3月16日(金)
電車に乗って大阪、三ノ宮方面から帰る時に、海の眺めの良い須磨、垂水辺りの車窓から淡路島のほうに目を遣ると、
東岸に白い塔がよく見えます。
そういえば、三浦半島から東京湾を眺めると、行ってみたことはないのですが、千葉の富津岬の南に「東京湾観音」が純白にすらりと立っているのをよく目にしました。
車窓から見える淡路島の白い塔も、灯台にしては背が高いので、あれも観音様なのだろうかと気になって地図を広げると、淡路島の東浦町に「世界平和大観音像」という文字がありました。
天気のよい日に一度近くに行ってみようかなと思っていましたが、ある時テレビで、「廃墟の観音像、取り壊しに数億円。地元自治体もお手上げ」という話題が流れました。
さらに、「十重の塔の破片が落ちてきて、すぐ下にあるレストランが被害に」という話も取り上げられていました。
「たこフェリー」がなくなってから、淡路島へ渡る機会も少なくなっていましたが、少し暖かくなった好天気に誘われて、車で橋を渡って行くと、なるほど、ありました、ありました。巨大な観音像が。
台座のビルを含めて
100メートルの高さとか
白い雲が流れて、観音像が動いているように見えて不気味でした。高い所には弱いので、上るにはちょっとした覚悟が要るかもしれません。もっとも、今は閉鎖されているので勇気を出す必要はありませんが。
この観音像、1982年にできたということは、阪神淡路の大地震をくぐり抜けて来たわけですから、急に倒れることはないのでしょうが、今は廃墟になっていて、管理者がはっきりしていないということを考えると、やはり怖い。なんとか次の大地震が来る前に撤去して、加害者という観音様にかわいそうな事態にならないことを祈るばかりです。
お顔の下の首の所に展望台らしきものがあって、あそこからの眺めはなかなかの景観だろうとは思いますが、外から見ると、なんとも不細工で、その姿から「ムチウチ観音」ともささやかれているとか。
どうもこの像、バブル時代に栄えた大阪の不動産会社の創業者が、生まれ育った地に莫大な資産を投じて建立したようです。その方は思いを遂げた数年後に他界し、相続した妻も近年亡くなって、その後親族が相続を放棄、一時外資系の金融機関が所有していたようですが、その金融機関も破綻し、どこが管理しているのかもわからなくなっているようです。
「世界平和」を謳っているのですから、建立者に不純な気持ちなどはさらさらなかったに違いありません。世のため人のためにという思いで私財を投げうって建てたのでしょうが、それがこの現実、結果的に持て余しものなっているのです。
この日は青空がやけにきれいでした。誰かが「そらみたことか」と言っているようで、悲しくも滑稽です。
春の海見下ろす慈悲の眼や虚ろ 弁人
観音像の北側に建つ、
当面問題になっている十重の塔
写真ではよくわかりませんが、なるほど、屋根や壁面がはがれて痛々しい。そんな破片が落ちて来るんじゃ、下にいる人たちはたまったものではありません。
立派な塔に見えますが、こちらは中ががらんどうで上のほうには上がれない構造だそうで、周囲の住民の安全を考えると、取り敢えずはこれだけでも解体しておくほうがという感じです。
観音像の台座になっているビルには入れませんが、十重の塔の前に坂道があって、ビルのそばまでは歩いて行けました。
像が建っている後ろの丘には
「自由の女神」のミニチュア像
そういえば、十重の塔からの落下物で迷惑している下のレストラン、「アメリカ」という名前のお店でした。あやかって名付けたのでしょうか、余計な推測をしても始まりませんが。
なんと、
本物の「D-51」までありました
潮風を浴びて、みじめな姿になっています。このまま錆びて朽ち果てて行くのでしょうか。説明板には、この機関車をここに飾るまでの苦労話が語られていましたが、いかにも、「兵ども」ならぬ「富豪の夢の跡」という情けない姿。
さてさて、国民一人当たり1千万近い借金を背負っていて、なおも赤字国債を発行し続ける日本。バブル景気の頃は借金がどのくらいだったのでしょうか。
