本屋に置いてある集英社のPR冊子「青春と読書」の11月号に、山崎ナオコーラ『ああ、懐かしの肌色クレヨン』という短編が載っていた。パンの工場に勤める鈴木は、いわゆるアルビノらしく、白すぎる肌の持ち主。
「理想の肌色というものを、誰もが頭の中に持っている。
昔、鈴木が子どもの頃の色鉛筆がクレヨンには「肌色」という名の一本が入っていた。鈴木は特に気にしないようにしていて、図工の時間には、理想の肌色として、その「肌色」を使って女の子の絵を描いていた。そのとき、違和感がなかったとは、全然傷付いていなかったとは、さすがに言えない。「でも、世の中ってこんなものだ」と思っていた。
鈴木が「肌色」と呼んでいたクレヨンは、今の子どもたちの持っているクレヨンケースの中で「ペールオレンジ」だの「うすだいだい」だのと名前を変えているらしい。「肌の色は個人差があるから、『肌色』という言葉で統一するのは差別的」というわけで、その色名は消滅してしまったのだ。
確かにその方が、鈴木は傷付かない。でも、「肌色」という言葉があった世界のことも、鈴木は嫌いではなかったのだ。」
私が学校で「図工」の授業を受けていたころは「肌色」は存在した。先生によっては、その「肌色」で済ますことは手抜きと考えて、ほかの色を混ぜて創るように指導していた。差別とまで気をまわしていたかはわからない。
鏡のまえでファンデーションなど塗っているとき、しばしば思う。ーー医者が患者の体調を診る際、顔色は重要なものだろうけど、黒人の場合はどうするのだろう?ーーいろいろな肌の人のいる国では、そのぶん化粧品の種類も多いのだろうか?
そして、「肌色」なんてアメリカではありそうもないな、と思っていたが、上記の小説で現状を知った。先日、色鉛筆の売り場で見てみたら、なるほど、「うすオレンジ」と書いてあった。
ファンデーションやストッキングの色も、肌の色との組み合わせが微妙なものだ。「焼き増ししても同じ」(注)日本人の間でも厳密にはこれほど開きがあるのだから、ましてやアメリカやフランスならたいへんなものだろう。
注 アメリカが戦時中につくった『汝の敵日本を知れ』というフィルムで言っていた、「どの兵士も瓜二つで、写真を焼き増ししても同じである」
ところで、引用した小説の「鈴木」は、下の名前がとうとう出てこない。早々に、フォークダンスで男子に手をにぎってもらえなかったという描写で女かと見当がつき、デートにワンピースを着ていく場面で決定的になる。女の登場人物は下の名前で呼ばれることが圧倒的に多いので、「鈴木」が意図的ならば面白い。
「理想の肌色というものを、誰もが頭の中に持っている。
昔、鈴木が子どもの頃の色鉛筆がクレヨンには「肌色」という名の一本が入っていた。鈴木は特に気にしないようにしていて、図工の時間には、理想の肌色として、その「肌色」を使って女の子の絵を描いていた。そのとき、違和感がなかったとは、全然傷付いていなかったとは、さすがに言えない。「でも、世の中ってこんなものだ」と思っていた。
鈴木が「肌色」と呼んでいたクレヨンは、今の子どもたちの持っているクレヨンケースの中で「ペールオレンジ」だの「うすだいだい」だのと名前を変えているらしい。「肌の色は個人差があるから、『肌色』という言葉で統一するのは差別的」というわけで、その色名は消滅してしまったのだ。
確かにその方が、鈴木は傷付かない。でも、「肌色」という言葉があった世界のことも、鈴木は嫌いではなかったのだ。」
私が学校で「図工」の授業を受けていたころは「肌色」は存在した。先生によっては、その「肌色」で済ますことは手抜きと考えて、ほかの色を混ぜて創るように指導していた。差別とまで気をまわしていたかはわからない。
鏡のまえでファンデーションなど塗っているとき、しばしば思う。ーー医者が患者の体調を診る際、顔色は重要なものだろうけど、黒人の場合はどうするのだろう?ーーいろいろな肌の人のいる国では、そのぶん化粧品の種類も多いのだろうか?
そして、「肌色」なんてアメリカではありそうもないな、と思っていたが、上記の小説で現状を知った。先日、色鉛筆の売り場で見てみたら、なるほど、「うすオレンジ」と書いてあった。
ファンデーションやストッキングの色も、肌の色との組み合わせが微妙なものだ。「焼き増ししても同じ」(注)日本人の間でも厳密にはこれほど開きがあるのだから、ましてやアメリカやフランスならたいへんなものだろう。
注 アメリカが戦時中につくった『汝の敵日本を知れ』というフィルムで言っていた、「どの兵士も瓜二つで、写真を焼き増ししても同じである」
ところで、引用した小説の「鈴木」は、下の名前がとうとう出てこない。早々に、フォークダンスで男子に手をにぎってもらえなかったという描写で女かと見当がつき、デートにワンピースを着ていく場面で決定的になる。女の登場人物は下の名前で呼ばれることが圧倒的に多いので、「鈴木」が意図的ならば面白い。