チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「コロナも彼岸まで」とは、まったくもって甘かった

2020-03-17 21:42:54 | つぶやき
3月17日(火)

 ひと月ほど前の頃は、「暑さ寒さも彼岸まで」のことばにあやかって、「コロナ騒ぎも一緒に退散しちゃえ」と期待していましたが、とんでもありませんでした。

 なんともしたたかなウイルス。感染は全世界にという様相を呈していて、EU諸国も予断を許さない状況になっています。

 実は、アムステルダムにいるKAZU君のお父さん、ゴールデンウイークに一時帰国する予定になっているのですが、はたして、日本の地を踏めるのかどうか。なにしろ、学校へ行けなくてうずうずしているKAZU君、お父さんと関西旅行を約束しているのを、今いちばんの楽しみにしているのに、それもなくなったらと思うとことばがありません。

 ところで、感染は世界的な広がりと言いましたが、実は、まだアフリカでの様子があまり伝わって来ていません。おそらく医療体制の整っていない国が多くて、状況がつかめないのだと思いますが、今後、そういう地域の状況が明らかになって行けば、ますます事態の深刻さが浮き彫りになることは間違いないでしょう。

 まったく、野球好きが甲子園大会の中止やプロ野球の開幕の延期を残念がっている場合ではありませんね。もう、オリンピックだって、それどころではないという声が現実味をおびている状況になってきているのですから。

 とんだ2020年になりました。

 我ら老いぼれはともかく、子どもたち、若者、働き盛りの子育て世代、商店主をはじめとする中小事業主、そしてスポーツマンやミュージシャンと、人それぞれ、苦渋の度合いはいろいろでしょが、どうしようもないのかもしれません。
 人間の存在なんて所詮不条理なのですから、こんな時に、不運や不幸の度合いを競ってみても虚しいばかり。じっと耐え忍んで溜め息をつくしかありません。

 どんなに医療技術が進歩しても、それを上回るウイルスが存在してしまう現実。国家を預かる政治家が「あーだこうだ」と手を打っても、後手後手に終わってしまう現実。そんな中、人間が仮に今回のウイルスに打ち勝っても、そのうちまた新種のウイルスが登場してくるのだろうと考えると、なにか人為を超えた得体の知れない脅威を覚えてしまいます。

 私なんぞには、「人為を超えた」と言うと、「自然の摂理」ということばが浮かんで来たりします。
 よくわかりませんが、以前、どこかで「ウイルスのおかげで生物が進化してきた面もある」という話を耳にしたことがあります。
 「ウイルス」は人間にとって悪さばかりしているように見えますが、もしかしたら、「自然の摂理」に則って発生しているのかもしれません。そんなふうに考えると、今回は人間社会への警鐘?「いいかげんにせんかい」と言わんばかりに登場したのではないかと思ったりもします。

 世界的には、今もなお爆発的な人口増加が進んでいて、まもなく80億になるとか。私の生まれた頃には25億だったのに、なんと70年間で三倍以上です。もしかしたら、すでに地球の許容量を越えちゃっているのかもしれません。
 そして、その人間の経済活動による自然破壊、これはもう語るに及びません。
 温暖化、放射線廃棄物の蓄積、海洋汚染等々、もはや、私たちの営みは地球環境の限界を超えつつあるのではないでしょうか。悲鳴を上げているのは、人間ではなく地球全体の自然環境なのかもしれません。

 戦争は人間どうしの勝手な殺し合いなので論外として、もう一つ大きな犠牲者が出てしまうのが震災。これは災いが不意に襲ってくるのですから、犠牲者に何の罪もないのはもちろんなのですが、実際には、その多くの人が経済活動を営みながら自然と対峙している存在であるのも事実です。
 同様に、疫病やウイルスも、知らないうちに感染して生命を落としたりするのですから、犠牲者はまさに不可抗力なのですが、どうも、私には、こういうウイルスの類、人間の営みと自然環境の調和が崩れた時に自然の摂理として登場して来るような気がしてならないのです。

 でもですよ、そうだったら、被害は環境問題に消極的な、中国やアメリカをはじめインドや日本、そういう所に重点的にと思いますが、そこが不条理な世界の本領で、ウイルスにとってそんなことは関係ありません。 
 とはいえ、やりきれませんね。ここでもやはり、戦争や震災と同様に、無神経無責任にその状況に加担している人より、何の罪もない弱者のほうが犠牲になることが多いのですから。


    温暖化進みし春の寒けかな  弁人


 とにもかくにも、今は、人間の全叡智を結集して、一刻も早くコロナウイルスを克服しなければならない状況ですが、もし収束の時期がやって来たあかつきには、「あーよかった」で済ませるのでなく、人間社会全体が、地球上に存在するものとして反省すべきことはないのかどうか、根本から考え直す機会にならなければと願わないではいられません。


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「花粉症なのにマスクが・・」~情けない日本の社会~

2020-03-05 08:57:07 | つぶやき
3月5日(木)

 「コロナウイルス」騒動があろうがなかろうが、この時期は花粉症でマスクが欠かせません。そんな中、「なんとかなるだろう」と思っていた在庫もあと数枚になりました。

 そのマスク、トイレットペーパーやティッシュペーパーに比べれば、ふだんの生活の中での必要度はやや劣るかもしれませんが、やはり、生活必需品ですよ。
 ましてや新型ウイルスでてんやわんやの状況ですから、マスクなしで外出するにはかなりの勇気が必要です。
 家でおとなしくしていればマスク無しで済みますが、外に出ないなんて所詮無理な話。
 先月の中旬に耳鼻科を受診しました。それに月に一度の定期通院があって、2日の月曜日に採血のためクリニックへ行きました。その結果を待って、今日これから診察を受けに行きます。
 今は、だれもが病院の待合室にはあまり行きたくないのか、受診する人は少ないのですが、病院でのマスク着用はエチケットの域を超えて、もう、ほぼ義務になっている状況です。

 でも、今、マスクは一般人には手に入りません。

 高値で転売しようとする人が悪いのでしょうが、こういう状況の時に、それを許してしまっている日本の社会、情けないですね。

 「物を仕入れて、それを必要なところへ転売し、差額で利益を出す」というのは、自由主義経済の中では基本的な行為ですから、転売そのものは否定できないのでしょう。考えてみれば、ふだん我々が購入するドラッグストアだって、売値は仕入れ値より高いのは当たり前ですから。
 とはいえ、ネット上で、100枚何万円とか、何枚入り何箱で何万円とかが大手を振っているのを見ると、「物の値段は需要と供給のバランスで決まる」とわかっていても、さすがに呆れてしまいます。だいたい、私なんぞが購入する時は、「一度に数枚、まあ10枚くらいあれば」と思うんですが、量がほぼグロス単位というのもチャンチャラおかしい。

