1月24日(金)
KAZU君の保育園から南へ50メートルほどの所を東西に走っている旧西国街道。この辺りの昔の宿場町の風情については、二年前の1月23日付の記事で紹介しました。
その続編というわけでもありませんが、今回は、その街道筋から西へ、ちょうど東経135度の子午線を通る散歩道を取り上げます。
KAZU君の保育園のある稲爪神社の参道のすぐ南、昔の山陽道、旧西国街道を西に曲がると、
すぐ左手に、「大蔵院」という
臨済宗のお寺があります
ふだんは門が格子で閉ざされていて、ちょっと覗いてみるだけですが、すぐ先の本堂を囲むように桜の木があって、花の季節には風情のありそうな佇まいです。
このお寺、昨年の年明け直後に一度だけ中に入ったことがあります。除夜の鐘を突かせていただき初詣をしましたが、境内には、かつて播磨の国に勢力を持っていた赤松氏一族の赤松祐尚夫妻の墓がありました。
赤松氏というと、姫路を舞台にした今年の大河ドラマ「黒田勘兵衛」にも登場していますが、ここのお墓に眠っている祐尚夫妻は室町時代の人物で、兄弟に、足利六代将軍義教を暗殺した「嘉吉の乱」の首謀者赤松満祐がいます。
その乱と関係しているのかどうか、ここは、もともと祐尚の陣屋があった所で、祐尚が三木城に移った後建立されたという由緒の案内があります。
大蔵院のすぐ先には
銭湯があります
今では都会の下町でも見られなくなった銭湯。やはり、古くからの町で家が立て込んでいる地域でないと成り立たないのでしょう。この東湯はお年寄りの出入りが多いようですが、今のところ利用する人も多く、まだまだ残って行きそうな感じです。
私も明石に来た当初に入ったことがありますが、片道1.5キロ、車でということになると、多少の値段の差はあっても、広々として湯上がりも快適な海岸の入浴施設のほうに足が向いてしまいます。
さて、東湯から西へ数十メートル進むと、天文科学館から海に向かって南へ向かう道に出ます。この道はほぼ東経135度の子午線上を通っていて、いわば「子午線の道」ということになります。旧街道は子午線の道に突き当たって左折し、30メートルほど先で右に折れ、いわばカギ形に進んでまた西へ向かいますが、
その突き当たりにあるのが
「人丸教会」です
2011年6月14日の記事で紹介した、天文科学館から時の道を歩いて行った所にある「上の丸教会」もそのひとつですが、明石には、歴史のありそうな立派な教会がいくつかあります。
豊臣秀吉が「バテレン追放令」を出す前の一時期、キリシタン大名の高山右近が明石を治めていたことがあって、もしかすると、その辺りのことが関係しているのかもしれません。
人丸教会の前から子午線の道をちょっと南下した所で、旧街道は右に曲がるのですが、
その曲がり角に
立派な道標が立っています
「右・加古川ひ免ぢ(姫路)道 左・ひやうご(兵庫)大阪道」とあります。
その道標のすぐ先に立っているのが
この石碑
「大日本中央標準時子午線通過識標」の石碑で、これは2008年10月7日の記事で紹介したことがあります。
道標と石碑の脇に
交番があります
交番のすぐ北側に人丸教会、向こうのほうには天文科学館の塔も見えます。実はこの交番、軒の上には、正式名称?の「大蔵交番」の文字がありますが、正面右の壁には、金文字で「子午線交番」と書かれた黒塗りの立派な表札が掲げられています。そうなんです、それで屋根がプラネタリュウムのようなドーム形になっているのです。
子午線は南北なりと冬の空 弁人
ここから旧街道と別れて海のほうへ進むと、左側に駐車場があって、その向こうに大きな料理旅館が建ってます。
明石では屈指の名旅館
「人丸花壇」です
日帰り入浴もできるとかいう高級料理旅館です。私は近くで寝食をしているので、まだ利用したことがありません。
その人丸花壇のすぐ先、道路の反対側の海に向かって右側に、古めかしい大きな和風建築物が構えています。
明治44年にできた
「中崎公会堂」
洋風建築全盛の時代に、敢えて和風にこだわって作られた公会堂で、メインは200名収容の大広間です。
開堂記念には夏目漱石が講演したという歴史を持ち、以後、幾多の作家文人の講演なども行われたということで、地元のペンクラブの碑も立っています。
長年の風雪と塩害で戦後は老朽化したようですが、30年前に改修工事が施され、それが功を奏し、19年前の阪神淡路大地震でも大きな損傷を被らなかったということです。
カメラを向けていると、管理人さんから「中にお入りになりますか」と声をかけられたりします。でも何か催しがある時にと思って、今のところ遠慮しています。
公会堂の後ろの南側、
海岸道りの交差点で振り返ると
ここからも、北の方角に人丸教会や天文科学館の塔がよく見えて、まさに「子午線の道」という感じがします。
この交差点を手前方向の南に渡って右(写真左)に折れると、KAZU君の保育園の多くのお友だちが通うことになる中崎小学校がありますが、真っ直ぐに進むと、そのまま大蔵海岸公園に入ります。
その入り口にも
「標準時子午線通過」の石碑があります
子午線にランドセルの列冬の朝 弁人
