いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「女王の教室」第5回

2005年07月31日 12時37分04秒 | 俺のそれ
「いい加減に目覚めなさい」マヤの強い一言が、カズミちゃんに投げかけられました。テンドウ先生がイジメに遭っていることを告げた時に、「教師が庇えば、余計にイジメられることが判らないんですか。自分でイジメられないように解決するしかないんです」(というような台詞)と答えたマヤは、児童のことをよく知っていての行動だと思った。


マヤに頼りたくなりそうになったカズミちゃんに、敢えて「逃げるつもりなの?自分で解決するしかないのよ」と突き放し、反骨心を蘇らせようとしたのではないのかな・・・と。何故、ユウスケくんの人形とお絵かき歌の絵がどちらもモグラだったのか、判ったような気がする。昨日の中で、「モグラ叩き」のように何度叩かれても、めげずに何度でも浮かび上がれ、という打たれ強さとか失敗にへこたれず挑戦する気持ちを象徴する小道具ということだったようだ。


やっぱり、マヤは常に児童に課題というか、ハードルを与え続けているのではないかな?
最初は代表委員を成績によって選ぶという、クラスの中に明らかな格差を作り出した。そういうダメな奴は自業自得なんだ、自分だけ楽すればいいんだ、というような児童の心を試すためだろうと思う。係りがカレーをこぼした時に、クラスの連中は全て他人のせいにして、誰一人席を立ち手伝おうとしなかった。それを見ていたマヤは、カレーを取りに行かせず、残った分だけを配るというクラス全体への「罰」を与えた。だが、そのことを考える人間は教室内には誰もいなかった。

ユウスケに酷いことを言ったのは、真実を児童達に教え、ユウスケの気持ちを代弁して、ユウスケの本当の友達になれる人間が出てきて欲しかったのだろう。あの時、その傾向にあったのはヒカルちゃんとカズミちゃんだけだった。そういう自らの不利益であっても省みない行動をとるカズミちゃんのことを、先生は信じるようになったのだろうと思う。それに惹かれつつあった、友達のいない馬場ちゃんを見た先生は、敢えて1人だけ強烈な差別をするというシナリオを馬場ちゃんと描き、クラスのみんなが本当にクラス内のたった1人のことを思って勇気ある行動が出来るのか試した。それに応じたのはあの3人だけだった。馬場ちゃんも、先生の本当の狙いに気づかず、友達よりも自分の保身を選んでしまった。

ヒカルちゃんがカズミちゃんを助けた時には、ヒカルちゃんのような「他の人のことを考えてあげられる」という行動に対して、より恐れを抱くような扱いをすることで、児童たちの越えるべきハードルを高くしたのではないかな。それが効いていて、馬場ちゃんの時には、土壇場でみんな怖気づいて裏切った。その試練を越えられたのは、3人だったのだろう。

財布盗難事件で犯人が出てこなかった時に、「クラス全員の連帯責任です」に対して「私は被害者なんですけど」と言った児童についても、「あなたもクラスの一員です」と言っていた。それは、誰かのせいで不利益となっても「みんなが責任を分担する」ということを教えようとしたのだが、それぞれが「自分だけは助かりたい」「責任を逃れたい」という考えが行動・態度に表れて、わざと放置しその有様をマヤは観察していた。


随所にマヤの特徴的な教えが散りばめられており、こうした高いハードルは6年生に難し過ぎるかもしれないが、今まで大人たちはそうした社会のルールや実態について教えてこなかった。現実の実例で、身をもって体験させるという思い切った教育だが、マヤのような完璧な教師でなければ無理かもしれない。だが、家庭や地域社会の中で忘れられてきたことが、強烈な皮肉として描かれており、大人社会の現実もあのクラスと同じように存在するかと思えば、我が身を振り返り反省させられるのである。恐らく、イジメは社会にもあるんでしょうし、人間の心や行動というのはとても似ているんだろうと思うからだ。


這い寄る混沌さん、コメント有難うございます。長かったので、記事に書いてみました。これからの展開が楽しみです。