 かつて、甲子園大会の折、阪神電車の梅田駅で回数券を一枚ずつ切って売っていたおばちゃんがいなくなってから、また、球場周辺からダフ屋のおっちゃんが姿を消してから、どのくらい経ったのか、今となっては懐かしい思い出ですが、日本の社会、ことチケット類の転売に関しては、かなり前から規制がかけらているようです。
 そう、たしかオリンピックを前に、去年か一昨年に「チケット不正転売禁止法」とかができて、さらに強化されたはずですが、なにしろ自由な経済活動の上に成り立っている社会、転売禁止の範囲を広げることは難しいのかもしれませんがね。

 事情はわからないでもないのですが、せめて生活必需品、そういうものが国民全体に適正な価格で行き渡るような仕組み、どうして作れないのでしょうか。「国民の生命と財産を・・・」と言いながら、肝心なところがおろそかというか、国民一人ひとりの基本的な生活を守るという、そういうことが政治家の責務としていちばん大切なことだと思うのですが。

 政府は、今増産中のマスクを、まず感染者数と死亡者数の多い北海道へ送る、一般よりも医療関係機関を優先にという方針だそうです。特に後者は反論の余地がなく、それはそれで納得したとしても、実はそれ以外にも切実に必要としている人がたくさんいるという事実、これも重い問題なのですから早急に手を打ってほしいと願わずにはいられません。

 テレビに、店頭に並んだマスクを争うように箱ごと手に取って、あっという間に売り切れるという映像が流れましたが、どうして、一人一袋(10枚程度)とかいう制限がかけられないのか不思議でなりません。
 「そんな制限をかけたって、何回も並び直せば同じ。意味がない」と言われそうですが、もしそうなら、店頭販売は禁止にして、公共機関の管理下で必要な人に広く行き渡らせるとか、医療機関に置いて受診者に渡すとか、薬局に置いて医師の処方箋で販売するとか、考えれば方法はいくつもありそうな気もします。

 病院の待合室にも保育所や学童保育の入口にも、「マスク着用でお願いします」という貼り紙があるのに、世の中からそのマスクが消えている。まったく異常です。

 所詮、人間なんて、人間の社会なんてそんなものなのかもしれません。そうだとしても、人間のそういう情けない面が表面化しないような政策を実行するのも政治家の手腕なのではないでしょうか。
 今は正念場です。瀬戸際かもしれません。こういうところで適切な施策が打てないと、それこそ「情けない日本の社会」ということになってしまうのではないでしょうかね。


   雨上がりマスク不要の春を乞ふ  弁人


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今年の大学駅伝は「戦国駅伝」とかや

2019-11-02 16:34:31 | つぶやき
11月2日(土)

 いよいよ明日は、楽しみな伊勢の「全日本大学駅伝」です。

 この何年か強かった青山学院・東洋・東海が依然「ビッグ3」として戦力充実のところに、数年前まで常勝軍団だった駒沢が復活してきて、今年は「4強」と思われていたのですが、そこに、新顔の我が国学院大学が割り込んで来て、いきなり、三大駅伝最初の出雲の栄冠を手にしてしまったので、今は、「5強」と言わざるを得ない状況になっているのです。

 でも、やっぱり「4強」じゃないんですかね。国学院は新顔だけあって、選手層の薄さは否めませんから。

 出雲で優勝したと言っても、2位駒沢とは8秒差。以下、3位の東洋とは11秒差、4位の東海と20秒、5位の青山と53秒と、ほとんど差のない混戦だったのです。
 だいたい5位の青山だって、6区間中、区間賞が2人(うち区間新1人)で、5区へ襷を渡した時は駒沢と同タイムの先頭にいたのですから。
 明日の伊勢路は8人で、出雲の優勝メンバーに2人加わるのですが、なにしろ「4強」のチームは選手層が厚いですから、とてもとても、新顔のチームが「伊勢も勝てるかな」と期待できる状況ではありません。

 その伊勢の大学駅伝。去年、国学院は6位で、8人中5人が出雲駅伝の優勝メンバーです。したがって、今年は3人入れ代わる形になりますが、その中の1人は出雲で走っているし、後の2人も昨年の4年生2人より持ちタイムが良く、総合的には昨年より好タイムでゴールはできそうです。
 とはいっても、昨年、優勝した青山とは6分39秒の差があったのです。はたして、8人でこのタイム差を越える走りができるかどうか考えると、正直なところ、けっこう難しそうなのです。優勝タイムがもう1~2分遅い年もありましたから、ここは、スピード駅伝にならないことを願うしかありません。

 勝負事は、どんな時でも貪欲に上を目指して行かなければなりません。でも、国学院はその過程で一つ大きなタイトルを手に入れました。上出来も上出来なのですが、さらにタイトルをと背伸びすると、得体のしれない重圧と力みから沈んでしまうかもしれません。

 国学院は、今年の正月5人で走って3位だった箱根の往路、今シーズンはそこで優勝することを目標として頑張ってきました。そのステップとして、出雲と伊勢で3位に入っておきたいという目先の目標を立てていたのです。それがいきなり優勝しちゃったものですから、今回、下馬評が急上昇するのもやむを得ませんが、ここは、周囲の喧騒に踊らされず、「4強を一つでも二つでも喰ってやる」という意気込みで走ってくれれば、結果は自づと付いてくるはずだと思っています。

 まあ、ということで、あまり入れ込んでも仕方ないので、今回は家でテレビ観戦と思っていたのですが、戦いの日が近づいて来るにつれて、落ち着いてはいられなくなってきました。
 結局、明日の朝の名古屋への新幹線のチケットを用意してしまいましたので、「行ってきまーす」。


   大学駅伝お伊勢参りに託つけて   弁人


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「なんとかなりませんかね」-台風19号-

2019-10-07 19:35:46 | つぶやき
10月7日(月)

 太平洋上で発達中の超大型台風「19号」。どうも、今週末からの三連休に合わせて日本列島に迫って来そうな予報です。

 ところで、日本が3連勝して大いに盛り上がっているラグビー。
 次のスコットランド戦は13日の日曜日で、もし台風襲来で中止となれば、引き分け扱いになって日本が自動的に予選リーグトップ通過になるとか。ベスト8進出には「ボーナスポイント」がどうのこうのと一喜一憂しているのに、「戦わずして進出」というのも味気ない。ここは勝っても負けても真剣勝負が観たいものです。

 そんな中、昨日、池子の自然公園を散歩して、米軍住宅の前に下りて来ると、グランドには子どもの喚声が響いていました。

 ちびっ子7人制ラグビーの
  大会のようです
    

 この子たちは、決して、日本のアイルランド戦勝利に乗じてラグビーを始めた「俄かラガーマン」ではありません。今回のワールドカップを観てラグビーに興味を持ち始めた人も多いようですが、元々、日本だってラグビーを愛する人はたくさんいるのです。この子どもたちだって、日曜日のスコットランド戦を楽しみにしているはずなんです。

 ほんとうに、台風、なんとかなりませんかね!