KAZU君の保育園から南へ50メートルほどの所を東西に走っている旧西国街道。この辺りの昔の宿場町の風情については、二年前の1月23日付の記事で紹介しました。
その続編というわけでもありませんが、今回は、その街道筋から西へ、ちょうど東経135度の子午線を通る散歩道を取り上げます。
KAZU君の保育園のある稲爪神社の参道のすぐ南、昔の山陽道、旧西国街道を西に曲がると、
すぐ左手に、「大蔵院」という
臨済宗のお寺があります
ふだんは門が格子で閉ざされていて、ちょっと覗いてみるだけですが、すぐ先の本堂を囲むように桜の木があって、花の季節には風情のありそうな佇まいです。
このお寺、昨年の年明け直後に一度だけ中に入ったことがあります。除夜の鐘を突かせていただき初詣をしましたが、境内には、かつて播磨の国に勢力を持っていた赤松氏一族の赤松祐尚夫妻の墓がありました。
赤松氏というと、姫路を舞台にした今年の大河ドラマ「黒田勘兵衛」にも登場していますが、ここのお墓に眠っている祐尚夫妻は室町時代の人物で、兄弟に、足利六代将軍義教を暗殺した「嘉吉の乱」の首謀者赤松満祐がいます。
その乱と関係しているのかどうか、ここは、もともと祐尚の陣屋があった所で、祐尚が三木城に移った後建立されたという由緒の案内があります。
大蔵院のすぐ先には
銭湯があります
今では都会の下町でも見られなくなった銭湯。やはり、古くからの町で家が立て込んでいる地域でないと成り立たないのでしょう。この東湯はお年寄りの出入りが多いようですが、今のところ利用する人も多く、まだまだ残って行きそうな感じです。
私も明石に来た当初に入ったことがありますが、片道1.5キロ、車でということになると、多少の値段の差はあっても、広々として湯上がりも快適な海岸の入浴施設のほうに足が向いてしまいます。
さて、東湯から西へ数十メートル進むと、天文科学館から海に向かって南へ向かう道に出ます。この道はほぼ東経135度の子午線上を通っていて、いわば「子午線の道」ということになります。旧街道は子午線の道に突き当たって左折し、30メートルほど先で右に折れ、いわばカギ形に進んでまた西へ向かいますが、
その突き当たりにあるのが
「人丸教会」です
2011年6月14日の記事で紹介した、天文科学館から時の道を歩いて行った所にある「上の丸教会」もそのひとつですが、明石には、歴史のありそうな立派な教会がいくつかあります。
豊臣秀吉が「バテレン追放令」を出す前の一時期、キリシタン大名の高山右近が明石を治めていたことがあって、もしかすると、その辺りのことが関係しているのかもしれません。
人丸教会の前から子午線の道をちょっと南下した所で、旧街道は右に曲がるのですが、
その曲がり角に
立派な道標が立っています
「右・加古川ひ免ぢ(姫路)道 左・ひやうご(兵庫)大阪道」とあります。
その道標のすぐ先に立っているのが
この石碑
「大日本中央標準時子午線通過識標」の石碑で、これは2008年10月7日の記事で紹介したことがあります。
道標と石碑の脇に
交番があります
交番のすぐ北側に人丸教会、向こうのほうには天文科学館の塔も見えます。実はこの交番、軒の上には、正式名称?の「大蔵交番」の文字がありますが、正面右の壁には、金文字で「子午線交番」と書かれた黒塗りの立派な表札が掲げられています。そうなんです、それで屋根がプラネタリュウムのようなドーム形になっているのです。
子午線は南北なりと冬の空 弁人
ここから旧街道と別れて海のほうへ進むと、左側に駐車場があって、その向こうに大きな料理旅館が建ってます。
明石では屈指の名旅館
「人丸花壇」です
日帰り入浴もできるとかいう高級料理旅館です。私は近くで寝食をしているので、まだ利用したことがありません。
その人丸花壇のすぐ先、道路の反対側の海に向かって右側に、古めかしい大きな和風建築物が構えています。
明治44年にできた
「中崎公会堂」
洋風建築全盛の時代に、敢えて和風にこだわって作られた公会堂で、メインは200名収容の大広間です。
開堂記念には夏目漱石が講演したという歴史を持ち、以後、幾多の作家文人の講演なども行われたということで、地元のペンクラブの碑も立っています。
長年の風雪と塩害で戦後は老朽化したようですが、30年前に改修工事が施され、それが功を奏し、19年前の阪神淡路大地震でも大きな損傷を被らなかったということです。
カメラを向けていると、管理人さんから「中にお入りになりますか」と声をかけられたりします。でも何か催しがある時にと思って、今のところ遠慮しています。
公会堂の後ろの南側、
海岸道りの交差点で振り返ると
ここからも、北の方角に人丸教会や天文科学館の塔がよく見えて、まさに「子午線の道」という感じがします。
この交差点を手前方向の南に渡って右(写真左)に折れると、KAZU君の保育園の多くのお友だちが通うことになる中崎小学校がありますが、真っ直ぐに進むと、そのまま大蔵海岸公園に入ります。
その入り口にも
「標準時子午線通過」の石碑があります
子午線にランドセルの列冬の朝 弁人