それはさておき、こんな光景を目の当たりにすると、つくづく、バブル期の時に大儲けをしたお金持ちの方々、ほんとうにお金の生かし方に疎かったとしか言いようがありません。所詮「バブル」なので、そんなものなのでしょうか。そういえば、あの頃は、日本の企業や資産家が高額な絵画や工芸品をどんどん手に入れたり、結局二束三文になってしまった海外のリゾート施設や不動産を買いあさったり、そんな話題が蘇ってきます。
気分直しにと言ってはなんですが、明石海峡公園で花でも見ながら帰ろうかと寄ってみました。
あいにく花の少ない時期だったので、隣接する「奇跡の星の植物館」の「ラン展」を覗いてみることに。
いやー、立派な温室
日本で二番目の広さを誇る温室だそうです。
温室内は春爛漫
さすがきれいに咲いていますが、ランの花は人間の手で改良を重ねているので、自然そのものという感じではないかなと、この日は思いがなかなか明るい方向に向きませんでした。
よく整備された広大な公園。立派な植物園。国際会議場に一流ホテル。天気の良い日にちょっとおしゃれな気分で一日を過ごすには申し分のない所です。でも、気候温暖の観光地とは言え、車でしか来られない所で、これらの立派な施設は果たして採算がとれるのでしょうか。
昼食を閑古鳥の鳴いている国営公園の食堂で済ませたのですが、メニューは麺類とカレーぐらいで品数が少なく食感も今一つ。ホテルにどれほどのレストランがあるのかわかりませんが、かなり高級なたたずまい。温室の中の食事どころもそんなに広くはありませんでした。シーズンの休日などに、仮に期待どおりの人が訪れたとしたら、やはり、持参したお弁当を公園で頬張るという計画がないと、空腹でヘトヘトになりそうな感じです。
それはともかくこの一帯、目の前の明石海峡公園が国営で、国際会議場は兵庫県、ホテルや植物園の観光施設は第三セクターの会社が運営しているとのこと、いずれにしても、どなたかが私財を投じて作ったものでないことはたしかですから、心配は御無用というところなのかもしれません。きっと、先ほどの「世界平和大観音像」のような事態にはならないのでしょう。
見映え良く彩り豊かに春の蘭 弁人
電車に乗って大阪、三ノ宮方面から帰る時に、海の眺めの良い須磨、垂水辺りの車窓から淡路島のほうに目を遣ると、
東岸に白い塔がよく見えます。
そういえば、三浦半島から東京湾を眺めると、行ってみたことはないのですが、千葉の富津岬の南に「東京湾観音」が純白にすらりと立っているのをよく目にしました。
車窓から見える淡路島の白い塔も、灯台にしては背が高いので、あれも観音様なのだろうかと気になって地図を広げると、淡路島の東浦町に「世界平和大観音像」という文字がありました。
天気のよい日に一度近くに行ってみようかなと思っていましたが、ある時テレビで、「廃墟の観音像、取り壊しに数億円。地元自治体もお手上げ」という話題が流れました。
さらに、「十重の塔の破片が落ちてきて、すぐ下にあるレストランが被害に」という話も取り上げられていました。
「たこフェリー」がなくなってから、淡路島へ渡る機会も少なくなっていましたが、少し暖かくなった好天気に誘われて、車で橋を渡って行くと、なるほど、ありました、ありました。巨大な観音像が。
台座のビルを含めて
100メートルの高さとか
白い雲が流れて、観音像が動いているように見えて不気味でした。高い所には弱いので、上るにはちょっとした覚悟が要るかもしれません。もっとも、今は閉鎖されているので勇気を出す必要はありませんが。
この観音像、1982年にできたということは、阪神淡路の大地震をくぐり抜けて来たわけですから、急に倒れることはないのでしょうが、今は廃墟になっていて、管理者がはっきりしていないということを考えると、やはり怖い。なんとか次の大地震が来る前に撤去して、加害者という観音様にかわいそうな事態にならないことを祈るばかりです。
お顔の下の首の所に展望台らしきものがあって、あそこからの眺めはなかなかの景観だろうとは思いますが、外から見ると、なんとも不細工で、その姿から「ムチウチ観音」ともささやかれているとか。
