5月22日(火)
昨日の朝は、予想に反して雲が少なめだったので、関西でもけっこうな日食観察フィーバーになりました。
私の観察場所から眺めた朝7時の明石海峡
もしかしたら、いつもより人が多いのかもしれません。
逗子か明石か、5月21日の朝をどっちで迎えるのか、十日ほど前はまだ迷っているところでした。明石に戻るのを遅らせて、前日に天気の良いほうを選ぼうかとも思いましたが、そんなに都合良くは行きません。
もう一つ、南関東は金環日食の帯のほぼ真ん中に位置しているのですが、明石、神戸、大阪辺りは帯の端のほうなのです。ふつうは真ん中のほうがいいと思いますから、数ヶ月前は「5月の後半は逗子にいよう」と思っていたのです。
ところが、明石のシルバー天文大学の最後の時に先生に質問したところ、「金環日食では、月の表面の凹凸が見える『ベイリービーズ』という現象があり、その観察には、むしろ帯の真ん中よりズレているほうが見やすいという利点もあるので、なんとも言えませんね」と教えていただき、「要はやはり天候」という、なんとも予定の立てづらい結論に落ち着いていたのです。
それにしてもびっくりしました。6時過ぎにカーテンを開けると、なんと陽が射していたのです。夜10時過ぎにインターネットで調べた予報でも、良くて薄曇りくらいの感じだったのですから。
実は、前夜は21時に広島から帰って来て、ちょっとやけ酒をあおっていたのですが、万が一見えることもあるかもしれないと、夜中まで天文科学館の先生ご推奨の観察グッズの組み立てをしていたのです。睡眠時間3時間ちょい。でも、その甲斐がありました。
深夜に組み立てた観測キット
青くて長いのが組み立てに時間がかかった観測器。ベランダでの実験ではちゃんと見えたのですが、坂道を歩いているときにピンホールのついた天板を落としてしまって使えませんでした。
オレンジの筒も簡易観測器で、組み立て簡単、コンパクトでなかなか便利な代物。
そして、四角のが専用ゴーグル。やっぱりこれで見るのが手っとり早く大活躍。ただ、これをデジカメのレンズに密着させて撮った写真が後に出てきますが、きれいには撮れませんでした。
7時15分。欠け方がだんだん大きくなって
左下が欠けていますが、像は鏡映しになっているので、実際は右上から左下へ月影が動いています。
その後、太陽の向こう(東側)にあった羊雲がだんだんと近づいて来て、とうとう雲の中に隠れてしまいました。
刻一刻と迫る7時29分。「あーあ、ダメだったか」とあきらめかけていましたが、
7時28分。雲の隙間から「見えたぁー!」
ちょうど雲がフィルターになってくれたようで、見たままにカメラに写っていました。
レンズにゴーグルを密着させてシャッターを切ると
やはり映像が暗過ぎてしまいましたが、これが明石での金環日食の時間帯です。「ベイリービーズ」?忘れていました。
気紛れな雲間の影や風涼し 弁人
皮肉にも、いちばん大事な時間が過ぎてから、また雲が切れて、しばらく部分日食を眺めていました。
世紀の天文ショーも終わりに近づいたもよう
ところで、日食にまつわる話の一つに、源平の戦いが始まった頃の1183年の秋、備中水島で、朝日の将軍と言われた木曽義仲の軍が平家軍と戦っている折しも、にわかに金環日食が起こり、その現象を知らなかった義仲軍が慌てふためいて敗走したという話があります。
『源平盛衰記』によれば、「平氏の兵どもはかねて知りにければ、云々」とあります。当時の朝廷には「天文寮」なる部署があって、日食を予測していたということですが、その頃の人間の科学的知識もなかなかだったんですね。ガレリオガリレイの時代の何百年も前のことなのに、すごいもんです。
それにしてもこの戦さ、どちらが先に仕掛けたのかは定かではありませんが、そんな時間帯に戦さをした義仲軍はツイていませんでした。この日の日食はどうも昼前の時間帯だったようですが、なにしろ「朝日将軍」と言われているんですから、東から昇った太陽が欠けて暗くなって行くというのは、なんとも不吉で背筋が寒くなるのも肯けます。
