チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

今年は「古事記」編纂1300年紀

2012-02-08 18:57:24 | お出かけ・散策
2月8日(水)

 一昨年の奈良は「平城遷都1300年」で賑わいました。1300年前というと、西暦710年ですが、その2年後の712年に、日本最古の歴史書と言われる「古事記」が誕生しました。

 まあ、歴史書と言っても、ご存知のとおり「神話・伝説」が散りばめられた記述がほとんどですから、学生時代に「説話文学」や「昔話」を調べていた私にとっては、歴史書というよりは、古来から伝承されてきた物語の原型を知る上で、とても大切でおもしろい読み物という感覚なのです。
 たしかに、私が子どものころは、「天の岩戸」「八岐の大蛇」「因幡の白兎」「海幸山幸」などの絵本が身近にありましたが、今は児童文学も多彩で、優れた教育絵本も次々と登場し、なかなか子どもの身近なお話にはならなくなりました。
 その私も、いい歳になったようで、童謡にしても、「雪やこんこ・・」とか「たき火だ、たき火だ、落ち葉たき・・」」とか、「京は五条の橋の上、牛若丸が・・」とかの、日本的な情感のこもったメロディに触れると、無性にノスタルジックな感傷を覚えるようになりました。

 それはともかく、「古事記」という書物は、稗田阿礼という舎人が天武天皇の命で暗誦していた古くからの言い伝えを太安万侶という人が書き記したものとされています。
 暗誦の天才だったと言われている稗田阿礼。この人のことはわからないことが多くて謎めいてもいますが、先週末の4日の土曜日に、稗田阿礼の生誕地とも言われている大和郡山市で、古事記1300年のセレモニーとフォーラムが開催されました。会場は、近鉄郡山駅から徒歩10分弱、大和郡山城の前にある立派なホールです。

  最初は、地元の小学生による「阿礼踊り」
  

 トークショーがあって、
  いよいよ、この日の呼び物「石見神楽」に
  
 舞台狭しと演じられる八岐の大蛇の迫力のある舞と、テンポの良い笛と太鼓のリズムはなかなか圧巻でした。

 大蛇が暴れ回っているところに、
  須佐之男命が登場
  

 大蛇に大酒を飲ませて見事に退治。
  櫛名田比売を救って、めでたしめでたし
  


   春呼ぶや石見神楽の龍退治   弁人


 午後は、古事記研究の学者による講演などがあって、会場を後にしたのは夕暮れ間近、なかなか中身の濃い一日となりました。


 ところで、この日はひどく冷え込んでいましたが、会場の外は天気がとても良くて気持ちがよさそう。そこで、お昼の休憩時間に郡山城の散策に出てみました。

 ホールを出ると、
  お城の手前に近鉄電車が走っています
  

 踏み切りを渡って、
  高校の校舎らしき建物の下の坂道を歩いて行きます
  
 案内図に奈良県立郡山高校とありました。奈良県屈指の伝統校です。正門の前がすぐ歴史のあるお城の公園で、なんともすばらしい立地です。
 「そうか、ここがあの学校だったんだ」としばし感慨に。奈良県といえば、天理高校と智弁学園が甲子園の常連になっていますが、かつてはこの郡山高校が公立の雄として何度も甲子園を沸かせた名門校なのです。箕島高校に似た白地に紺のラインのユニフォームが目に浮かんできます。

 坂の先に梅林門とも呼ばれる追手門が。
  梅のつぼみはまだ堅いまま
  

 門をくぐると、盆梅展が始まっていました。辺りの梅はまださっぱりなので素通りしようかと思いましたが、屋内に少しだけ咲き始めた花があると聞いて覗いてみました。

  ほんのりとした香りが漂う紅梅
  

  天守台からの郡山市内の眺め
  

 澄んだ青空に、乾いた打球音と掛け声が響いてきました。「野球だ」と音の方向へ振り返ると、やはり郡山高校のグランドからのようでした。


   春近し球音谺す天守台   弁人


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