 もう一つ。
 実は、私にとっては、三連休の最終日の14日に、首を長くして待っている楽しみな大会があるのです。

  それが、
  

 下馬評では、今年も東海大・青山学院・東洋大・駒沢大が4強と言われていますが、今回は、私の応援する国学院も引けを取らないメンバーが揃っていると、ひそかに期待しているのです。

 今年の正月、箱根駅伝の往路で3位に入りましたが、その時の5人に4年生はいませんでした。箱根は復路もあって全部で10人、総合では7位でした。
 伊勢の全日本駅伝は8人です。昨年6位で念願のシード権を得ましたが、4年生は2人でした。
 出雲は6区間6人。昨年の伊勢の駅伝から4年生を除いた6人でもいいし、箱根の往路の5人に1人加えてもいいのです。選手層の厚くないチームには出雲はチャンスが大きいともいえます。

 今のところ、各チーム10人がエントリーされていますが、私が予想する出場メンバー6人を1万mの持ちタイム順に並べると、

 浦野 雄平4年 28:25.45 (13:45.94)
 土方 英和4年 28:44.28 (14:07.25)
 藤木 宏太2年 28:46.41 (14:06.66)
 青木 祐人4年 28:50.98 (13:54.49)
 茂原 大悟4年 29:27.84 (14:14.49)
 中西 大翔1年 29:34.81 (13:54.36)
     ( )は5000mのタイム

 1万m28分台に届かない選手が2人いますが、6番目の中西君は5000mでは2番目のタイムを持っています。出雲駅伝は、1区から8.0㎞・5.8㎞・8.5㎞・6.2㎞・6.4㎞・10.2㎞となっていて、5000mの持ちタイムを重視する向きもあります。

 なんといってもエースの浦野君、彼は箱根5区の山上りの区間記録保持者です。
 関東インカレ5000・1万mで、両方とも1部2部合わせて日本人2位も、浦野君のタイムを上回った法政大の佐藤君は今回エントリーされていません。
 全日本インカレでは5000mに出場し、青山学院のエース吉田圭太君に4秒差の日本人2位でしたが、トラックでも駅伝でも間違いなく走ってくれるなんとも頼もしいランナーです。

 もう一人の韋駄天、キャプテン土方君も実績十分。関東インカレのハーフマラソン2部で優勝、1部を合わせても、東洋大の宮下君に次いで日本人2位。
 全日本インカレの1万mでは、桜美林のキサイサ君、創価大のムルワ君に続いて日本人トップの3位に入っています。
 なお、このレースでは、2年の藤木君が土方君に続いて4位に入り、国学院が「日本人ワンツー・フィニッシュ」という結果になっています。

 青木君と中西君は5000mに強いので2・4区の短い区間で力を発揮してくれれば、4強とも互角の勝負ができそうと、とにかくワクワクドキドキなのです。

 ところがですよ、心配なのは台風19号。
 実は、2014年の第26回大会、過去に一度だけなのですが、台風で中止になっているのです。それも今回と同じ19号という不吉な予感。

 そうなんです。あの時は、明石の稲爪神社の秋の大祭で、KAZU君が猿田彦の天狗役を仰せつかっていたのに、台風で中止になるという、全く以って残念な秋なのでした。


   台風は出雲の神を畏れぬか   弁人


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強烈な台風、関東を直撃の「9月9日」

2019-09-10 16:12:27 | つぶやき
9月10日(火)

 昨日の台風、なかなかの強者でした。三浦半島でも風速40mを超えましたし。

 8日の深夜、寝床に就く時は、9日の未明に小田原から平塚あたりに上陸しそうな予報でした。逗子は台風の右側になりますから、これは大変そうと覚悟はしていたのですが、実際は、予想より東へ向きを変え、葉山の南の佐島あたりに上陸した後、横須賀を縦断、東京湾を渡って千葉のほうへ行ったようです。
 ということで、台風の右側になった三浦や房総半島の南東部の被害は甚大で、いまだに停電が続いているという報道もあります。逗子は、かろうじて台風の左側になったとも言えますが、中心が目と鼻の先を通過したわけですから、日付が変わってからの何時間かの暴風雨は、さすが台風と思わせる相当なものでした。

 ところで、台風が来やすいと言われる「二百十日」と「二百二十日」。今年は「二百十日」が9月1日ということなので、台風襲来の9日は「二百十八日」に当たります。まあ、台風が年に10個くらい上陸する日本列島ですから、この時期、暴風雨に見舞われても文句は言えませんが、9月9日という日、カレンダーには「重陽・菊の節句」とあります。

 「一」から「九」の数の中でいちばん大きいのが「九」。数字の陰陽を見る時、占いの世界で「九」は陰という見方もあるようですが、「奇数が陽で偶数が陰」という考え方もあって、そうすると陽の中でいちばん大きな数ということになります。その縁起の良い数字が二つ並ぶので「重陽」と言うそうです。
 伝統的な行事は、本来旧暦で行うものですから、本当の「重陽の節句」はまだ先なのかもしれません。博多や長崎の「おくんち(お9日)」も旧暦の9月9日(10月上旬)と聞いていますし。
 でも、3月3日の「桃の節句」も5月5日の「端午の節句」も7月7日の「七夕」も、今は新暦で祝ってますから、それに続く「重陽の節句」も、今の暦の9月9日ということでいいのかもしれません。
 その9月9日の「重陽」。「菊の節句」とも言って、長寿を願ったり祝ったりする日なのです。「敬老の日」ができたのは、たしか私の学生時代でした。その日を9月15日にしたのには諸説あるようですが、「重陽の節句」に近いということもあったと思います。
 それはともかく、そんな良い日でも、さすがに「二百十日」と「二百二十日」に挟まれた台風の時期、やはり自然の猛威は容赦してくれないんですね。

 実は、妻君のお母様、もうすぐ100才になりなんとしてまさに矍鑠(かくしゃく)。大正9年9月9日生まれということで、昨日は99才のお誕生日。なんと「9」が5つも並ぶおめでたい日だったのです。
 「9」は「陽」の中のいちばん大きい数字で・・・・・と言いましたが、人によって捉えかたも様々。
 お母様自身、
「私の誕生日は9ばっかりで、若い頃はなんて不吉なのと思ったりしてたのよ。言ってみれば三重苦じゃあないの」
と、仰ったりしていましたが、台風襲来の昨日は、

