水泳の山中毅さんが亡くなった。もう半世紀以上の昔になるが、自由型でいつもオーストラリアのマレーローズに迫りながら後半もう一歩の所で惜敗していたのを覚えている。オリンピックでも金は取れず銀メダルに終わったようだが、銀メダル四個は立派なものだ。一番や金は唯一で最高のイメージがアッピールされるが、二番目で銀も決して引けを取らない優れた業績だと思う。その人にとっては最善だったのだろうし、いぶし銀には味わい深い輝きがある。
確かに金や一番には昇り詰めた最高位で、達成感は強いのだろうが、見失う物もあるのではないかと思う。瞬間風速の出来事が、その後の人生の重圧になることもあるかも知れない。銀や銅を噛みしめる能力こそ、長丁場の人生広い社会の中ではむしろ大切な気もする。世の中というかマスコミにはそうした見識が不足しているように感じる。
山中選手のその後のことは承知しない。遠い昔の観戦の思い出といつも惜敗のイメージにちょっと書いてみたかった。