誰がどうやって決めたか暦の決まりは不思議に当たっている感じがする、気のせいか何だか微かに暖かくなった。子供の時はえっどこに春がと思ったが、年を取ると立春の意味が分かるようになる。
Mさんは待合室で隣の爺さん婆さんにあんた若いねと声を掛ける。それも当然、見た目は赤いセーターを着て八十代でも、御年九十七才、自称百歳なのだ。採血しようとする看護婦の手を綺麗ねえと言って握る。当院は手を握られてもアラフォーからアラカンが揃っており、「まあまあ、あらそう」で済んでいる。
付き添ってくるつい先日正真正銘の高齢者になった息子が、俺の方が先に逝っちゃいそうだとこぼしている。「先に逝ったら道案内してくれ」と言われて、「弱っちゃうなあ」と頭を搔いている。「俺の弟」と呼ばれているのだが、並ぶと八十五六の兄貴に八十の弟のように見えるので、知らない人は真に受けるだろうう。
ひょっとして元落語家と思い聞くと、息子さんは「なーに普通のサラリーマンですよ」と言う。
Mさんの凄いところは、二年前最初の受診時、心不全を起こして息切れがしていた時から今の調子で、相当苦しかったはずなのだが「ちょいと苦しい」と飄逸だったことだ。月に一度待合室でM氏らしい声音が聞こえるとあー来てるなとちょいと嬉しくなる。