どうもこの像、バブル時代に栄えた大阪の不動産会社の創業者が、生まれ育った地に莫大な資産を投じて建立したようです。その方は思いを遂げた数年後に他界し、相続した妻も近年亡くなって、その後親族が相続を放棄、一時外資系の金融機関が所有していたようですが、その金融機関も破綻し、どこが管理しているのかもわからなくなっているようです。
「世界平和」を謳っているのですから、建立者に不純な気持ちなどはさらさらなかったに違いありません。世のため人のためにという思いで私財を投げうって建てたのでしょうが、それがこの現実、結果的に持て余しものなっているのです。
この日は青空がやけにきれいでした。誰かが「そらみたことか」と言っているようで、悲しくも滑稽です。
春の海見下ろす慈悲の眼や虚ろ 弁人
観音像の北側に建つ、
当面問題になっている十重の塔
写真ではよくわかりませんが、なるほど、屋根や壁面がはがれて痛々しい。そんな破片が落ちて来るんじゃ、下にいる人たちはたまったものではありません。
立派な塔に見えますが、こちらは中ががらんどうで上のほうには上がれない構造だそうで、周囲の住民の安全を考えると、取り敢えずはこれだけでも解体しておくほうがという感じです。
観音像の台座になっているビルには入れませんが、十重の塔の前に坂道があって、ビルのそばまでは歩いて行けました。
像が建っている後ろの丘には
「自由の女神」のミニチュア像
そういえば、十重の塔からの落下物で迷惑している下のレストラン、「アメリカ」という名前のお店でした。あやかって名付けたのでしょうか、余計な推測をしても始まりませんが。
なんと、
本物の「D-51」までありました
潮風を浴びて、みじめな姿になっています。このまま錆びて朽ち果てて行くのでしょうか。説明板には、この機関車をここに飾るまでの苦労話が語られていましたが、いかにも、「兵ども」ならぬ「富豪の夢の跡」という情けない姿。
さてさて、国民一人当たり1千万近い借金を背負っていて、なおも赤字国債を発行し続ける日本。バブル景気の頃は借金がどのくらいだったのでしょうか。
それはさておき、こんな光景を目の当たりにすると、つくづく、バブル期の時に大儲けをしたお金持ちの方々、ほんとうにお金の生かし方に疎かったとしか言いようがありません。所詮「バブル」なので、そんなものなのでしょうか。そういえば、あの頃は、日本の企業や資産家が高額な絵画や工芸品をどんどん手に入れたり、結局二束三文になってしまった海外のリゾート施設や不動産を買いあさったり、そんな話題が蘇ってきます。
気分直しにと言ってはなんですが、明石海峡公園で花でも見ながら帰ろうかと寄ってみました。
あいにく花の少ない時期だったので、隣接する「奇跡の星の植物館」の「ラン展」を覗いてみることに。
いやー、立派な温室
日本で二番目の広さを誇る温室だそうです。
温室内は春爛漫
さすがきれいに咲いていますが、ランの花は人間の手で改良を重ねているので、自然そのものという感じではないかなと、この日は思いがなかなか明るい方向に向きませんでした。
よく整備された広大な公園。立派な植物園。国際会議場に一流ホテル。天気の良い日にちょっとおしゃれな気分で一日を過ごすには申し分のない所です。でも、気候温暖の観光地とは言え、車でしか来られない所で、これらの立派な施設は果たして採算がとれるのでしょうか。
昼食を閑古鳥の鳴いている国営公園の食堂で済ませたのですが、メニューは麺類とカレーぐらいで品数が少なく食感も今一つ。ホテルにどれほどのレストランがあるのかわかりませんが、かなり高級なたたずまい。温室の中の食事どころもそんなに広くはありませんでした。シーズンの休日などに、仮に期待どおりの人が訪れたとしたら、やはり、持参したお弁当を公園で頬張るという計画がないと、空腹でヘトヘトになりそうな感じです。
それはともかくこの一帯、目の前の明石海峡公園が国営で、国際会議場は兵庫県、ホテルや植物園の観光施設は第三セクターの会社が運営しているとのこと、いずれにしても、どなたかが私財を投じて作ったものでないことはたしかですから、心配は御無用というところなのかもしれません。きっと、先ほどの「世界平和大観音像」のような事態にはならないのでしょう。
見映え良く彩り豊かに春の蘭 弁人