レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

アルルの女

2010-08-10 14:31:39 | 
 いまは、読んだ本に関してはこうしてときどきブログに書いているだけだが、かつてはもっとマメにメモをしていた、もっともタイトルと作者と日付だけだが。
 高校時代のそういう読書ノートを見直していたとき、
  某月X日
    ドーデ『アルルの女』
  某月△日
    有島武郎『或る女』
ーーと並んで書いてあったので吹き出した。書いた当時は全くこのシャレもどきには気がつかなかった。
 先月、某アマチュア楽団のコンサートで『アルルの女』組曲をきいたので、この際だからまた読んでみた。
 もともとは、『風車小屋便り』の1編で、ごくごく短い小説で、のちに戯曲化され、ビゼーの音楽で有名。
 農家の青年フレデリは、街で会った一人のアルルの女に夢中になり、結婚話まで進むが、彼女がこれまで馬屋の男の情婦であったことがわかって破談になる。母親の名付け子であるけなげな娘と結婚することにしたものの、馬屋の男が「アルルの女」との強引な駆け落ちを企てていることを知って、未練が蘇って自殺する。
  まえに読んだあとでも、タイトルロールであるはずの「アルルの女」は直接に登場はしてなかったよな、と記憶していたが、やはりその通りで、この女がなにをどう思っていたのかはいっこうに出てこない。周囲の声だけきいてると悪女のようだけど、もしかすると、まえの男とはきっぱり別れてカタギで出直すつもりだったのかもしれないじゃないか、とも思う。でもまた昔の付き合いが復活して『カヴァレリア・ルスティカーナ』みたいな話になっていたかも。
 先週の「世界ふしぎ発見」は南仏プロヴァンスがテーマで、アルルは美女の里だと言っていた。プロヴァンスといえば、「宮廷恋愛」の発祥地でもある。りりしい士官が既婚の貴婦人を護って旅する物語で原題が『屋根の上の軽騎兵』であるフランス映画の邦題が『プロヴァンスの恋』になっていたことは、それを念頭に置けば的を射ている。 
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『おじさんはなぜ時代小説が好きか』の一部

2010-08-08 06:14:02 | 新選組
 集英社文庫の新刊『おじさんはなぜ時代小説が好きか』by関川夏央  の司馬遼太郎の章では『燃えよ剣』についても言及している。

 「四年後の70年、やはりNETで今度は『燃えよ剣』がドラマ化されました。この『燃えよ剣』のドラマが、実は、いまに至る新選組のイメージの原点になりました。どういう原点かというと、新選組が青春ものであるということです。」
 論じていることはたいてい妥当だと思うのだが、それは違うだろうという点はある。
 「小説では、最初の三分の一は多摩地方と江戸の話です。それから京都時代が三分の一。最後の三分の一は江戸に戻ってきてから、甲州に行ったり宇都宮に行ったり箱館に行ったり、流浪のくだりです。」
「京都へ行くまでと京都を去ってからが、両方とも長いのです。しかしわれわれがイメージする新選組の物語は、京都が舞台です。テレビの『燃えよ剣』もだいたい池田屋事件までを核とします。 
 テレビで成功した一因は、京都の部分だけしかやらなかったからです。そのあとは隊内粛清などで話がどんどん暗くなります。新選組の青年たちの京都時代は、史実的にはかなり短い期間でした。」

>テレビの『燃えよ剣』もだいたい池田屋事件までを核とします。 

ーーそんなことはない。全26回のうち、池田屋はまだ9話めだ。

>テレビで成功した一因は、京都の部分だけしかやらなかったからです

ーー26回のうち、京都時代は2~18回なので、メインではあるけれど、「しか」というわけにはいかない。

>そのあとは隊内粛清などで話がどんどん暗くなります。

ーーそのあとの時代に暗くなるとすれば、それは幕府方まるごと敗北へと向かうからだろう。新選組全体がその波の中で流されていくので、戦う相手は本来の外敵、戦場らしい戦場になってくる。内部粛清が目立つのはむしろ京都時代だろうよ。

 上記引用の中で「NET」と書いてあるのは現在の「テレビ朝日」。
 細かいことを言えば、「テレビドラマ」ではなくて「連続テレビ映画」(制作の仕方が違うらしい)。しかしこの「テレビ映画」というもの、「映画」の本の中では対象にされず、「テレビドラマ」のほうで取り上げられるのが常なのだ。視聴者にとっては作りの違いはたいていどうでもいいだろうし(私もわからん)、私もめんどくささを感じながら「連続テレビ映画」と書いている。結束信二脚本・栗塚旭主演であることはその都度記することに抵抗はないが。なにしろほかにもいろいろ『燃えよ剣』があるから。

 ツッコミいれてるけど『おじさん~』とその筆者に対しての攻撃の意図はない、念のため。面白く読んだ本。
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ハナの日、たこやき

2010-08-07 16:11:23 | 雑記
 『ヘタリア』の日めくりカレンダーに、8月7日は「花の日」だということで、ヒマワリ抱えた「ロシア」の図が描いてある。
 検索すると、山梨県の「花パークフィオーレ小渕沢」が決めたそうだ。
  こういう「○○の日」はダジャレが多いな。では、8月8日が母の日だと主張する人々がいてもいいようなものだ。