 「白寿」の
  お祝いの日だったのです
   


   菊酒を含むかにして白寿の宴   弁人


 私は事情があってご遠慮したのですが、妻君はお昼までに中野の実家へ出向くことになっていました。
 台風は未明に通過するし、鉄道も前もって計画運休に入っているので「まあ、大丈夫だろう」と思っていたのですが、出かける段になってみると、とんでもない状況になっていました。横須賀線も東海道線も京浜急行も運休が続き、言ってみれば、逗子はまさに「陸の孤島」になっていたのです。

 駅から戻って来た妻君。京急本線が動き出したという情報を聞き、「なんとか行きたい」と言うので車に乗せてみましたが、六浦へ抜けるトンネルは通行止め。田浦へ抜ける県道も大渋滞で最後尾は逗子駅付近まで続いています。横横道路や首都高湾岸線の通行止めも一般道の渋滞に拍車をかけ、その余波が身近にまで及んでいるのでした。
 「電車が動き出すまで待つしかない」と言う妻君を駅前で降ろしたのですが、その後「京急逗子線がもうすぐ動くかもしれない」という情報を得たようで、京急新逗子駅にできた長蛇の列に紛れて品川へ向かったとの連絡。結果、大混雑の品川から山手線で新宿へ行き、動き始めた中央線でなんとか中野駅に着いたとのことでした。

 いっぽう、妻君を降ろした私は、葉山へ向かう道に渋滞マークがなかったので、買物ついでにとトンネルをくぐって行くと、なんと信号が消えているのです。コンビニも真っ暗で、入口のドアが開けっ放し。そうなんです、停電なのでした。
 コンビニを覗いてみると、「冷蔵庫も切れているんで、お菓子とか煙草とかなら。レシートは出ませんが」と入れてくれました。
 幸い、我が家はテレビもエアコンも大丈夫だったので、びっくりしてしまったのですが、逗子でも葉山に隣接するあたりは停電しちゃったようで、鎌倉や横須賀を含めて、一日経った今日の午後になってもまだ復旧してないようです。
 千葉では送電線の鉄塔が倒れて大規模な停電が続いているようですが、三浦半島でも同様なことが起きて送電網が切れちゃったのでしょうか。そういえば、横須賀線もいまだに逗子から先は不通になったままなのですが、送電が関係しているのかもしれません。
 昨日、首都圏の鉄道が次々と動き出した中で、安全点検中とかで、東海道線がお昼過ぎまで、横須賀線が15時近くまで動かなかったのも送電の不具合だったのでしょうか。


   暴風雨いにしへ人は野分とや   弁人


 それにしても、たしかに勢いのある台風とはいえ、あっという間に社会機能が麻痺してしまう現実。そんな中に原発がいくつも存在しているのです。いつ大地震が襲って来るかもしれないというのにですよ。ほんとうに背筋が寒くなります。

 千葉県君津市の送電線の鉄塔が倒れた件についての東京電力の見解をニュースで聞きました。
 「風速40mの強風に10分間耐えられる設計でできている。経年劣化は考えられないので、設計時に考えていた以上の風だったとしか言いようがない」
 原発事故の時と同じではないですか。まさに「想定外」。それも東電の人の口からですよ。二度と聞きたくないと思ってきた忌まわしいことばなのに、「たかが」と言っちゃ失礼かもしれませんが、一回の台風でニュースに流れて来るとは、いったい、日本の社会はどうなっているのでしょうかね。


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ワクワクできなかった「今年の夏の野球」~その2~

2019-08-28 14:33:52 | つぶやき
8月28日(水)

 ~その2~は、もちろん広島カープのことで、
 題して、「醒めた気分に陥りながらも、静かに応援する健気なファン」

 スタートでつまづき、過去に「この状況から優勝したチームは皆無」とレッテルを貼られたカープでしたが、5月に20勝4敗という驚異的な快進撃で一時はトップを独走。
 ここはひとつ、ジンクスを覆して4連覇濃厚と思っていたところ、セパ交流戦で失速し、6月は6勝15敗と貯金も激減、まさにジェットコースターの感。

 人間のやることですから浮き沈みはあるでしょうが、電動で上下する機械じゃあるまいし、そのうちに落ち着くだろうと思いきや、6月末から7月初めにかけて11連敗した後、また勝ち始めて9連勝と、まるで本物のジェットコースターさながら、訳がわからない状態に。
 急降下と急上昇ということで、「迷走」という表現は相応しくないかもしれませんが、どうにもチーム状態がふらふらしていて不安定なのです。

 折しもの長梅雨の中で、丸の移籍? 田中の不振?とか、いろいろ考えていたのですが、夏の到来とともに、なんとなく腑に落ちてしまう要因が表面化、かなり気分が醒めてしまって、今年はテレビにかじりついて必死に応援という気分になれないのです。

 その要因の発端は「緒方監督の選手への暴力事件」。6月末の試合での野間選手の怠慢プレーに激怒したということですが、どんなに「愛がこもっている」と言っても、やっぱり論外、言語道断でしょう。

 どうも、内部通報があって調査したらしいのですが、球団の処分(厳重注意)があったのが二週間後で、公になったのはその数日後でした。
 ということで振り返ると、事件のあったのは2連敗の後の引き分けの試合で、カープは次の試合から9連敗して都合11連敗。球団から注意を受け選手全体に謝罪したのがオールスター明けの初戦の7月15日ということですが、その日からの三連戦は1勝2敗だったものの、そのあと9連勝で急上昇しました。
 戦績とは関係ないといえばそれまででしょうが、事の経緯と勝敗を見れば、どこかでチームの覇気と繋がっていたのは否めません。やっぱりジェットコースターじゃないんです。選手は人間なんですから、空気や気分に左右されちゃうんでしょうね。

 だいたいにおいて、勝ったり負けたりの世界で、7連勝、11連勝、9連勝したチームがですよ、同じシーズン中に11連敗を記録して優勝を逃すなんてことになったら、まさに前代未聞。ふつうは8連勝を二回すれば優勝できるんですから。やはり、そこには何か立派な原因があるはずなのです。

 そんなカープの迷走?を尻目に浮上してきたのが、丸選手も活躍中のジャイアンツと今永投手引っぱるベイスターズ。今はジャイアンツが独走気味になっていますが、つい半月くらい前は、三チームが1ゲーム差以内にひしめき合う大混戦だったのです。
 ジャイアンツが躍り出たのは、カープとベイスターズ以外の下位チーム相手に取りこぼしが少ないからなのですが、実は、もう一つの要因もありまして、実は、それもカープの大失態だったのです。

