チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「決断の初夏?」車を買い変えました

2013-06-21 23:08:50 | 身辺雑記
6月21日(金)

 明石の部屋は駅に近いとはいえ、買物やKAZU君の迎えや小旅行等、車は必需品です。

 2008年の9月でした。まずは車に積めるだけ荷物を詰め込んで明石にやって来ました。その車は、2003年の2月に手にした2000㏄のフォレスターです。

 「たまにはフォレスターで逗子に帰りたい」と時々思いましたが、4年半、一度も車では帰っていません。逗子の家は道もカーポートも狭く、小さな車しか入りません。こちらに来る前は、外に駐車場を借りていたのですが、もちろん解約して来たので、帰るに帰れなかったのです。

 それに、玄関脇にあるカーポートには息子の軽自動車が置いてあって、車が必要な時は、それを借りればなんとかなっていたからです。
 ところが、今年に入って息子がその車を東京へ持って行ったので、最近は逗子の家に帰った時になにかと不便になりました。

 それに、フォレスターは車検を4回も経た車です。よく走るし愛着もありましたが、さすがに不具合も時々起きて、修理費もかさむようになりました。

 そんな事情もあって、去年の秋から、逗子まで片道600キロ、その位はなんとか走れる小型の車に変えたいと思い始めていたのですが、やはり、家に入る路地と置き場を考えると決心がつきませんでした。

 4月の末に帰った時、玄関脇のカーポートをにらみながら、邪魔な縁石を削り、カーポートの柱と門扉の一部を取っ払って間口を広げればなんとかなるかもしれないと判断、その工事が今月末にでき上がることになりました。

 「さあ、7月に帰る時は車だ」と、車の品定めに入ったのですが、これがなかなかうまく行かないのです。
 住民票を神奈川から移していないので、横浜ナンバーの車を購入するのが自然で、こちらで購入すると、神奈川の陸運局との間を一往復回送させるという話なのです。そうするともちろん費用がかさみ、下取り代くらいは吹っ飛んでしまいます。
 ところが、実は、こちらで神戸ナンバーの車を購入することが可能だということがわかったのです。ただ、そういう事情で購入する人がほとんどいないので、どこのディラーの営業マンもその辺の事情に疎かったようです。

 さて、一件落着。ハイブッリッドにしようかとか、モデルチェンジが近いのではないかとか、気に入った色がないとか、迷うことばかりでしたが、悩んでいたら7月に間に合わないということで、

 こういう車になりました。
  ホンダのフィットです
  

 せっかく明石で買った車。
  ナンバーは東経135度に因んで
  

 その子午線にいちばん近い神社、
  人麻呂を祀った柿本神社へ
  
 天文科学館のすぐ裏にあって、境内からは鳥居の向こうに明石海峡も目に入ってきます。

 安全を祈願して
  お祓いをしていただきました
  


   子午線を西へ東へ夏新車   弁人


 当初は、16日の土曜日の大安の日に納車の予定だったのですが、やはり、住民票と車庫証明の住所が異なるということで、手続きが不慣れで順調に進まず、新車のお祓いは18日になってしまいました。

 そうなんです、18日は、前記事の通り、広島で野球観戦の日だったのです。ナイターなのでホテルに一泊。新幹線で行く予定ではあったのですが、やっぱり、こんな日に試走しない手はないでしょう、さっそく山陽道をひとっ走り、二日間で往復600キロ弱を走って来ました。

 走りの感想。一般道では、なんの苦もなくスムーズに走りますが、前の車に比べると、排気量も小さくてターボも付いていないので、高速道の上り坂にさしかかると、力のなさを露呈してしまい、かなりがっかりしてしまいました。
 でも、燃費は半分以下で文句は言えません。まあ、そんなに急がなければ、逗子まで帰れるメドも立ちました。

 心配は一つ。もちろん、車幅とか回転半径とかホイールベースとかを考慮して決めたのですが、はたして、玄関脇のカーポートに本当に出入りできるのかどうか、これだけは、来月半ばに帰ってみるまでわからないのです。


コメント
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