チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

トンネルもそろそろ出口?

2009-01-25 07:55:21 | KAZU君
1月25日(日)

 風邪でダウンし、気だるく陰鬱な一週間を過ごしてしまいました。

 こっちでの新年の生活が始まって二週めにKAZUがダウン。保育園から呼ばれて午前中から看病したりしました。

  不機嫌な時のKAZU
 
     

 先週末、神戸へ震災の慰霊に出向いた時はKAZUの両親もダウンし、私一人が元気だったのですが、油断大敵、とうとう私も喉痛から発熱してしまいました。

 食料確保の買物以外は薬を飲んで布団にもぐり込むという一週間でした。保育園の迎えも二日間ほど休ませてもらい、なんとか熱は下がったものの、喉の痛みは消えず依然として鬱陶しい状態です。

 昨夜は早く寝たので、さきほど明け方に目が覚めました。このブログを書いたら、今日も一日布団にいようと思います。とにかく今日中に風邪を蹴散らして、明日の朝にはバリバリの状態になるのです。

   大寒やしたたかなるかな孫の風邪   弁人


 時々、箱根駅伝のビデオを見ますが、正月の相模路はほんとうによく晴れています。元日に逗子海岸から仰ぎ見た富士はとても美しく神々しさを感じました。
 ところが、こっちに戻ってからまだ一度も抜けるような青空に出会っていません。

 昔、吉永小百合の「夢千代日記」というドラマの中で、「日本海側の暗くて厳しい荒漠とした冬」と「山陽の晴れやかで開放的な明るさ」が対比されていましたが、湘南の明るさに長年親しんでくると、山陽とはいえ、なかなかそういう雰囲気を実感するに至りません。

 関東平野に空っ風が吹く時は富士もきれいで、寒いながらもマフラーをなびかせて爽快さを味わうこともよくありました。こちらの季節風は北西と言ってもかなり西よりの風で、マンションのドアが開かないぐらい強く吹きます。それでも、上空は「抜けるような」とはなりません。おそらく瀬戸内海の湿気を含みながら、紀伊半島の和歌山方面に吹きつけているのだと思います。大阪湾方面にはいつも雲があるように感じます。
 柿本人麻呂の歌った「大和島」を、そのうち記事にしようと思っているのですが、そんなわけで、冬になってもくっきりとした紀伊半島を見ることはほとんどなくカメラに収められないのです。そして、風の弱い日はどんよりとして雲に覆われた風景になってしまいます。
 こんな具合で
   

 布団から出て外を眺めても、気が晴れるような世界はなかなか広がっていてはくれません。そんな中で、気分も沈みがちの一週間でした。

    冬日和わが吐く息が靄となる  弁人

 今日はここまでと思って窓の外を見るや、なんと雪が降っています。

   


    療養と定めし朝の雪景色   弁人


コメント (2)
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