 それが、薬物疑惑ということで、夏場に入って絶好調だった三番バティスタが、お盆休みの真っ只中、突然登録抹消されてしまった事件。
 故意なのか不可抗力なのか、その辺の真偽は不明とはいえ、陽性反応が出たのは事実でしょうから、やはり球団としての管理能力が問われるのは避けられません。

 まったく、いよいよ正念場というところで、またまたケチが付いた感じの今年のカープ。意気消沈どころか、すっかり熱が醒めてしまいました。

 このままだと、2位か3位でクライマックスシリーズに突入しそうなのですが、「そんなんで勝ち上がって日本シリーズへ行ったって、どうせソフトバンクには敵いそうにはないし」と、後ろ向きな空想しかできない中、それでも、心の底には、マグマのように「アンチジャイアンツ」の気概が息づいていますから、試合が始まれば、テレビ画面の赤いユニフォームを追いかけるということになります。ファンって、ほんとうに健気なんですよ。

 そんなファンの気持ち、球団はわかっているんでしょうかね。
 本当ならですよ、とりあえず指揮官に責任を取らせ、オフには首脳陣も入れ換えて、新生カープを作らなければいけないくらいの事態なんですけどね。ぜひとも、ファンが心の底から応援できるチームにしてほしいと願うばかりです。

 余談ですが、

 来季、セカンド菊池選手のメージャー入りが濃厚という情報があります。

 一方、「タナ・キク」と称され菊池と二遊間を固めて三連覇に貢献した田中広輔選手は開幕以来の大不振から脱却できず、今は二軍落ちです。彼は神奈川出身で東海大相模出。親友菅野投手がいて大先輩の原監督が率いるジャイアンツが黙ってはいないでしょう。

 そして、注目の主砲鈴木誠也選手。彼がいつフリーエージェントを取得するのか、いずれにせよ彼は荒川区町屋の出身ですから、在京球団が今は手をこまねいていても、首を長くしてその日を待っているに違いありません。

 もう一人、会沢捕手。今年フリーエージェント資格を得るようですが、球団は昨年、それを承知の上で複数年契約をしなかったようです。彼も故郷は関東、水戸の出身です。たぶん丸選手同様、ジャイアンツが高額年俸を提示しそうです。

 そういえば、昨年の丸選手の時、彼の嫁さんも同郷の千葉出身の方と記したのですが、田中選手も会沢選手も奥さんは学生時代の同級生らしいということで、やっぱり、みんなジャイアンツ予備軍ということになっちゃうのでしょうか。

 手塩にかけても、みんな出て行っちゃうのは寂しいけれど、それでも新しい選手を手塩にかけて育てるのがカープ流だから仕方ないのかもしれません。
 でも、数年前、黒田投手と新井選手が最後のご奉公と言って古巣のカープに戻って来たではないですか。きっと、その要因のひとつには、カープには爽やかな若い力と健気で温かいファンがいるということもあったのだと思います。
 そう、もしかしたら、二・三年後にはマエケンも戻って来てくれるかもしれません。

 そのためにも、不祥事のない爽やかなチーム造りに邁進してほしいところなのですが。


   吾も孫も溜め息ひとつ八月尽   弁人


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ワクワクできなかった「今年の夏の野球」~その1~

2019-08-26 21:15:45 | つぶやき
8月26日(月)

 今回は高校野球の話題で、
 題して、「複数の投手を擁しないと通用しなくなった高校野球」

 やはり、今夏、高校NO.1投手と言われた大船渡高校の佐々木君が岩手県大会の決勝戦で登板を回避した問題は大きかった。

 甲子園に駒を進めたチームの中で、好投手と言われた星陵高の奥川君も、明石商の中森君も連投を避けて準決勝へ進んできました。しかし、両校とも優勝した履正社には敵いませんでした。その差は二番手の投手にあったと思っています。
 履正社はエース清水君と二年岩崎君の二人でしたが、清水君は二回戦と準々決勝に、岩崎君が準決勝の明石商戦に完投。残りの三試合は継投という具合でした。他のチームも同じようにやりくりしていたのですが、履正社の二番手の岩崎君は低めへのコントロールが抜群で、エースにまったく引けを取らない力を発揮しました。準決勝ではもちろん明石商を応援していましたが、履正社が先行してしまった中で、追いついたり逆転するのは至難と岩崎君の投球に感心しながらテレビを見ていました。
 実は、これには伏線がありました。私は、神奈川大会を見てきたので、東海相模の攻撃力に注目していましたが、一抹の危惧を抱いていた投手力がものの見事に破綻して敗退してしまったのです。その時のボールが高め高めに。「なんでまたそんなとこに! え、また! 高いよ、ボールが」と呟きながら連打を浴びる場面を見ていたのです。そんなことがあってから見た岩崎君の球は見違えるほどでした。とにかく低めによく制球されていましたから。

 ところで、過去にも複数投手を擁するチームはあったのはたしかですが、今年の甲子園を見ていると、エース一人で勝ち上がるチームは皆無で、つくづく「様変わりしてきた」と思わざるを得ませんでした。
 もちろん二番手投手のデキによりますが、もし大船渡高校が甲子園に出てきて、他のチームと同じような戦い方をしたとすると、地方大会の決勝で勝てなかったことを考えると、おそらく、二・三回勝てても、日程のきつくなった後も勝ち進むのは無理だったような気がします。
 もしかすると、将来のことなんか度外視して、連投、連投という投手、昨年の金足農業の吉田君が最後になるのかもしれません。そして、甲子園が一人の投手では勝ち進めない舞台になってきたということは、野球ファンとしては寂しい限りです。

 なぜなら、「投手一人のチームでも夢が持てる」のか「複数の好投手を用意しないと夢は抱けないのか」というのは大きな問題だからです。
 現実には、甲子園に駒を進める高校は後者の強豪校に絞られるのかもしれませんが、全国の加盟校の大半は前者の範疇に入ってしまいます。でも、その球児たちにだって「夢」を持つ権利はあるはずで、そう考えると、現状はどう見てもおかしい。
 7月末以来、大船渡高校の判断を巡って賛否が渦巻いていましたが、そんなことは馬鹿げた議論だと醒めていました。「監督も選手も何も悪くない、悪いのは制度だ」と。

 だいたい、各県から50校近くの代表がひとつの球場に集まって二週間ほどの間にNO.1を決めるなんて、多くの人が現実的でないと思う状況になっていることを考えれば、やはり、甲子園は16代表くらいでいいのです。
 地方予選は5月頃から始めればいい。一ヶ月半もあれば県代表も決まるだろうし、次の最終的な代表決定戦だって7月中にはできるでしょう。甲子園は、一回戦2日、準々、準決、決勝の5日間開催。それぞれの間に三日の休養日を入れてもちょうど二週間で、勝ち進んでも最大4試合。
 たしかに、球児にとって甲子園は聖地で、まずはその土を踏むことが目標でしょうが、その聖地にたどり着くのが今より大変にはなるとはいっても、それが夢舞台というもの。そのかわり、一人のピッチャーでも夢が持てるということです。