  今週末は地元でお祭りで、私は祭りじたいどうでもいいけど、屋台は好きだ。夏の屋台ならばまずラムネ。いつでもたこ焼きはOK。『カルバニア物語』で、パーマー国王がひそかに愛好している「下々の珍味」にはタコヤキが含まれている。私は30数年まえに、夏休み恒例の田舎(九州、玉名)に行く途中で食べたのが最初で、かんどーするほどウマイものだと思った。だからといって、当時関東になかったとも言えない、地元のデパートにはあったはず。ともかく、家で作れるものでないということもあって、外でなにか食べつとなるとタコヤキは優先順位1位なのである。
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将軍たちの夜 説教師 ロマンス小説の七日間

2010-08-05 09:50:18 | 
 相互の関連はないけど、先月読んだ本の感想で書きためた3本ぶん。

『将軍たちの夜』ハンス・キルスト

 20年以上まえに私が読んだときにはハヤカワで出ていた。いま角川文庫で新訳で出た。「瑞々しい新訳で蘇る」という表現は、小説の内容を考えるとどうもヘンな気がする、訳に文句を言うのではない、背景がゆがみまくった世界だから。安彦良和のカバー絵がほどほどブキミで合っている。

 1942年、ワルシャワで起きた娼婦に対する変質者じみた殺人事件、目撃者の証言から、犯人はドイツ軍の将官の人間らしい。追求しようとする国防軍防諜部(アプヴェール)のグラウ少佐は、意図的に転任させられる。しかし44年、パリで再び同様の事件が起きる。この時は「7月20日事件」が背景にあるのでいっそう緊迫感がある。
 娘を「英雄」のタンツ将軍と結婚させようと画策する将軍夫人の姿は、『白い巨塔』の東教授夫人(俗悪さを体現したキャラ)を連想させた。娘のほうでは親に逆らってマトモな道選んでくれたけど。
 ピーター・オトゥールやオマー・シャリフで映画化もされた。見たいような見たくないような。
 
 同じ作家の『長いナイフの夜』は集英社文庫で出ていたな。あれも復活したら喜んで買う。


カミラ・レックバリ『説教師』
 スウェーデンの作家によるミステリーのヒット作、集英社文庫の夏の100冊にも入っている『氷姫』に続く、「エリカ&パトリックの事件簿」第二弾。
 ドイツ人の若い女性観光客が行方不明になり、その遺体は白骨化した2体と共に発見される。その2体は20数年前に失踪した若い娘たちのものと判断された。その事件には、「カリスマ説教師」の一族が関わっていた。
 作家のエリカと刑事のパトリックはいつのまにか進展して、この話ではエリカは身重の身。前作で暴力夫から逃れたエリカの妹アンナは今回またも・・・ああイライラする。
 観光地に家があるせいで、夏になるとエリカの家には、日ごろ親しくもない知人や親戚がタダで泊めてもらおうとしてやってくるので彼女たちはうんざりしているという設定。この話では、従兄が妻子と共にやってくるが、実にしつけの悪いクソガキども。食事に文句つけることを叱りもせず、子供に押し付けてはいけないとかなんとか偉そうなことぬかす母親に我慢ならなくなったエリカが、文句つけられた料理を彼女の頭上でぶちまけるのは、かまわんやってやれ!の気持ちだった。
 明かされる過去の真相は二転三転。諸悪の根源は貴様だ~~!と言ってやりたいのは(略)。
 ろくでなしのわりに人に好かれるやつ、まともだけどそれが報われてないやつ、作中ではカインとアベルの名前が出てきたけど、私は放蕩息子が頭に浮かんだ。(聖書のあの話、兄の側にももう少しフォローしてやれよ親父、と思う。)


三浦しをん『ロマンス小説の七日間』 角川文庫の100冊に入っているので再読。
 海外ロマンス小説の翻訳をしている(ハーレクインの類だろう)あかりの日常と、小説の内容が交互に出てくる。「中世」と言ってるけど中世のいつだかはっきりしないとか、ヒロインに主体性がないとかツッコミをいれまくり、さらに、突拍子もない恋人の行動へのイライラが募って、翻訳を外れて暴走、勝手に男主人公を殺してしまった。ーー最終的には、締め切りを延ばしてもらってちゃんと翻訳をやり直すようだけど。改変バージョンを原作にして誰かマンガにしてみればいいのに。
 しをんさんはエッセイで、「ハーレクインヒストリカル」について、「大嫌いな古典的男女観の世界だけど、疲れてるとそういうものが読みたくなる」と書いていたことがあるので、あかりのツッコミは作者の実感なのだろうな。

 角川の夏フェア100冊に、この3年で順ぐりに三浦しをん作品を入れていると記憶する(思い違いかも)。これでもう3冊全部まわったぞ、来年はどうするんだろう。
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『映像の世紀』