昨日の朝は、予想に反して雲が少なめだったので、関西でもけっこうな日食観察フィーバーになりました。
私の観察場所から眺めた朝7時の明石海峡
もしかしたら、いつもより人が多いのかもしれません。
逗子か明石か、5月21日の朝をどっちで迎えるのか、十日ほど前はまだ迷っているところでした。明石に戻るのを遅らせて、前日に天気の良いほうを選ぼうかとも思いましたが、そんなに都合良くは行きません。
もう一つ、南関東は金環日食の帯のほぼ真ん中に位置しているのですが、明石、神戸、大阪辺りは帯の端のほうなのです。ふつうは真ん中のほうがいいと思いますから、数ヶ月前は「5月の後半は逗子にいよう」と思っていたのです。
ところが、明石のシルバー天文大学の最後の時に先生に質問したところ、「金環日食では、月の表面の凹凸が見える『ベイリービーズ』という現象があり、その観察には、むしろ帯の真ん中よりズレているほうが見やすいという利点もあるので、なんとも言えませんね」と教えていただき、「要はやはり天候」という、なんとも予定の立てづらい結論に落ち着いていたのです。
それにしてもびっくりしました。6時過ぎにカーテンを開けると、なんと陽が射していたのです。夜10時過ぎにインターネットで調べた予報でも、良くて薄曇りくらいの感じだったのですから。
実は、前夜は21時に広島から帰って来て、ちょっとやけ酒をあおっていたのですが、万が一見えることもあるかもしれないと、夜中まで天文科学館の先生ご推奨の観察グッズの組み立てをしていたのです。睡眠時間3時間ちょい。でも、その甲斐がありました。
深夜に組み立てた観測キット
青くて長いのが組み立てに時間がかかった観測器。ベランダでの実験ではちゃんと見えたのですが、坂道を歩いているときにピンホールのついた天板を落としてしまって使えませんでした。
オレンジの筒も簡易観測器で、組み立て簡単、コンパクトでなかなか便利な代物。
そして、四角のが専用ゴーグル。やっぱりこれで見るのが手っとり早く大活躍。ただ、これをデジカメのレンズに密着させて撮った写真が後に出てきますが、きれいには撮れませんでした。
7時15分。欠け方がだんだん大きくなって
左下が欠けていますが、像は鏡映しになっているので、実際は右上から左下へ月影が動いています。
その後、太陽の向こう(東側)にあった羊雲がだんだんと近づいて来て、とうとう雲の中に隠れてしまいました。
刻一刻と迫る7時29分。「あーあ、ダメだったか」とあきらめかけていましたが、
7時28分。雲の隙間から「見えたぁー!」
ちょうど雲がフィルターになってくれたようで、見たままにカメラに写っていました。
レンズにゴーグルを密着させてシャッターを切ると
やはり映像が暗過ぎてしまいましたが、これが明石での金環日食の時間帯です。「ベイリービーズ」?忘れていました。
気紛れな雲間の影や風涼し 弁人
皮肉にも、いちばん大事な時間が過ぎてから、また雲が切れて、しばらく部分日食を眺めていました。
世紀の天文ショーも終わりに近づいたもよう
ところで、日食にまつわる話の一つに、源平の戦いが始まった頃の1183年の秋、備中水島で、朝日の将軍と言われた木曽義仲の軍が平家軍と戦っている折しも、にわかに金環日食が起こり、その現象を知らなかった義仲軍が慌てふためいて敗走したという話があります。
『源平盛衰記』によれば、「平氏の兵どもはかねて知りにければ、云々」とあります。当時の朝廷には「天文寮」なる部署があって、日食を予測していたということですが、その頃の人間の科学的知識もなかなかだったんですね。ガレリオガリレイの時代の何百年も前のことなのに、すごいもんです。
それにしてもこの戦さ、どちらが先に仕掛けたのかは定かではありませんが、そんな時間帯に戦さをした義仲軍はツイていませんでした。この日の日食はどうも昼前の時間帯だったようですが、なにしろ「朝日将軍」と言われているんですから、東から昇った太陽が欠けて暗くなって行くというのは、なんとも不吉で背筋が寒くなるのも肯けます。