 最近、「NHKをぶっ潰す」と気勢を挙げて人気を博した政党が現れました。もう20年くらい前になるでしょうか、「自民党をぶっ潰す」と言って総理総裁になった人もいました。
 私は、別に「高野連をぶっ潰さないと・・・・」などとは思ってもいません。でも、もう何十年も前から、「高野連がもっと柔軟に考えられるようにならないと、高校球児の健全な育成は無理ではないか」、「甲子園は16代表くらいでいいんじゃないか」と思っていました。
 そんな中で、松坂投手の大活躍があり、早実斉藤、駒大苫小牧田中両投手の投げ合いがあり、済美の福井、安楽投手の連投も見てきました。その折々、勝つか負けるかハラハラドキドキしていましたが、そのハラハラドキドキの中には「こんなことでいいのか」という気分も半分くらいあったのです。
 2014年の9月初めの記事に載せてありますが、同年8月末の軟式全国大会で、中京学院大中京と崇徳高校の延長50回の試合がありました。両チームとも一人の投手が投げ抜いた伝説的なその試合を、当時のブログに記したとおり、明石にいた私はとうとう全インニング観戦してしまいましたが、その間、ずっと大会運営と制度のあり方に疑問を抱きつつ、ハラハラドキドキして見ていたのを思い出します。

 余談ですが、
 今年の軟式の全国大会、出場16校中、なぜか、あの2014年に登場した高校が9校も出て来ているのです。延長50回の中京と崇徳と準優勝した三浦学苑がいて、あとは秋田の能代高校、仙台商に早稲田学院、和歌山の南部や愛媛の新田、福岡大大濠と。出場する選手は違っても、なんとも懐かしい。
 残念なのはテレビ中継がないことですが、今朝の新聞では、神奈川代表の三浦学苑は新田高に一回戦9回裏サヨナラ0-1で惜敗したとか。情報によると、その新田が今日も勝って、崇徳高と準決勝を戦うとのこと。そして、今年も優勝候補の中京、鹿児島実業に2-0で勝っているのですが、どうもノーヒットノーランみたいで、明日の新聞を見ればわかります。
 そしてそして、もしかすると、あの延長50回を戦った中京と崇徳が決勝戦で相まみえるかもと目が離せません。しかし、中継がないので目の向けようがなく、なんとももどかしい限りです。

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~雑感~「改元に伴う十連休とかで」

2019-04-27 15:45:48 | つぶやき
4月27日(土)

 十日後の連休最終日には「立夏」を迎えるというのに、初日の今日は北東の風と冷たい雨。北日本では雪も降っているという変な天気。

 そんな中、新元号の時代がやって来るというので、世の中少々大騒ぎの感。この十連休、世論調査では75パーセントの人が「家でゆっくり」と答えているのに、テレビでは、成田空港や新幹線の混雑ぶり、高速道路の渋滞情報と、まあ、それも必要な情報なのでしょうが、メディアもここぞとばかりの囃し立てようです。
 とはいっても、一年中連休のような状態で、大混雑の中に身を置くことなど考えもしない我等には全く関係のない話。と思いきや、子どもや孫の家族はもろに世の中の波に乗っていますから、そうそう無関係でもないのです。孫たちも十連休ということで、明日から我が身辺も賑やかになるはずですから。

 それにしても、まことに日本人はイベントとか何かにかこつけてお祭り騒ぎをするのがお好きなようで、オリンピックも然り、今回も、天皇の代替わりと改元の意味合いとかいう本質的な問題はそっちのけで、まずは十連休を楽しみ、平成最後のカウントダウンをどうしようかと、いささか興奮気味のようですが、はたしてそれでいいのでしょうか。

 天皇・皇后両陛下が、国民の象徴たる意味を模索し、平成の世をどのように捉えてどのように行動されて来たか、その様子はたびたび映像になっていますが、実は、そこには日本人が抱える大切な問題があるように思えてなりません。

 そんなことが気になっていると、今朝の新聞に興味ある記事が二つありました。一つは「サザエさんをさがして」の「皇位継承」の記述。もう一つは岩波新書「平成の終焉-退位と天皇・皇后」という書籍の紹介文。午後、雨が止んだらさっそく本屋へ行って新書をさがしてみようかと思っていますが、せっかくの連休中に、この二つの記述にあるようなことを考えてみるというのも大切なことかもしれません。



   春時雨昭和が遠くなりにけり   弁人



 ところで、せっかくのお祭り騒ぎの中なのに、醒めたつぶやきをするのも如何なものかとは思いつつ、もう、ひと言ふた言。

 ~新元号「令和」について~

 以前にも書きましたが、元号は天皇の代替わりに伴って命名されるもので、退位の後はその元号名をもって「〇〇天皇」と称される特別なものです。
 仮に、天皇が「次の世は〇〇とする」と命名するなら、それなりの有識者の意見をお聞きになることはあったとしても、それがいちばんすっきりするような気がしないでもありません。
 しかし、元号法に「元号は政令で定める」という決まりがあって、政府が有識者の意見を集めて決めることになり、巷では、「発案者は誰か」という、本来あってはならない名付け親探しが始まり、今回もその名前が噂されました。
 こういう時は、噂されても馬耳東風を決め込むに限りますが、その噂されている学者が「もしそういう名前の人が発案者なら、そういう人がどこかにいるのかもしれません」とはぐらかしながら、新元号がいかにふさわしいかということを説きました。
 意見を仰るのはご自由ですが、渦中の人になっているという自覚があれば、やはり表に出るのは自重されるべきで、違和感を抱かざるを得ません。

 さて、そのお方が、
「『令和』の『令』を『命令』という意味だとケチをつける人がいるようですが、決してそういう意味ではなく、万葉集の『令月』の『令』は『ご令室』『ご令嬢』というように、美しく麗しいという意味である」と表明されました。

 正直なところ、どうしても、違和感が拭えません。

 「令」の字、漢文では、使役の助字として「・・しむ」と読ませる重要な漢字で、成り立ちからみても、お上やお偉い方からの指令の意味合いが原義です。そこから「高貴な」という意味が派生するのでしょうが、さらに意訳しても、「すぐれた」「上品な」「立派な」くらいまででしょう。
 出典は万葉集「梅花の歌」の序文の「初春の令月にして」なのですが。
 藤原氏全盛の御世に左遷された人たちが集まっての歌会。初春の梅の季節といえば、まだかなり冷え込んだ時期。その夜空から照らす「令月」。「威厳のある」とか、解釈は如何ようにもできそうですが、よい意味で捉えるとしても、くっきりとした形から「上品で気高い」「立派な」くらいまでじゃないかと思います。
 ちなみに、外務省は海外向けに「令和」を「Beautiful Harmony」と紹介したそうですが、私は、やっぱり、「ごちゃごちゃ言わんと、仲良くしいや」と言われているような気がしてなりません。