2010-08-03 05:12:55 | 歴史
 NHKで1995~96に放映された、20世紀の歴史を描いたドキュメンタリー。何度も放映されたしDVDも出ている。私は授業でもときどき見せる。ドイツと縁の深いのは、第一次大戦を扱った2回目『大量殺戮の完成』、ナチス台頭期の4回目『ヒトラーの野望』、第二次大戦の5回目『世界は地獄を見た』、東西冷戦の始まり、7回目『勝者の世界分割』だと思う。 このまえ、ドイツ語の授業の最後の一こまをビデオにあてることにして、『シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典』か、『映像の世紀』か多数決で後者にした。大学がベルリンと縁が深いので、ベルリン封鎖・空輸の出てくる『勝者の世界分割』。
 私はこれをもう何度も見ているけど、改めて、ソ連のあくどさに腹をたてた。いまの大学生の世代だと、「ソ連」という呼称や、「東西」ドイツの存在なんて過去のものなのだろうけど、少なくとも80年代まで多くの日本人にとってソ連tいえばそれはそれは憎たらしいものであったことを私ははっきりと覚えている。もちろん、どこの国にもそれぞれの言い分や恨みごとがあるものだけど。
 「ベルリン空輸広場」という名前の地下鉄駅は今日存在している。私が98年に泊めてもらった友達の家はその近くであったかな?「マンフレート・フォン・リヒトホーフェン通り」というかっこいい名前であることは確かだ。 
 番組で、封鎖されたベルリンの上空から物資をどんどん米軍機が落として、それに対して市民が群がる有様が描かれる。そりゃ、爆弾降らせるよりもはるかに気分がよいことだろうよ。日本でだって「ギブミーチョコレート」(これをバレンタインデーのセリフだとしか連想しない世代もいる)の時代があったことを思えば苦い気持ちにならざるをえない。
 この回は、朝鮮戦争の勃発までが扱われている。列車で出征していくアメリカの一兵士、しかし、すでにゆっくりと動き出している列車からまた飛び降りて、恋人とまた抱き合ってとことん別れを惜しむ場面、・・・・・・「勝ってくるぞと勇ましく」のタテマエのもと、別れの悲しみや生還の希望さえもあらわにすることを許されなかった(ということになっている)日本人からすると、同じ人類とは思えないありさまで笑ってしまう(悪意で言うのではない)。
 感傷的になることは危険であるけど、なにかと感慨深い『勝者の世界分割』。もし勝敗が違っていたら、それはそれで別の不幸があったに違いない。

 それにしても、あのテーマ曲はインパクトが強い。見たあとしばらく頭から離れない。
 いきなりの連想で(同じNHK放映で歴史ものだというだけの共通点)『ヨーロッパ城物語』のテーマも印象深いけど、こちらはうんと遠~いだけに、もっと気楽にロマンにひたれる。DVD出てくもらいたいな。似たようなものはすでに持ってはいるけど。
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古典の漫画化文庫

2010-08-01 06:47:32 | マンガ
 マンガと本のどちらのカテゴリーに入れたものか迷う話題。
 古典文学のマンガ化の描きおろし文庫シリーズががいつのまにか4種類になっている。最近、目にした「ホーム社」の新刊のうち、絵が私の少女マンガ美意識に耐えるもの3冊を買ってみた。この際なので、全部HPを貼ってみる。 ホーム社のものは、いまのところ試し読みができるので気の向いた方はどうぞご利用ください。

 学習マンガというジャンルはマンガ家の名前を軽視するので憤慨にたえない。その視点で見ると、「まんがで読破」は全巻が「バラエティ・ワークス」というグループによっていて個人名を出さないようなので別にするとして、「名著をマンガで!」だけは、「著者紹介」がマンガ家についても書かれていてよろしい。「MANGA BUNGO」は表紙に名前が載るのみ。「まんがで読む名作」に至っては、奥付にしか記載していないようである(これは一冊も買っておらず、店頭で、ビニールがけの本を少し曲げるようにして中身をうかがっただけなので完全に確かではない)、少なくとも表紙にマンガ家の名はない、けしからんことだ。

 こういうの、だれをターゲットにしているのだろう。おおかたは、原作へのとっかかりとして役に立てば、という大義名分がまずあると思う。でも実際にはどういうふうに享受されているかとなるとまた違うかもしれない。
 私は、原作に対する関心または愛着があり、そして絵が許容できることが条件だ。
 上記のHPのうち「まんがで読破」には、読みたい作品のリクエストもできるようになっている。そりゃ、マンガ化希望する作品はたくさんある、しかし、絵があれに決まってるとなると(いや、たたくほど悪いわけではないんだけど)いまひとつ熱がこもらない。

「ホーム社MANGA BUNGOシリーズ 」

「まんがで読破 」

「まんがで読む名作 」

「名著をマンガで! 」

 「名著を」の『こころ』、カバーに載ってる絵に見覚えがあるので名前を見たら「高橋ユキ」、これは、そもそも「花とゆめ」にいて、その後別名でBLに行ってた高橋由紀だ。買ってみた。当時よりも華やかさはかなり抑えた絵になっている。思えば、『こころ』はBL視点からもしばしば注目される小説なので、この人に描かせたこともさほど意外ではない。わりに合っていると思う。
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