チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

明石の風格ある建造物-中崎公会堂

2014-03-06 16:26:00 | 明石風物
3月6日(木)

 9回前の記事、1月24日の「明石の散歩道-子午線の道」の中で紹介した中崎公会堂。先月の下旬にその中に入る機会がありました。

 記事の中で、「何か催しのある時に・・・」と載せてから半月ほど経った時でした。逗子から10日程留守にしていた明石に戻ると、郵便物の中に「明石かいきょう塾」の案内はがきがあり、なんともタイミング良く、会場が中崎公会堂となっていたのです。

 KAZU君の生活発表会のあった日の
  前日でした
  

 前記事に紹介したとおり、明治44年にできた純和風建築の公会堂で、一度改修工事を経ているということですが、明石市の都市景観形成重要建築物に指定され、今なお風格ある威容を保っています。

 もちろん、
  玄関で靴を脱がないと上がれません
  

 広間は
  モダンな格子のガラス戸の中に
  

 板敷きの大広間で、ちょっとした体育館という感じでしょうか、ふだんは催し物のほか、武道やダンスの練習などに使われているようです。200人収容できるということですが、見た目ではもっと椅子が並びそうな広さに見えました。

 三方を幅一間の
  カーペット敷きの廊下が囲んでいます
  

 中に入って見上げると、
  なかなか凝った作りの立派な天井です
  

 正面も
  和風に徹していて
  

 左右に襖と床の間を配し、その中央にステージとは言えないかもしれませんが、フロアより一段高くなった小さな舞台があります。どうも、その奥に和室が二部屋あって、それを囲むように廊下が走り、その廊下と繋がるように、右の床の間の脇に更衣室があるようです。                               
 照明もしっかりしていて明るさも十分です。ただ難を言えば、空調がないようで、この日は2月下旬の北風が吹く寒い日で、ガスストーブが何台か置かれて暖を取っていましたが、コートを着たままの方が多くいらっしゃいました。
 まあ考えてみれば、昔は講堂とも言いましたが、学校の体育館で空調が入っているところなんぞは今でもほとんどないでしょう。教員時代に味わった3月初めの卒業式の寒かった思い出が蘇ります。
 何はともあれ、103年前に作った建築物です。小型とはいえ、ストーブがあるだけでも、ありがたいというところでしょうか。


   前庭の椿や供なる幾星霜   弁人


 ところで、この日のかいきょう塾のテーマは「明らかになった明石の古代」ということで、市の文化財担当課長さんをお呼びして、最近の遺跡発掘調査からわかる明石の新たな事実を聞くというものでした。

 興味深かったのは、「明石の駅(うまや)」の位置と、それに関連して、諸説ある古代山陽道の位置が、現在も旧街道の面影を残している辺りに近いのではないかという話。また、大輪田の泊(神戸港)への物資輸送に重要であった魚住の泊の遺物らしき古材木の発見後の分析などの話もありました。

 写真は、大量に発掘された
  イイダコの蛸壺です
  

 古代の明石の人も多くは海を生業として生きていたのでしょう。海人(海士・海女)の存在とそのエピソードなども興味深く聞くことができました。


   往にしへを学ぶ館に早春賦   弁人


コメント
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