私はたまに、アマチュア楽団のクラシックコンサートに行く。一つ行けばパンフレットにチラシがはさんであるので物色するのも楽しいが、決め手になるのは、近くて行きやすいこと、その時私が取り込み中でないこと。昨日は、ほぼ毎回行っている管弦楽団で、会場は電車で20分程度の場所。
R.シュトラウス『オーボエ協奏曲』はわりにゆったりの印象、ブルックナー『交響曲第3番』はワーグナーに捧げられたというだけあってドカドカとハデ。リクエストのバッハ『主よ、人の世の望みの喜びよ』はぐっと静か。
ところで、ああいう舞台ではなぜ、最後に指揮者は何度も出たりはいったりするものなんでしょう。そのたびに演奏者たちもやはり立ったり座ったり。なにか由来でもあるのだろうか。
駅とその会場の市民ホールの間に、「居酒屋 きちんと」「くいもの屋 淡菜房」という店がある。居酒屋はわかるけど「くいもの屋」っていったいなんだろう。
R.シュトラウス『オーボエ協奏曲』はわりにゆったりの印象、ブルックナー『交響曲第3番』はワーグナーに捧げられたというだけあってドカドカとハデ。リクエストのバッハ『主よ、人の世の望みの喜びよ』はぐっと静か。
ところで、ああいう舞台ではなぜ、最後に指揮者は何度も出たりはいったりするものなんでしょう。そのたびに演奏者たちもやはり立ったり座ったり。なにか由来でもあるのだろうか。
駅とその会場の市民ホールの間に、「居酒屋 きちんと」「くいもの屋 淡菜房」という店がある。居酒屋はわかるけど「くいもの屋」っていったいなんだろう。
1回目 出 → 入 → 挨拶してまた出る
2回目 入 → サービス曲の演奏 → 出る
3回目 入 → ほんとにさよーならー
といった具合で、そーゆーものなのだろうと
思っておりましたが、いったい何故なのだろか?
クラシックを聴きに行く場合 「知っている曲を演奏してくれること」
が眠くならない絶対条件かと思っております(笑)
木管楽器の音なんかもかなり素適ですが
やっぱ弦楽器の音が一番背筋にぞくぞくっときます。
3回が目安とわかれば、次回からそれなりに心づもり(なんの?)ができるので、一つもうかりました。
知っている曲ならばそれはそれで油断(?)してしまって寝るかもしれません。まぁ、能を見ながらうたたねなんて最高の風流!という見方もあるので、コンサートでも結構ゼイタク?
私は打楽器がけっこう好きなようで、独奏ならばピアノが好みです。