 今回は「国書」だと息巻いても、日本語から漢字文化を引き離すことはできません。人の名前にしたって平仮名だけというのは少ないでしょう。したがって、命名というのは漢字の意味をよく理解した上でないとおかしなことになります。
 例えば、「未来」と「将来」という似かよった熟語がありますが、訓読-漢文の書き下し文にすると意味の違いがわかります。「未来」は「いまだ来たらず」で、「将来」は「まさに来らんとす」。つまり、「未」は「まだそうなってない」、「将」は「今まさに、そうなろうとしている」という意味です。音感からいうと、「将来」より「未来」のほうが響きがいいので、どこか「未来」のほうが夢があるような感じがしますが、意味的には、本当に来るかどうか、少々不安が残ります。
 「ミ」という音は女の子の名前によく使われます。「美」や「実」や「三」は無難ですが、「未」をアタマに置くと、下の漢字の状態に「まだそうなっていない」という変な解釈をされかねません。現実に、そういう名前に時々出会うので、具体例は挙げませんが、名前を付ける際に日本語で付ける以上は漢字の意味を理解することが大事なのです。

 元号に戻ります。
 「ラ」行の音は澄んだ感じがするので、生まれた子の名前なんかにもよく使われます。「うるわしい」と読む「麗」や「頭を下げ祈る」の「礼」も美しい意味を持っていますし、「鈴」や「玲」も金属や玉が触れ合った時の透き通った音色を表しています。
 その音感から、「令和」の「レイ」もとても響きがよく、多くの人が親しみやすいと感じるようですが、やはり、漢字の原義も考慮すべきだったのではないでしょうか。「派生した意味も含めて解釈すればいい意味になる」ということなのでしょうが、事は、一国の一時代を表す表記の命名なのですから。

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「平成」もあと僅かの中で、一抹の気がかり

2019-03-26 17:35:02 | つぶやき
3月26日(火)

 新しい元号の発表まで一週間を切りました。

 まあ、元号が変わっても、個人的には、自分の人生に影響はないと思いつつ、日本人というか日本社会全体には「新時代到来」という、良きにつけ悪しきにつけ、気分的な高揚感が生まれるのは否めません。

 実を言うと、私は自分の生まれた年は「昭和24年」という認識が強く、「1949年」生まれという意識は薄いのです。どうやら、人生の前半分?昭和の終わる64年までの自分史の流れは元号で把握しているようです。ところが、なぜか1990年から、つまり平成2年からは西暦でないと振り返られなくなっています。
 おそらく、平成年に(19)88をプラスすると西暦年になり、2000年以降は平成年から12をマイナスすると西暦の下二桁になるという計算が少々煩わしくてそうなったのだと思います。
 結果、自分の誕生日や就職した年はもちろん、妻君や子どもの誕生日も家族の出来事も、40才の頃までは「昭和○○年」と把握しているのに、平成になってからの出来事、つまり孫の誕生日や成長の過程は西暦で認識していて、どうみても一貫性がないと思いつつ、「あれは平成何年?」と言われると戸惑ってしまうのです。

 5月1日からの新しい元号の元年が西暦2019年ですから、今後は西暦年から18を引くと新元号年になるわけですが、昭和から三代生きる者にとっては、今後両方を認識して行くのはやはり難しいでしょう。
 もしかすると、平成生まれで自分史を元号年で捉えていた若者も、これからは私と同じように、人生の途中から西暦で認識するようになるのかもしれません。

 ところで、私が30才の頃に成立したのですが、我が国には「元号法」という法律があります。
 本則・附則とも二行(二文)ずつの、きわめて短く簡略な法律で、西暦より元号を重視せよとかいう指示めいた内容は全くありません。
 したがって、ここで「私は最近、西暦しか使いません」と言っても何ら問題は生じないわけですが、「日本では元号を定めますよ」という法律があるということは、全く無視をすると「おいおい、あんた日本人じゃないのか」ということになりかねないという危惧もあります。
 ということで、元号法の成立に当たっては、それなりに侃々諤々のやりとりがあったのですが、国民に強要・強制するものではないという了解のもとで成立したという事情があります。
 その後、今から20年前に成立したいわゆる「国旗・国歌法」も同様の了解のもとで定められたのですが、現実には、多くの式典で「国歌演奏」が「国歌斉唱」に変わり、ただ立っているだけだと「歌っていないじゃないか」と咎められる状況が生じていることも事実です。

 話が「国旗」とか「国歌」とかに及ぶと、急に重々しい雰囲気が漂って来てしまいますが、これは仕方ありません。どこかで「天皇」という存在と絡んでいるからです。
 そういう意味では、法律に「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」とありますから、「元号」というのは「国旗・国歌」以上に、ストレートに「天皇」に関わっているということになります。
 そして、このような事柄に関して、日本国民の根底には、意見を差し控えるという意識が強くあって、ましてや議論するなんてことは思いもしないということになります。議論を突き詰めて行くと、最後は天皇制の是非というところに行き着いてしまうことがなんとなく見えているからでしょう。
 国会でも同じなのです。先ほど「元号法」のところで「侃々諤々」と言いましたが、それはあくまで法案を出すか出さないかという局面での「やりとり」であって、提出された後は、ほとんど「議論」の時間はありませんでした。

 そんなことを踏まえながら、今回の「改元」の話題に戻します。

 報道では、案を専門家に委嘱したとか、発表はどうこうするとか、今のところ、決定の手順とか手続きとかについては内閣官房長官が説明の矢面に立っています。そういえば「平成」の元号を発表したのも、お馴染みの影像のとおり、小渕恵三元総理で当時の内閣官房長官でした。
 これには、法律に「元号は、政令で定める」という根拠があります。要するに、内閣が決めて国民に知らせるということですから、今回の発表が前回同様に官房長官になるのか、やる気満々の感じの総理大臣になるのか、それはどうでもよいとして、最終的な決定権は内閣にあるというところが重要です。

 そこで、今回のテーマ。タイトルの「一抹の気がかり」について。

 非を問われても、うしろ指を指されても、「いっさい関わっていない」と言いとおし、「忖度」ということばでお茶を濁すことがお得意の安倍総理。
 まさか元号案を提出する専門家の方々が忖度することはないでしょうが、元号案の中に「安○」とか「○安」とかの名称が入っていて、内閣がそれを選んだとしたら、それはトップの意向でしょうか、はたまた忖度でしょうか、とにもかくにも、笑ってしまうというより、虫唾が走る感じになってしまいそうです。いやな予感。

