レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『ペリカンロード』

2006-08-24 15:02:44 | マンガ
 私が好きな何本かの少年マンガの一つ。とはいえ、手元に全然持ってない。

 BY五十嵐浩一。80年代に「少年画報社」の「少年KING」で連載された。
ガリ勉(死語?)秀才の渡辺憲一は、実はバイク好き。ある日、絡まれたところをゆきずりのかっこいいおにいさんに助けられるけど、それは、憲一の家に下宿することになった父の部下のおねえさんだった。やがて、憲一の見かけによらない根性と誠意に惚れた奴らが集い、「クラブ・カルーチャ」が結成される。
 -ー始めのうちは、サワヤカ青春バイクものだったのだが、そのうち、ちょっと危険な香りのグループ「FHH」が登場すると、過激な抗争が絡んできてハードになった。ドイツ人とのクウォーターであるリーダー(コマンダーと言ってるが)の「ヤチ」さん(だからセリクにちょくちょくドイツ語がはいる)と、幹部たちとの思いのすれ違い。ヤチを熱烈に崇拝するサブリーダーのマキ(男)の焦りからの暴走行為が、アメリカ人兄弟との抗争を招いていき、ついにはヤチの死へとつながる。
 私はこの作品においては、健全なくせにサド心をそそってくれるケンちゃんをひいきしているのだが(ある意味、『南京路に花吹雪』の本郷さんと共通してる)、心理面ではFHHサイドも捨て難い。(絵は、少女マンガ美意識でも充分に鑑賞に堪える。)
 冷静に考えれば、(ミもフタもなく言えば)不良の抗争なんかで命落とすなよ、乱世ならまだしもこの現代日本でいい若いモンが~~~!!なのだ。そうとわかっていても、「どこで死んでもフェルトヘルンハレで会おう」なんて調子には感銘を受けてしまうのだ。
 (ここで説明が要る。「FHH」はFeldherrnhalleの略。「将軍廟」と訳される。バイエルンのルートヴィヒ1世が戦死者のために建てた。ミュンヘンの街中にある。(行きましたよ) しかし五十嵐浩一はこれを北欧神話のヴァルハラ(「戦死者の館」)のようなイメージで使っているようだ) たとえば、『燃えよ剣』の挿入歌の「生きるも死すも同じ同志(とも) 別れと今宵飲む酒に」とか、『三国志』の「桃園の誓い」とか(別にファンじゃないけど)、『三銃士』の「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」とか、ヤクザ映画任侠映画とか(全く見たことないけど)、はたまた「はなればなれに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう」、感動のツボはたいして変わるまい。そこにお上のお墨付きがあるかないかの違いだけで、生死を共にするほどの絆、それに惹かれる心には普遍性があるだろう。
 しかし私はどうしてもバイクとお近づきになりたくはないし、乗りたいとも全く思わない。『ペリカンロード』好きでも、味わいつくすことはたぶん無理。そういう感情のせいだろうか、このマンガに対する私の愛着には、なにか屈折が、切なさがこもってしまうのだった。

 なぜいまこれを書いているかといえば、来月のコミックスのリストに、『ペリカンロード(1)青春編』なんて名を見つけてしまったからだ。「青春編」ってなんだ? 数年前に、本編とキャラが少しだけ重なった後日談『ペリカンロードⅡ』が出たのだが、また姉妹編?それとも単に復刊?文庫版なら一応出ているけど。気になる。

 ーーと書いたあとで、それは復刊であること、もしかするとコンビニ本で寄り抜きか?という推測を目にした。
 確かに、寄り抜きでのコンビニ本マンガはよくあるけど、ああいうのは完全版の売れ行きに貢献するのだろうか? 私はアンソロジーをきっかけにして百鬼園を読むようになったので 、そういう効果はないとも言えないか。
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