日本語で書いた論文の中に外国の名前を出すときに、アルファベットつづりのままで書くか、日本語のカタカナ表記にするか。たとえば、
「Goethe は1749年にFrankfurt am Mainで生まれた」と「ゲーテは1749年にフランクフルト・アム・マインで生まれた」のような違いを言っている。 これについては人それぞれ考えというものがあってむげに否定はできないのであるけれど、私は、--それが発音不明だとか、邦訳がなくて固定した邦題がないというのでもなければ、日本語の中ではカナにしてほしいと思う。元々のスペルが不明だと落ち着かないのであれば、最初に出てきたときに示しておけば充分。正直なところ、Goethe だSchillerだ、 Weimarだ Berlinだ、いちいちスペルが繰り返されるとうんざりしてくる。日本語としての見た目が美しくない。
私の知る限りでは、こういうアルファベットのままの書き方は、ドイツ文学の中では中世対象のもの、ほかの文学では仏独よりも英文学に多いようだ。理由は、前者は、現代のように発音の規則が固まってなかったので、なんと読んでいたかが不明なことが多々あるから、後者は、スペルに対して発音の可能性の幅が英語は広いからーーだと推測する。 でもなぁ、Shakespeare やLondonや Elizabethなんていちいち書かなくてもカタカナで充分だってば、と言いたくなるよ・・・。
「Goethe は1749年にFrankfurt am Mainで生まれた」と「ゲーテは1749年にフランクフルト・アム・マインで生まれた」のような違いを言っている。 これについては人それぞれ考えというものがあってむげに否定はできないのであるけれど、私は、--それが発音不明だとか、邦訳がなくて固定した邦題がないというのでもなければ、日本語の中ではカナにしてほしいと思う。元々のスペルが不明だと落ち着かないのであれば、最初に出てきたときに示しておけば充分。正直なところ、Goethe だSchillerだ、 Weimarだ Berlinだ、いちいちスペルが繰り返されるとうんざりしてくる。日本語としての見た目が美しくない。
私の知る限りでは、こういうアルファベットのままの書き方は、ドイツ文学の中では中世対象のもの、ほかの文学では仏独よりも英文学に多いようだ。理由は、前者は、現代のように発音の規則が固まってなかったので、なんと読んでいたかが不明なことが多々あるから、後者は、スペルに対して発音の可能性の幅が英語は広いからーーだと推測する。 でもなぁ、Shakespeare やLondonや Elizabethなんていちいち書かなくてもカタカナで充分だってば、と言いたくなるよ・・・。