 そもそも、「元号」が国民の生活に根ざす大切なものであるならば、国民主権の民主主義国家なのですから国民投票かなんかで選べばいいはずなのです。でも、くどいようですが、「元号」というのはそういう類のものではありません。オリンピックのエンブレムやマスコットなどと同様に考えるなんて論外。一国民が関わるなんて畏れ多い、天皇の代替わりに伴って生まれる特別なものなのです。
 したがって、「案を提出する専門家の名前も、決定した名称の提案者も明らかにしない」という官房長官の弁も至極当然なのです。しかし、最後に決めるのは内閣というところがミソで、そのメンバーは隠しようもありません。

 大変ですよね、閣僚の方々。そんな大ごとに関わることになるのですから。もし正常な神経の持ち主なら、そのストレスは如何ばかりか、察しても余りあるものがあります。
 ところがですよ、今の内閣、信じられない言動で見識を疑われる方もいらっしゃるようで、さすがに心配になります。公表した後に「忖度?」などと言われかねないような名称に、もしなったとしたら、私個人にはなんら関係ないことなのかもしれませんが、ちょっと気がかりになっています。

 本当は、ブログにこういう記事を載せるのは本意ではないのですが、人生、イヤな予感が的中してしまうこともあります。
 ところが、ブログに関して言えば、予想や予感を載せると見事にはずれるという経験則があります。きっと「はずれた!」という思いは強く残るからでしょう。
 実は、二・三日前からいやな予感が浮かんでしまい、なかなか消え去ってくれないのです。あげく、虫唾の走るような思いをしたくないという気分が強くなってきたので、ブログに載せれば、来週、気持ち良くお花見に行けそうかなということでつぶやいてみました。


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今年最後の溜め息にしたい「丸選手の巨人移籍」

2018-12-04 07:38:27 | つぶやき
12月4日(火)

 セリーグのMVPを二年連続受賞した丸選手がカープを出て行きます。

 そういうの、カープファンには慣れっこなんですけどね。
 ジャイアンツに行った川口・江藤、タイガースへ行ったシーツ、金本、新井、メジャーへ行った黒田、マエケン、そうそう、大竹もジャイアンツに行きました。

 黒田と新井は戻ってきて、一昨年、25年ぶりの優勝に貢献し、今の強いカープの礎になってくれましたが、メジャーへ行った二人と金本を除くと、現実には、なかなか国内フリーエージェントで移籍して大活躍ということにはなりません。

 「丸選手は格が違う」と言えばそれまでですが、彼だって人の子です。
 身体能力が強く欠場の少ない彼が、今年の4月下旬、調子を落として集中力を欠いたのか、捕球の際に負傷し一ヶ月戦列を離れました。そしてシーズン終盤、ホームラン王争いに加わったためか、彼らしいバッティングが影を潜め、その不振は日本シリーズまで尾を引いてしまいました。
 きついようですが、私は、カープが今年日本一になれなかった要因のかなりの部分、彼の不振が占めていたと思っています。
 今となってみれば、「そうか、フリーエージェントの件も頭をよぎって、集中力に影響していたのかもしれない」と思いたくもなってしまいます。

 今後、カープ戦で大活躍されたら全く以って困りものですが、彼の能力から言えば、トリプルスリーはおろか三冠王だって夢ではない逸材であることは確かです。はたして、ジャイアンツで岡本の前の3番バッターとして不動の地位を築けるかどうか、残念ではありますが、ぜひともそうなってもらわないとと、期待と一抹の不安の中で見守ることになりそうです。

 ちょっと話は変わります。
 先週の金曜日、大宮へKAZU君を迎えに行った日。ただ往復するだけではつまらないので、昼に銀ブラをしましたが、そういえば年末ジャンボの時期ということで、西銀座のチャンスセンターへ行ってみました。

 平日なのに、
  すごい行列
  

 最後尾は
  高速道路下まで
  

 小一時間ほど並ばないと買えないのでしょうか。「発売日とか最終日とかじゃあるまいし」と退散しましたが、庶民も皆、お金が欲しいのでしょうね。なんか、呆れるというより寂しくなってしまいました。
 たしかに「ミニジャンボ」とか「プチジャンボ」とかもありますが、年末ジャンボの売りは「1等前後賞で10億円」という触れ込みです。一庶民がそんな大金を手にして、いったいどうするのでしょう。
 やっぱり、私には「ミニジャンボ」くらいが相応かなと、有楽町駅前の売り場で購入してみましたが。

 そんな他愛ない状況の中で、ふと、「さすがに年に何億円も稼ぐ人たちにとっては、こんな行列には無縁なんだろうな」と、ジャイアンツに移籍するらしい丸選手のことが浮かんできてしまいました。

 もちろん、彼が千葉の出身であること。嫁さんも同郷であること。さらに、「太く短く」というプロスポーツ選手の置かれた厳しい状況は重々承知の上で。

 今年の丸選手の年俸は2億1千万円らしいのですが、カープは4年17億を提示したそうです。それに対して、ロッテが6年30億とか、ジャイアンツが6年35億とか、推定ですが、提示金額が噂されています。
 庶民にとって1億円といったら、まったく途方もない大金ですが、年に4億円稼ぐ人にとっても、さらに1億円、2億円余計にもらえれば「ウッハッハ」ということなのでしょうか。
 張本氏曰く「桁が違う。高いほうへ行くのが自然だし、プロ選手ならば当たり前」とのことですが、換算すると、年俸4億円より5~6億円を選んで古巣を去るということになります。
 一ファンが「それでカープ去っちゃうのか」と思ってみても、やはり、別世界の一庶民の溜め息にすぎないのでしょうね、きっと。気分消沈。

 いや、別に丸選手を責めているんじゃないんです。初めに言ったように、カープファンはこういうことに慣れていますし、だいたいですよ、ちゃんと制度があって、それに則っているんですから、愚痴ってみてもはじまりません。カープはそんなことでへこたるチームじゃないんです。だいたい、三連覇だって、マエケンが出て行った後に達成しているんですから、丸選手が抜けたってなんとかなるにきまっています。

 ただ一つ残念なのは、移籍先が彼の地元の千葉ロッテじゃなくて、いい生え抜き選手がいるのに毎年フリーエージェントの補強に頼って、それでいてそれなりの成績で甘んじている金満球団ジャイアンツという点。
 「あーあ、なんともやりきれん」。思わず溜め息。


   ご満悦!金で鯉釣るジャイアンツ   弁人


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