いた場合には、このような現実世界での実害を
想定しなければならないということでしょうか。

こういうことはジャーナリストの世界では普通に起こることなのかな?



経済学者は本当にノーガードなのか

2005年07月04日 02時11分41秒 | 経済関連
経済学者である田中先生のお書きになっているブログ(クールビズにみえる小泉改革の奇妙さ)を興味深く読ませて頂いている。私は田中先生の人なりなどについては、よく存じあげないのであるが、経済学的観点からの辛口評がなかなか面白い。だが、一方では、経済学者としてどのような名声や地位や信用を築いておられるのか知る由もないのであるが、一面的な見方でしか辛口評が発揮されていないことも残念である。もっと生産的な記事を期待していたのであるが、残念ながらそれは空疎な願望に過ぎなかったと思えてしまう。


何度か書いてきたが、そもそも、経済論争とは何の為にあるのであろうか?経済学者の自己満足を満たすため?自己の正当性を最終的に確認したい為?それとも、国民の為になるような経済政策を実行出来るようにする為?単に高橋洋一氏の言論の誤りを探し出して打ちのめし、自己の優越感を得る為?よく判りません。ノーガードの記事を見たときに、非常にガッカリしました。私には、経済学的素養も基礎的知識も全く持ち合わせていませんから、経済学者に知識や言論で上回れるなどとは思っておりませんが、あまりに稚拙な内容に囚われておられるような気がして、もっと有用なご意見をうかがえるものと思っていたのに、期待ハズレでした。


記事中には、クールビズへの批判と、それを拡大して適用し、政府介入・小泉改革の異常さと、高橋氏の言説の誤りについての指摘をしているのだと思いますが、私のような素人が書く記事と大して違いのないような内容に終始しているようです。「クールビズの経済効果」に関する算出方法の誤り(疑問?)と、そこから小泉政権のプロパガンダへ直結させて非難することが、本当に学者さんのするべき重要なことなのでしょうか。

何だか下らないですね、経済学って。


そもそも、クールビズの狙いは田中先生もご指摘のような「温室効果ガス」を削減することです。が、文中には「ネクタイを締めるとフロンガス削減が進まないという実証があるんでしょうか?」という明確な指摘があるわけですが、これが根本的に誤りなんではないでしょうか?経済学の専門家というのは、「京都議定書」の新聞記事などを読んだりはしないものなのでしょうか?「フロンガス」はクールビズの主眼とは思えないのですが。

CO2(2が小さく書けないです、ゴメンね)削減をどのように考えていくか、というのは、ウチの子の教科書にも出てくるお話です。私も環境問題には無知ではありますが、このCO2削減を考えた政策であろうことは容易に予想がつきます。しかし、経済学的には「フロンガス」問題の方が重要なようで、それについての経済学的問題を田中先生が詳細に検討されても結構なのですが、政策の捉え方をご自身の勝手な解釈でのみ考察するというのは、正しくはないように思います。工業・産業部門の温室効果ガス排出削減政策とは別に、家庭・オフィス部門の削減政策の実施が必要で、近年この部門のCO2排出量が増加トレンドなのであろうと推測され、それを昔のレベル(バブル期頃かな?)を目標に削減していこう、という政策として「クールビズ」が出てきたのではなかろうかと思います。まあ、私は専門家でもございませんので、田中先生に「絶対に誤りである」などとは申せませんけれども。


温室効果ガスへの認識に乏しい国民に対する、より身近で簡単な事例を通じて啓蒙することが環境省の本来の目的であろうとも思いますので、田中先生の誤認はある意味、この啓蒙の目的が十分意味があったことの証明とも言えるでしょう(笑)。なぜなら、一般国民などに比べても、十分知的水準や社会的評価が高い人をもってしても、このような基本的誤認を続けていたわけですから。



私がこのような指摘をしてみたところで、CO2は削減出来ませんし、解決策を模索することにも繋がらないことは明白です。田中先生の「クールビズ批判&小泉改革の非難」が、政策決定の一助となったり有用な助言とならないことと同じです。他人の誤りだけをいくら指摘しても、問題解決の為には一歩も前進しないのです。経済学的評価を行うのであれば、先生がご指摘の事柄もあるでしょうし、貯蓄に回さず衣服の消費支出に回そうとする消費行動への影響もよく判らないでしょう。政府が支出した微々たる広告費以上に重要な評価と思われるのは、京都議定書の目標値が達成出来なかった場合に日本(政府)の被る国際社会での信用低下による経済学的損失の評価がどうなのか、CO2取引市場での売買総額はどうなのか、などといったことであると思えますが。これらは経済学の範疇にはないのでしょうか?私にはよく判りませんけれども。


田中先生が高橋言論(私はこの高橋氏という方についても全く存じ上げませんけれども。記事や論文も読んだこともありませんし)の非難を意図していたのかどうかは存じ上げませんが、他人の言説の否定のみを目的とするならば、同じように自分の言説について非難を甘受するものと思います。しかしながら、非常に不毛な感じがします。このような議論には、何か生産的なものがあるでしょうか?私にはそのようには到底思えません。自分でこの記事を書いていて、虚しくなります。いつまでも個人的論争に拘泥されているならば、その貴重な知識とか知的資源も、時間も労力も無駄に費消されてしまうように感じます。

もっと、高度な、私のような平凡な人間の考えでは及びもつかないような専門的レベルでの、意義のある討議・論争を望みます。そういう専門家の人達の叡智の結晶といえる結論を導き出せるならば、かなり経済学的精度の高い政策実現へ繋がるものと期待する次第です。